武田邦彦 ヒバリクラブ 文字起こし

武田邦彦先生の音声ブログの文字起こし

人生の意義(3)「能力があれば人のためになることもできる。でも、人間の価値は能力ではない。」 令和5年3月27日_文字起こし

------------------------------------------------------------------------------------------------

武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

www.youtube.com------------------------------------------------------------------------------------------------

ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええ、人生の意義も3回目になりまして、少し踏み込んでまいりました。

えーとですね、これはヨーロッパ文明と日本文明と非常に大きく違うことなんですが。ヨーロッパ文明、中国文明も中東文明もイスラム文明もそうですが、力のある人は偉い人だと。金を持ってる人は偉い人だと。知恵のある人は偉い人だと。つまり力ですね。力そのもの、もしくはお金という力。知恵という力。こういう力がある人の方が人間として上であるという考え方は、これは日本以外の主要な国ですね、中国でも中東でもヨーロッパ、もちろんアメリカ、ヨーロッパもそうなんですね。

ところが、もう一つの考え方がありまして。それは人間の価値というのは能力によっては差がないという考え方ですね。これは日本文明で。まこれをこう推し進めていきますと、奴隷制度になるわけですね。っていうのは、その能力の低いものはこれでいいんだ。能力の低いものは貧乏でいいんだこういう風になりますね。能力と人間っていうのは関係があるのか、どのくらいの関係があるのかってことですね。

これに対して、私はまあ日本文明の中にいますし、日本文明をよく勉強しましたので。最初は私も小学校から大学まではヨーロッパ文明を学んだもんですからね。先生もヨーロッパ文明を教えてくれましたし、まあ大学なんかになりますと正にヨーロッパ文明の中に閉じ込められますね。

ですから、力のあるものが価値があるっていう風に思ってた時代もないわけじゃないんです。私もね。だけど、その後広く勉強してみると、あれっと思いますとね。今の私は結論を言いますと、ここに書きましたように、能力があれば人のために何かすることはできるんです。

非常に行政能力があれば首相になるし、科学的能力があれば人々を豊かにするしね。それから、哲学的能力があれば人々を幸福にできる。つまり、能力があるってことは、自分以外の人を幸福にすることができるわけですね。

ですからまあ、若干、人として偉いとか偉くないじゃなくて、若干その人を待遇してあげた方がいいような気もしますね。政治的能力のある人が首相になり、科学的能力のある人が科学者としての腕を発揮して新しい発明品を作り。そして、哲学的能力のある人とか文学的能力のある人が人々に幸福をもたらす。幸福という概念をもたらすということはありますでしょうね。

だけども、人間としての価値は変わらないやと思うんですよ。むしろ人間としての価値はね、これ小さな文字で書いたんです。嘘を言わないこと。それから、誠実であること。人のお金を欲しがらないこと。こういうのが人間の価値の裏返しというか、その人間の価値、マイナス側から見た価値ですね。

嘘をつくような人で立派な人って、それいませんよ。ところがもう、まあ私が言ってるようにNHKなんか、NHKはね嘘をついてるつもりはないと思うんですよ。自分の身を守るために、嘘だと糾弾されないような、非難されないような形で嘘を言うっていう、そういうタイプですね。気が弱い人っていうね、言えますかね。

それからまあ、誠実でない人っていうのは結構いましてね。これ私も人生で時々そういうことに会いました。なんか自分の組織なり自分自身がですね、ちょっとこう人聞きが悪いことになっちゃった場合ですね。私はいつもこう思いましたね。なんかそれを問い詰められたら、そのまま言おう。こう何回も思いました。そのまま言おう。もうやっぱりそのまま言うのが一番いい。ヘマはヘマだ。

それが誠実というもんだと思うんですね。言い訳もしない。ごまかしもしない。すいませんと言ってもいいし。すいませんと言わない時もあるんですよ。というのはその、自分としてはすいませんと思ってない場合もありますからね。その場合、私はこう思いました。お気に障ったかもしれませんが私はこう思いましたとこう言う。誠実さですね。

人のお金を欲しがらない。例えば今で言えば、太陽光発電ですよ。自分家の家の屋根に太陽光発電つけるでしょ。そしたら補助金をもらって、少し高い単価で電力会社に買い取ってもらう。その分の補助金と、少し高い値段で電力会社に買い取ってもらうやつを誰が払ってるか、お隣さんですよ。

税金という言い方もありますけど、税金っていうのはお隣さんが自分の給料から払ってるわけでしょ。てことは太陽光発電を屋根につけるということは、それでそれを売電する、電気を売るって事はどういうことかって言うと、人のお金が欲しいっていうことなんですよ。

僕はね、まあもちろんほんとかわいそうな人はね、助けるべきだと思ってるんですが。例えば、子供を産むのにお金をもらうって、僕だったら絶対もらいません。冗談じゃないと。自分で結婚して、自分で人生送るんだ。人生で一番大切なことは子供を育てることですからね。それにお金をもらうんだったら、何のために自分は人生を送ってるか。もっともっとその人生の意義が不明になっちゃうですよ。

それでやっぱり自分自身もダメになってきますね。ちょっと私の知ってる範囲でご参考になるかもしれませんから言いますとですね。実はあの原子力発電所を作ると、地元に山ほどお金が降ってくるんですよ。お金が来るんですね。地元の交付金やなんなら山ほど。で、地元は豊かになります。豊かになるだけ何が貧弱なるかっていうと、人の心と将来の発展力がダメになります。

