武田邦彦 ヒバリクラブ 文字起こし

武田邦彦先生の音声ブログの文字起こし

人生の意義(2)「自分一人では生きることができないのに、なぜ、自己が大切なのか?」 令和5年3月26日_文字起こし

-----------------------------------------------------------------------------------------------

武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

www.youtube.com------------------------------------------------------------------------------------------------

ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

人生の意義の2回目ですね。まああの、人生の意義っていうの毎日毎日考え続ける必要はありませんが、特殊な職業の人は別にしましてね。哲学者とか宗教家は大切でしょうけど。我々は他にやることもありますもんですから。

だけどたまにはやっぱり、人生の意義というものに時々思い返してみると、自分たちが今当面しているいろんな悩みとかそういうものがですね、いや実は大したことなかったんだと気がついて、気楽になったりもしますんで。まあちょっと、年度末に当たってですね、人生の意義というのをちょっとやっております。2回目ですね。

ええ、自分ひとりでは生きることができないのに、なぜ自分本位なのかとという。自己は大切なのかっていうですね。これもあのまあ、ものすごくもちろん、ヨーロッパ文明と日本文明でも違いますし。また、封建時代と現代とも違いますし。時代とか場所によってかなり違うような考え方が出てくるものなんですね。

私は科学者なんで、一応スタートは科学的にわかってることを一応確認して、それからまあ自分の経験とか感情っていう風な順序になるっていうのが私の考え方なんですね。で人間っていうのは非常に特殊な生物で、もちろんあの、今から6億年ぐらい前に、6億年よりか前は単細胞生物ですからね。単細胞生物の頭と体が一緒ですから。目も一緒だし、一緒っていうかないっていうかね。ですから頭で考えてなんかものをするってことはないわけですね。

ところが、多細胞生物に6億年ぐらい前になってですね。最近まで僕、5000万年前やってたんですけども、その後いろいろな発見もありますし、それからいろいろ文献もこう読みましたらね、生物と多細胞生物と言えるかどうかっていう議論のある生物も交えますとね、まあ6億年っていいだろうなと思って、最近は6億年前っつておりますが。6億年前に多細胞生物ができまして、もちろん最初は頭もなけりゃ神経もないんで、血管もないんでね。今みたいのとは違いますが。

まあ少なくとも多細胞生物になれば、血の通る血管を作ろうと思えばできるし。神経細胞もできるし、それから足とか手もできます。頭もできるということで、そこら辺をスタートしますとね。そこから少しずつ少しずつ中枢神経系とか、それから頭脳ができてくるわけですね。

人間で言えばちょうどこの奥の方にある、こことこの間ですね、にある古いのですね僕の言ってる古い脳です。まあ中脳とか小脳とかね、なんかいっぱい名前がありますけど、そういったものですね。

それはですね、不思議なことに6億年間の記憶が詰まってるんですね。記憶とか教訓とか。本能ということもあるし、それから本能という方はちょっとまずいんじゃないかと思うんですね。別にあの本能というもので、それは規定されてるじゃなくて、6億年間の知識の集積ですね。

まああの、最初はいろいろいらない知識もあったでしょうけど、だんだんだんだんこう6億年も経ってますから、少しずつ要らないものが切り取られて、いるものだけが残って、今のところ6億年間の知恵がこう詰まってですね。どっちかといったら利他的なんですよ。

まあ仲間を大切にしていこう。なぜかったら例えば、ほとんどの動物は群れで生きてますからね。だから群れの調和を壊したりですね、自分と違うものとの、よくあの人間関係が難しいっていうけど、個体関係難しいんですね。だからそれを調整するいろんなやり方ですね。家族が仲良くやっていくとかですね。それからお父さんお母さんを尊敬するとか。そんなのみんなここにあるんですね。

ところが、まあだんだん生物が発達する。それ以外に自分で得た知識も利用しようとなりますね。そっちの方がいいやってことになる。つまり、ここのこの古い脳にあるところはですね、お母さんがあの人は味方ですよ、ああいう形をしたのは危なくないですよ、こういうのは危険ですよって教えた通り、その後に自分が生まれて勉強してもそれが頭に入らないもんですからね。ちょっと具合悪いだろうということで、自分で経験したものを入れるところを作った。それが大脳ですね。この表面にあるんですね。

