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ニセ科学(3)「科学は再現性があるか?」 令和5年4月18日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様おはようございます。今、朝なんですけど、ちょっと奥の方の部屋におりますもんですからね。光が入っておりません。この部屋はですね。

それとあの、昨日あの参政党のこのメンバーとズームをやったんですけど、私の顔が赤いもんですから、武田先生はお酒飲んでんじゃないかなんて言うですね、すぐ人のことを非難したい人いてね。焼けました。今、街頭演説なんか多いもんですからね。まあ、夕方帰ってくると真っ赤なんですけど。まあ、一晩経てば少しこう色落ち着くんですけど、それでもまあ随分焼けております。

ええと、何でもこの頃ね、こう人の悪いことをつくというのがね。気になるから普通に言ってるっていう場合もあるんで、別に神経質に考えてるわけじゃないんですけどね。人はいいとこと悪いとこありますからね。今のところ私お酒飲んでズームやったり、こういう収録したり、テレビ出たりすることないんですけど。そのうちにはそういう起こるかもしれませんがね。まあまあその人の平均を見て、判断をしていただくということはいいかもしれませんね。

ところで、今日はニセ科学の3番ですね。ちょっと理屈っぽいんで、もう嫌だという人もいるかもしれませんが。まあちょっと問題をやりますが。科学というものは、再現性がなければいけないということを言う人多いんですね。こういうこと言う人はですね、非常に優秀な人でも、科学は再現性があるとか言うんですけど。これは多分ね、あまり実験をされてない、もしくは非常に先端的な科学の研究はされてないような人が多いですね。

ていうのは、理屈で考えると科学は再現性があるように思うんですね。ですから、科学は事実ですから、自然の現象が多いですからね。自然の現象じゃなくても、社会科学とか人文科学ってありますが。まあ再現性があるっていうか、妥当性があるっていうかね、合理性があるっていうか、そういうことが求められてるような気がする人がいるんですよ。

特に科学哲学だとか、科学誌だとか、それから評論家ですね。こういったまあ、実務をやってない人は、人間の頭脳の欠陥っていうのがあまり認識されてないので、それであの科学は再現性があるとか言われることがあるんですね。これがなかなかうるさいんですよ。

つまり、人間っていうのは自分の頭で考えたことが非論理的であっても、それに気がつかないんですね。どうしてかといったら、人間の頭っていう自体が不完全なんですね。不完全だから実験が必要なんですね。論理とか頭で考えたことが正しければ、実験いらないんですよね。実験というか、いろんな検討いらないわけですね。

しかし、検討がいるとか、実験がいるっていうのはどういうことか。それから他人と話し合うことが大切だということはどういうことかって言うと、自分の頭で組み立てた再現性とか論理性とか合理性っていうのにですね、欠陥があるんですよ。それは人間の頭の作りの欠陥なんでね、仕方がないことですね。

でまあ、このニセ科学の科学は再現性があると言ってる人が多いんですけども。私はあのスタップ細胞で非常に大きな社会的問題になった時に、化学は再現性は、最終的にはあるんですが、そのことが正しくても、再現性が得られるのが100年、200年とかかることあるんですよと。だから、再現性がないから科学じゃなくて、まあいわば、1000年以内に再現性が認められなければ、それは科学でないと言ってもいいぐらいの感じだっていうことをずいぶん言ったことあるんですね。

そういう風に言っても、論理だからわからないんですね。だって、科学だから再現性あるじゃないかっていうもんですから。私が一つの例を、もっと少しいい例が思いつけばよかったんでしょうね。ある村があると、村の横に大きな森がありましてね。その森の中に鉄道の駅がある。もちろん、家からその村からその鉄道の駅に行くには2時間ぐらい歩いていくっていうような、そういう感じですね。そういうのを想定してみましょうと、ありえますよね。

広い大地に鉄道が走ってると。その昔はその鉄道の周りに家ができたわけじゃなくて、川のほとりとか、そういうところにその村ができますから、鉄道からかなり離れてると。しかし、その鉄道に乗らないと、とてもモスクワに行けないと。こういう村があったとしますね。

そうするとある時に、その電車が来る時刻がよくわからないと。まあそういうところですからね、まあ1週間にいっぺんしか電車が来ないと。これはありますよね。汽車が来ないと。そういう例を一つ取り上げると。それである人がモスクワに行こうと思って、トコトコとある日、汽車の駅に行くと。もちろん無人駅ですし、それから時刻表があるわけじゃないと。で、そこで汽車を待ってますと、午前の9時にそれに乗って、無事にモスクワに行って、仕事をして帰ってきた。その人が、どうもこの前あの汽車に乗ってモスクワに行ったら、午前6時に来たよってこう言うと。

それで、そうだってことが村に流れてですね。これはあの汽車は9時に来るんだったら、9時に行ったらモスクワ行けるんだったらいいじゃないかってことになって、次の人が8時頃から駅に行って待ってても9時に来ない。2時間待っても3時間待っても来なくて、もうお腹減っちゃって、それで午後の2時頃村に帰ってって、なんか来なかったぞって言うと。9時に来なかったぞって言うと。あいつ嘘言ったじゃないかとかね。それから、なんか今日はやってないんじゃないかとか、いろんな意見があった。