それは人間というのはやっぱり不思議なもんでね。自分が働いてお金をもらうんだったらいいんですよ。しかし、働かなくてもらったお金っていうのはね。もちろん原子力発電所がある地域にできて、国がどうしてそんな電力会社とか国がいっぱいお金を出すかっていったら、もちろん危険だからですよ。危険じゃなかったらお金出しませんからね。危険だから、お金を出すわけですよ。それは決まってますわね。

だからある意味では、原子力発電所を誘致したところは、事故が起こってもその地域は文句言えないですね。だって、承知でお金もらってんだから。何にもないのにお金がくれるなんてあるんですかね、この世の中で。ありませんよね。

しかし今ね、まあ政治家が一番ひどいですね。政治家なんか、お金をもらうために政治家になってんじゃないかなと思う人がかなり多いですよ。それから、会社の役員もそうですね。まああの、社員の2倍ぐらいだったらいいと思いますよ。まああのそれはね、あの能力に応じて若干の差がないとね、人間ていうのはやっぱりこれまた生き物ですから、あんまり楽になるとやっぱりちょっと鈍りますんでね。それは自然の摂理ですからね。

例えば植林をスギの木を植えると、少し混んで植えて。それでお互いに双葉の時にでも、小さい木でも葉が擦れるぐらいにしておくと、急いで上に伸びようとしますね。ある程度のところで間引いていく。大根なんかもそうですね。大根なんかを育てた人もよく知ってますが、離して最初から植えたら全然小さな大根しかできませんよね。

これは生物というもの、もともと私たちというものがどういうものかっていうことによるんで、これは仕方ないんですが。やはり人間はさらにですね、魂というものを持ってます。判断力というものを持っています。

それからやっぱりこれだけ人間が威張ってね、動物の命も自由に取るわ、植物の命も自由に取るわっていう風な権力を発揮してる限りはね。やはり人間は万物の霊長と勝手に言ってるだけだけど、やっぱり人間が他の生物よりかはですね、模範的な行動を要求されるでしょうね。それはですね。

そういう点が出て私はね、小学校で取り柄を教えるの大反対なんですよ。このブログをねご覧になってる、お聞きになった小学校の先生がいたら是非やめてほしいのは、児童の人に取り柄を教えてるんですね。君も取り柄がなきゃいけない。取り柄って何ですか。いや勉強ができる、足が早い、ピアノが弾ける、そういうのを取り柄って言う。

それ取り柄じゃありませんよ。取り柄っていうのは人間としてえらいことですから。嘘をつかないでねと。誠実でねと。人のお金なんか頼りにしちゃいけないよと。これが取り柄ですよ。

だからそういう子供が、子供って大体そうなんですけどね。子供の方が偉いんですが、実は。子供は結構嘘はつかない子供多いですよ。誠実ですよ。本当に素直にちゃんと答えます。それから、ごめんなさいはごめんなさいって言いますね。それから、人のお金を取るなんてのはそれはもう良くないことだと、子供は思ってますよ。

だからある意味では、日本では子供は神の子っていうように、大人の方ができないですね。大人は嘘をつかない、誠実である、人のお金を狙わないっていうのは難しいんです。子供は簡単ですね。

だから、大人が子供を教育するってことがやや難しいんですよ。小学校の4年生ぐらい、10歳ぐらいまではね、やっぱり先生方もあまり教えない方がいいかと思いますね。まあ算数の計算の仕方とか、漢字ぐらい教えていただいても結構なんですが。人間的なことではね、だからおそらく、校長先生の顔色なんか伺っている先生がおられたとしたらね、そっちの方がぼろいですよ。

そういうことで私はですね、能力の差があります人間はですね。で能力の差がある人がそれに携わった方がいいんですよ。例えば、科学が非常にできるっていう人は科学をやっていただいた方がね、それは新しい発明品もできます。新幹線とかができますから、それはいいんですね。

ただその人が価値があるかっていうと、それは価値は違います。新幹線はいくら作ったからってね、嘘をつくわ、誠実でないわ、人のお金を狙ってはっていう人もいますからね。

だから、待遇はまあ能力によって2倍ぐらいまでいいけど。それ以上はつけない方がいい。今の日本で言えば、まあ普通の人が1000万円の収入。少し優れた人は2000万円の収入。社長とか総理大臣とかですね、特別に優秀な大学教授とか、そういう人は2000万でいいかもしれないけど。他の人は1000万ってことで、所得格差をできるだけ少なくする。これが非常に大切ですね。

まあ、普通の人の場合でもね、やはり500万ぐらいでスタートして、1000万ぐらいまで年取ると行くっていうのは非常に良いと思いますね。私は能力によって給料に差をつけるの反対で、年によって年齢によってね、その人その人の楽しみのために昇給があると、その方がいいですね。

優れた人が昇給があるんじゃないですね。優れた人は拍手はしますが、待遇はしない。待遇はあくまでも立派な人。だから本当はね、嘘をつかない、誠実である、人のお金を狙わないという人は2000万。それから、ちょっと嘘もついたり、ちょっとあの人のお金を狙ったりする人が1000万。ていうのはまあいいかなと。

つまり、その人間の偉さっていうのは、もちろんお母さんが一番偉いですけどね。何の文句も言わずに24時間365日、ほとんどサービス残業をされて。今日は休みだから、あなた具合悪かったってお母さん今日休みの日だから、そこでじっと寒さに震えてなさいって子供に言うお母さんいませんよ。偉いね。

そういう人を僕は偉い人だというふうに思うんですね。ここのところも、人生を気楽に楽しく過ごすための、一つの考え方だというふうに思っていただければいいと思います。

------------------------------------------------------------------------------------------------

 

↓クリック頂けるとブログ更新の励みになります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村


科学ランキング