これができたので、伝統的な知識と、それから自分が生まれてからだいたいまあ3歳から5歳ぐらいからですね。三つ子の魂100まで持っていますから、まあ3歳としましょうか。3歳から25歳ぐらいまでに、22年間に溜め込んだ知識が大脳に入ってるんですね。それはあのお母さんやお父さんから引き継がないですね。

お父さんとお母さん、いくら英語はベラベラでもですね、まだ英語っていうのはここの伝統的な脳に入ってませんから、もちろん。ですから、お父さんお母さんが両親とも英語をペラペラでも、子供は英語の単語一つも知らないというような構造なんですね。

ですから、この人間がこの大脳で考えるって言うと、あたかも正しいことを論理的とか言いますよね。論理的に考えるとかね、合理的に考えるとか。これは論理的であるか、合理的であるかなんてわかんないんですよ。ただ3歳から25歳ぐらいまでに、自分の知識、体験、そういったもので作られたのが大脳なんですね。

この大脳っていうのはもともと400ccから、体積ですよ、400ccから500ccぐらい。ほぼ猿と同じぐらいの体積だったんですけど。それがまあ人間が700万年ぐらい前に生まれて、それから500万年間、随分長い間、200万年前今からね、それはだいたい4500ccだったんですよ。それでだいたい思考能力もサルと一緒。だいたい本能が勝って、それをちょっと手伝うっていうぐらいだったんですね。

ところが、200万年前にグーッと脳が大きくなり始めまして。と同時に火を使うとかね、男性のセックス、性欲が少し弱くなるとか、そういったいろんな、いわば本能から少し離脱したようなね、動きをするようになります。火を使うってことは本能から言えば火は避けますからね。だから人間が火を使うというのは非常にこう本能から離れた状態になったわけですが、まああのそういう風になります。

その200万年間どんどんどんどんこう大脳が増えてきましてね。ついに今はこう我々はこの中心にある伝統的な脳をかぶさって、もう自分が先っていうことになっちゃったんですね。で利己的になりました。

伝統的なのは利他的。新しい自分が考えたのは利己的なんですね。ですからまあ一旦思春期が終わって、自分の考えを整うとですね、悩むんですよ一時ね。これはこれ利己的な、利他的などっちをすべきなのかとかですね。そういうこと考える。

元々の自分の生物としての利他的な心、判断ですね。それから3歳から25歳までに獲得した、新しい利己的な判断。これは典型的に言えば、日本文明は利他的な古い脳と、利己的な新しい脳が調和してる状態ですね。なんで日本人は利己的なものと利他的なものが調和してるかっていうと、私はね、日本の自然がそうしてると思います。

日本の自然っていうのはもう、世界の自然に比べたら極めて穏やかなんですよ。私今もう一所懸命仕事してる頃は30カ国ぐらい行ってましたかね。外国旅行ばかりだったですね。ビジネスですけどね。でそうやって見てみますと、本当に日本の自然数は柔らかいなって感じがしますね。こう自分を包み込んでくれる。その中で自然とかなり考えが近いもんですから、あのやっぱり6億年間の利他的な頭脳との間の親和性が高いんですね。

ところがヨーロッパ文明は2つの理由があると思います。一つはキリスト教が非常にこう1200年ぐらい強く縛ったもんですから、人間を。それからの解放。ルネサンスですね。それによってやっぱり過度に、必要以上に大脳の方を強調する。だから思考とかですね、そういうものを強調しますね。

デカルトなんか、デカルトてのは2番煎じか3番煎じなんですけど、まあそういうのがみんなの納得する。だから、なんかなんとかの自己実現の三角形とか言ってですね。ああいうのはヨーロッパ文明としては別に正しいんですね。だけども、日本文明としては正しくないんですよ。マズローのなんかな、なんとか。そういうのに最近は非常にこう白人崇拝なんでね。

文明はどっちが日本文明が上なのか、ヨーロッパ文明が上なのかなんていうことを検討せずに、マズローとかですね、それからインフォームドコンセントなんて英語で言うとですね、すぐぽーっとしちゃうんですね。

