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ニセ科学(2)「福島の風評」 令和5年4月17日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええ、今日は2000科学の2回目ですね。その非常にレベルの高い方々6人ぐらいが議論されておりましてね。最初はまあ1人の方が説明して、とてもあの刺激的でした。こういったものを聞けるっていうのは本当にネットが素晴らしいなと思いますが。

私の考えと少し違うところありまして、1回目はワクチンのことをちょっとお話しましたね。医療行為というのはどの範囲なのか、医者の医療行為ができるというのはどういうことなのかということをお話しましたが。

今日は2回目ですね。福島の風評についても書いてみました。放射線ですね。あの頃僕もすごく叩かれましてね。1年1ミリシーベルトとか言ったらね。1年1ミリシーベルト男、武田邦彦とかね、言っておりまして。ずいぶん批判されましてね。だいたい物理の人とか原子力の人は、私の発言は非常に勘に触ったようなんですね。

ある人はこう言ってましたね。武田は言葉が多いと。言葉が多い人はジンが少ない。仁というのは人格ですね。人格が低いという風に僕を激しく週刊誌で批判した人もいました。やや感情的だなぁと思いましたね。その感情的なのは、福島の事故の恐ろしさ、事故が恐ろしいので、逆に言えば安全と安全だって言ってるように僕には聞こえました。

今日これはニセ科学という視点でね、話をしたいと思うんですけども。私が福島のことを言ってですね、1年1ミリシーベルトとか、放射線気をつけないといけないとか、それから個別にはね、色々な妊婦の人とか、そういう人に相談乗ったのは、なぜ乗ったかっていうと、科学はですね、私の考えでは2つあるんですよ。

学問の自由が発揮されるような科学とですね、世間との関係ができて学問の自由を発揮できない科学と、2つあるとこう思ってるんですね。私が間違ってるかもしれませんよ。間違ってるかもしれませんが、私そう思ってるんですね。

学問の自由というのが保証されておりますが。これはまあ一応ですね、定義を調べればすぐわかりますけどね。内的、精神的自由に限られるっていうのが原則なんですね。つまり、学問的なものなら何でも自由にできるんじゃなくて、それが内的、精神的なもんじゃなくちゃいけないっていう、限定条件がついてるんですね。

これの説明でよく使われるのが安楽死の研究ですね。ある医者とか医学者がですね、やっぱり人間苦しい時に、安楽死しなきゃいけないじゃないかということで、安楽死の研究をする。これはもう全然構わない。人間に対して、どのくらいの青酸カリを投与すれば、一番楽に死ねるかとかね。病気してる人に対してはどうなのかということを、研究するのは全然構わない。それ学問の自由なんですね。

それをそれじゃあ目の前にいる非常に苦しんでる人に、医者が安楽死を施したら、これは刑法で罰せられるんですね。なぜその違いがあるかって言ったら、学問は社会に対して具体的な影響を与えてはいけないんですね。

これ僕はまあずいぶんこうグラフを書いて、グラフっていうか表を書いてますし。理由も説明して本も、正義とは何か手本の中にですね、これ小学館から出してもらって、講談社だったかな、そんなところなんですけど、そこにようく詳しく書いてあるんですね。

何が学問の自由が許されるかってことなんですね。だから例えば、地震予知の研究といくらやってもいいんですが、具体的にどの場所に地震が来そうか来ないかっていうことを発言すると、これは罰せられますね。

ていうのは、それは社会人の関係ですから、この福島の放射線の場合どうかってことなんですけども。私は非常に学者と言われる人たち、専門家と言われる人たちが学問の自由を逸脱したと思います。

厳しく言えば、福島の事故で大したことないよとか、福島に住めるよとか、そういうことを自分の判断、自分の学問的判断で言った人は学問やめたほうがいいですよ、僕に言わせたら。放射線の防護というのはですね、特に産業的な防護というのはですね、もう法律とか、規則とかそういうので決まってるんですね。

だってこれは常識になることですが、何か危険なものを取り扱う工業があったら、その危険なものから、どういうものが漏れちゃいけないとか、漏れるの範囲はこうするとか。それから、地元に対してはちゃんとした正確な情報を伝えなきゃいけないとか、そういうことは法律で決まってることなんですよ。

その法律を決めた人はね、あるいは学者かもしれません。しかし、1回決まってるものはですね、例えば1年1ミリシーベルト、1年1ミリシーベルトの被ばくというものが決まってたりですね。だから職業的に被爆する人の限界は20ミリシーベルトであるとかね。そういう決まってるものは、それから土壌もそうですね。土壌は1平方メートルあたり4000ベクレルだったかな。ちょっと今もう忘れましたけど、そういうのみんな決まってるんです。

それ当たり前のことで、危険なものを取り扱う工業はですね、工業を創業する側に、社会との合意を得て、そして、それが守るように決まってるんです。これはもう化学工場であれ、毒薬とかそういったものを作るところであれ、日常的に使う洗剤を作る工場であれ、全部規制は決まってるんですよ。

で規制っていうのは、事故が起こったら変えちゃいけないんですよ。事故が起こったから変えなきゃいけない。今頃洗剤の会社がね洗剤作ってたと。で洗剤を排水溝に流す基準が決まってるという場合ですよ、例えばね。その時に、事故が起こる前はちゃんと規則守ってたけど、事故が起こったらもう守れなくなったと。じゃあ、流していいよってことにはならないって言ってるんですね。