そして次の日というか、まあ適当な期間に行ってですね。そしてその汽車を9時にまた来ないと。やがてそういうことが続きましてね。それでもうあのあいつの言うことは信用できない。あいつは嘘つきだ。こういうことになったわけですね。

ところが、本当はそうじゃなかったんですね。その汽車っていうのは月曜日には9時に来るんですね。で、火曜日には6時間ずつずれるんですね。鉄道会社の方は考えましてね。9時ばかりだと午前中に乗れる人しか乗れないから、9時の次は6時間、午後にして午後の3時と。6時間ずらしましてね。それから、次の日はまた水曜日は夜の9時と。それから、木曜日は夜中の3時と。

夜中の3時なんか汽車来るはずないじゃないかと、そんなことないですね。国土は広いもんですから、その汽車がモスクワに行くのに1日ぐらいかかりますんでね。従って、その村に午前の3時、丑三つ時に来る汽車も、ある街ではちょうどいい時間に来ますからね。ですから、そういうダイヤになってて、月、火、水、木と週に4日間運転すると。それで時間は9時、3時、9時、3時という風にその村の時刻はそうなってる。こういうだったわけですよ。その汽車は。

そして最初の人は偶然に、ノコノコ出かけていったら月曜日だったもんだから、朝の9時に来たので運よくそれに乗ってモスクワに行ったわけですね。でそのまま、その人は正直に言ったわけですね。俺、駅に行ったら9時に来たよという情報を伝えただけなんですね。しかし、それは再現性がないわけですよ。

再現性があるかどうかはですね、その駅にまあみんなが代わり番こ、規則正しく、なんか時間をずらしながら行ってね。ノートをつけるということをすればね。ああ、あの汽車っていうのは1週間に月、火、水、木しか運転してないで、しかも時間が6時間毎ずれるんだと。で、それを鉄道会社に聞いたら、いろんな都合の人がいるから、そういう風にやって運転してるんだってことがわかる。でそれが分かった時点でやっと再現性が得られるわけですね。

つまり、それがわかったら、今度は火曜日に出かける人は今日は3時だから2時頃駅に行くか、こういうことになるんでね。全員、ああ再現性があるって事になるんですね。

このことは何を言ってるかって言いますと、科学だから再現性があるわけじゃなくて、事態が全部わかったら、再現性があると言った方がいいんですね。再現性がないから科学じゃないんじゃなくて。再現性がない理由はいっぱいあると。そのうち、科学的な手法でやって再現性があるのは、全体が分かってからなんですね。

これ私もうずっと実験系の物理科学をやってきたんですけども、再現性はなかなか難しいんです。なぜといったら、ある実験をしたらね、その実験の結果を決める要素が最初わかってないんですよ。温度だとか、純度だとか、夾雑物、混ざってるもんとかね。それから、なんか1回収率が上がっても、また下がるとかいうのもありますしね。いっぱいあるからですね。

その研究をずっとしているうちに、ああそうか、例えばこの反応はとか、この材料はということになるんですね。それはもう常にそうで、別に珍しいことじゃないんですね。科学としては、科学はしょっちゅうそうなんですね。

ですから、そういう現場を多数経験した人はですね、科学に再現性があるとは言わないわけです。いやいや、最終的には再現性ありますよと。研究が終わった時に再現性があるだけで。途中では、ちょっとねっていう感じなんですね。それがあのスタップ細胞事件の悲劇を生みました。

なぜかといったら、まず科学を知らない人が、科学とは再現性があるとか、科学は合理的であるべきであるとかいった人間の頭で考える、そういうことに左右されましたね。

だけども、人間とはそれほど頭良くないですよ。今の鉄道の例がお分かりになったかどうかわかりませんけどね。暗中模索で、よくあの群盲象を撫でるってあるじゃないですか。あれなんですよ。

大きな象を群衆が撫でると。足を撫でた人はなんか太いもんだなってことになると。鼻を撫でた人はなんか長いもんだなってなると。それから、尻尾を触った人はちっちゃいもんだったよという。そういうふうにですね、群盲が、目の不自由な人が集団でっていう意味ですけどね、象を撫でても、撫でた場所によって印象が違う。だから、象を全部撫で終わらないとですね、象というものがどういうものだかわからない。

しかし、最初に撫でた人が象の足を撫でたとしますよ。いやなんか太くて丸いものだったなっていうのはこれ嘘じゃないんです。科学なんです。だって観測したら、太くて丸かったんだから。それ全然間違ってないんですね。

だけど、全体像がわかるまではそれは再現性がない。次の人が行って、たまたま撫でたところが鼻だったら、あれはね結構そんなに太くないよ。長くてニョロニョロしてたよって言うでしょうし。胴体を撫でた人は壁みたいだったよって言うでしょうし。尻尾を撫でた人はひょろひょろして細かったよっていうはずなんですね。

つまり、自然現象とかですね。それから社会現象もそうですけども。そういうことを科学する時には、私は再現性はなかなか大変だと。合理性をなかなか大変だと。最終的にそうなった場合は、科学でも再現性がある場合に到達するし、合理的になる場合もある。理性的になる場合もある。という風に言うべきじゃないかと思いまして。この非常に高級な議論でしたけども、やはり実際に実験してない人だからと思いますけどね、人間の頭で考えることは間違いがあるなという印象を受けました。

でも、失礼いたしました。ご気分を壊したかもしれません。

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