その典型的なのが小池都知事でしょうね。日本語を英語とかドイツ語で言い直すっていうね。それで票が取れると思っておられるんですよね。確かにその通りで、日本人は欧米コンプレックスですから。なんかそういう学者も結構いるんですよ。なんとかって言っては、それをねこう肥満って言っては、なんかメタボリックシンドロームとか。メタボリックシンドロームなんかなんで出すのってあれごまかしですよね。肥満防止って言えばいいんですからね。

まあまあそういうことで、この2つの脳があるんですね。日本人は僕に言わせれば、正しくこれがよくわかったら対人関係もすごく良くなりますし。それから人生が大事明るくなりますよ。僕なんか全然明るいんですけどね。悩みなんてあるのかなと思ったりするぐらいなんですが。

それはなぜかっていうと、自分一人では生きることができないのになぜ自分が大切なのか。いや実は自分大切じゃないんですよ。自分を大切にしなくても、周りと一緒なら必ず幸福に生きれるんですよ。これ決まってるんですよね。だって生物多細胞生物自身がそうできてんですから、しょうがないんですよね。

いや僕ね、あのこの頃男女の問題ならやってるとね。なんで女性が子供を産んで子宮を持ってて、あの乳首からおっぱいが出るのってそれを無視してね。それを無視してやろうとしてる人がいるからね。男も不幸になるし女も不幸になる。それ当たり前ですよ。だって現実を認めてないんだから。

犬と人間とどこが違うんだろうか。犬と人間と同じことやらなきゃいけないんじゃないかなんて言ったってね。それは犬は犬。人間は人間なんです。男は男。女は女なんですよ。別にどっちが優れてるとかね、そんなこととは関係ないですよ。

人間と犬とどっちが優れてるって、犬の方が優れてるとこいっぱいありますよ。だってね、飼い主と非常に仲いいでしょ。本当に飼い主を信用してくれますよ。人間だったらすぐ疑ったりしてね。犬は疑いませんからね。

いや僕は豚も偉いと思うんですよ。僕ね誰かがね、武田先生ちょっと肉食いたいからこの左腕の肉を少しくれませんかって言ったら嫌だって言うと思います。だから豚はね、自分の身を削って人間に肉を食べさせてくれますよ。それから見たらね、いや我々はなんてケチなんだろうなと思ったりしますね。

だからまずはあの、人生の意義はですね、自分にないと。これはね、僕はイエス様とかお釈迦様なんかの言われたことをですね、非常に好きなものですから何回も何回も聞きますとね。あの人たちは自分中心じゃないんですよ。実は、全然自分中心じゃないですね。群れなんですよ。

ですからやはり、まあ我々はお釈迦様とかイエス様の方が我々よりかちょっとえらいような気がするんですね、僕は。少なくとも僕よりかは絶対えらい。間違いない。その人が長い間いろいろ考えられてですよ。自分よりかはみんななんだと言っておられるとこ見るとね。それを素直に理解して、自分が良くなろうと思っちゃいけないと。ね。

自分が良くなろうと思った方が良くなると思うけど、実は違うんだ。本当に違いますよ。本当に違いますね。周りの人に感謝をし、周りの人のために行動し、周りの人のために考える。

もちろん食事もそうですよ。私たちが生きる上では、生物の他の生物の命をいただかなきゃいけないから、まあ自分も生きなきゃなんないから食べなきゃいけないけど、まぁむやみに食べないでおこうと思うとね、太りませんから。

だって食事の量を満腹まで食べませんからね。自分が生きていく量だけ食べる。そしてやっぱり少しは細くなるし、健康になりますよね。病気もしないと思いますね。まあ腹八分目は本当に3割寿命が伸びますからね。これはどの動物でも、人間ばかりじゃなくどの動物でもそうです。

ということで、人生の意義第2回は、人生の意義は自分にあるのではなく他人にある、という驚くべき結論に達しました。

------------------------------------------------------------------------------------------------

 

↓クリック頂けるとブログ更新の励みになります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村


科学ランキング