それはある洗剤の学者が洗剤と健康についてものすごく研究している権威の人でも絶対言っちゃいけない。それはどうして言っちゃいけないかって言ったら、必ず事前に決めておく必要のあることであり。それは社会的であって、学問の自由とは関係がないってことなんですね。それは当たり前のことでありますね。

で、私は法律を守れと言ってるだけであって、法律があるにも関わらず、自分が偉いような感じになって。今日もそうでした。ちょっと私ね、これはちょっともし面と向かったら、ちょっときちんと反論したいんですね。いや皆さんが、そこに今日出てた人が、物理の専門である人も多いし。それから見識のあることも確かにわかる。あなたは非常に学問的に偉いと。学問的に偉いからといって、法律の規定を変えちゃいけませんっていうことなんですね。

それから、まあ例えば胎児の問題なんかもあるんですが。これはちょっと、もしかしたら今日議論してる人は知識が足りなかったかもしれませんが。一応国際的な合意ではですね、孫の代までDNAの影響を見るということになってますんでね。なってるものは、やっぱりこのブログでも何回か書いてますが、ちゃんとそれ学者が守らんといかんですよ。

やっぱり学者はね、特に大学の先生はね、普段からちょんちょんされて、やっぱりあんまり批判されませんからね。だから自分が偉いと思ってるじゃないですかね。法律に決まってることも変えられると。そんなことないんです。

それは学問の自由を著しく歪めますからね。もし1回歪めば、その後その人が発言することは学問とは見なされません。社会的行為とみなされますので、社会的行為の範囲で罰せられますね。

例えば、1年1ミリシーベルトって決まってても、いや放射線ていうのはね、ここら辺にあるんだと。日本でも1年1ミリシーベルト以上の地域があるんだと、自然放射線で。だから、別に5ミリシーベルトでもいいじゃないかなんて言ったらね。その人が病気になった時に、それを発言した学者は病気になった人の生活費から何から、それから命を取り返すとかね。それできませんがね、人間は。それやらなきゃいけないわけですね。

ですから、この事故が処理が終わって、全部終わったら、改めてね、その福島の事故について、規定がおかしいと。武田は1年1ミリシーベルトと言っているけどそんなことはないと。1年1ミリシーベルト平気だと言うんであればね。事故の処理が一段落してから、研究会を持って、そして、放射線の制限は今のものは不適切であると言って議論するならいいですよ。

だけど、1年1ミリシーベルトなら、1年1ミリシーベルトと決まった経過というのはね、1980年頃から国際的に議論に議論を重ねて、1990年にだいたいこれで行こうと国際的にも決まったもんですから。それをね、自分が放射線に対して力があるとかね、あの頃なんかそういうのがいっぱい出てきましたよ。

放射線に当たった方が健康になる。いや、そういうもちろん考えはいいんですよ、学問的に。それが社会に影響のある形で発言しちゃいけないってことです。私は自分も実は判断があるんですよ。あるけども言わなかった。それ言っちゃいけないからですね。絶対に言わなかったんですね。これを社会は理解してないので、かなり非難されましたけどね。

ということで、もう一つは、例えば風評ですね。風評って言っているのが、本当に風評なのかってことですね。風評っていうのは起こりえないんですよ。つまり、法律に違反してないものは風評っていうかな、いけないと言えません。で法律に規制しているもの以上をもし垂れ流したりなんかしたら、これは風評ではなくて実質的に犯罪ですね。

ですから、風評っていうものが生じるのはなぜかって言うと、実は、福島の農産物とか、福島の土壌の汚染度を発表しなかったんですよ。発表しなかったっていうのは、非常に理屈があっていることはあってるんですね。

例えば、福島の野菜とか、お米は当時相当汚染されてました。今でも汚染されたことあります。じゃあ汚染が例えば、許されるのは100ベクレルだとしますね。そしたら30ベクレルっていう表示はしたら安全だってことなんですけど。みんなが30ベクレルて言ったら、ゼロベクレルのものを買うんですよ。この問題があるんですね。この問題をあの時克服できなかったんですよ。これは法律の不備なんですね。

つまり、例えばね、食品が100ベクレル以下なら大丈夫だと、売れるというふうに決まってても、食品というのは他に比較するものがあるもんですからね。100ベクレル以下の90ベクレルってやつを福島から売りに出そうとしたら、30ベクレルっていうのが他の県から出てきますよね。もちろん汚染されていまえんから。さらには、ゼロベクレル全然汚染されてないって野菜もどっかから出てきますよ。

そうすると、そのゼロベクレルから売れていくし、値段もゼロベクレルが高くなるので、その汚染された野菜だとか米とかそういうのに、汚染度を表示しなかったんですよ。だから、風評が起こるんですよ。だから、風評を起こしてるのは、現にその福島に原因があるんですね。福島を管理してた、食品を管理してた人たちに原因があるんですね。

これはまあ、法律の不備だったかもしれません。つまり、実質的に80ベクレレとか、30ベクレルとか表示すると、売れなくなっちゃうっていう問題は、今法律では全く書いてもないし、規定もしてないんですね。ですから、これが噂を呼んじゃって、風評を大きくしたんですね。

ですから、今は政府寄りの人とか学者は風評被害風評被害、マスコミも言ってますけど、全然風評被害ではありません。実質的に、消費者は汚染の程度を知ることができなかったんですからね。やっぱり、常に学者とかマスコミはね、やはり、食品なら食品を食べる人の身になってね、考える必要があると思います。そこにもしも、マスコミとか専門家が頭がいい人たちであれば、その頭の良さは人間を大切にするという方向に向けてほしいというふうに思います。

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