武田邦彦 ヒバリクラブ 文字起こし

武田邦彦先生の音声ブログの文字起こし

人生の意義(1)「必ず死ぬのに、なぜ頑張るのか?」 令和5年3月25日_文字起こし

-----------------------------------------------------------------------------------------------

武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

www.youtube.com------------------------------------------------------------------------------------------------

ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええまあ普段は科学のこととかですね、まあ時事問題とかそういうのをお話してるんですが。やっぱりいろいろなチャンスがありまして、昨日もちょっとそういうチャンスがありましてですね。ええまあ、人生の意義というのを、時々はやっぱり考えてみなきゃいけないなと思う時がありました。我々が毎日毎日同じように朝起きて、そしてご飯を食べて歯を磨いて、そしてまあ仕事をしてですね。まあ夜になると疲れて、風呂に入って寝ると。

まあそういう生活をずっと送ってますと、やっぱり人間っていうのは、またそれが人間のいいところでもあるんですが。まあ普段の生活の中で流れてですね。それがいつのまにか何か不満としてたまったりですね。生きがいが感じられなくなったりまあするもんなわけですね。

でまあ本来はですね。夕方、まあ地方の方は今でもそういうのあるでしょうけど。山の端に沈んでいく太陽の赤い夕日を見たりね。それから海辺ですと、海に寄せる波の音を聞いたりですね。まあそういうことによって、人間っていうのは自然の中に自分が生きているんだということを強く感じるものでありますし。また、身近に小さな昆虫とかですね、小さな動物なんかいますと、時にはそういう動物があえなく命を失って、死んでいるところで出くわしたりしますとね、まあいろいろこの世の中の無常というものを感じるわけでありますが。

現代というのは非常に難しいわけですね。まあ事実、この録音もですね。私ちょっと今度ホテルに2、3泊しておりまして。そういうことでホテルの中からお送りしてるわけですけども。非常に人工的な空間で生活するわけですね。テレビをつければ、なんかウクライナはどうとか、それからどこがどのくらい儲かったとか、どこの銀行が潰れそうだとか、そういうまあ本当にお金の話だけが出てるようなところもあるんですね。

それから考えてみれば、私が若い頃って今からほんの最近ですよね。人類の歴史から言えばもちろんものすごく最近で。日本の歴史から見ても、もう本当に最近なんです。50年前ですらですね、現在と相当違いますね。

例えば、あの頃はまだ小説家、現役の小説家ですね。その方が小説を出しますとみんなでそれ読むというようなことも随分ありました。ええそれから、作曲家なんかもおられて、名前の知れた作曲家がおられて。その方の作曲した最新作をですね、母親が台所でちょっと小声で歌ってるというような。そういうこともありました。

ええそれから、絵画なんかもね、絵画展なんかありましてね。いろいろなヨーロッパ絵画もありますけど、日本絵画もあり、最近の画家の絵画もありました。これも、抽象画であっても具象画であってもいいんですが、ちゃんとした美術でしたね。今みたいに何か、思想がかかったようなものが出てくるなんてことはあんまりなかったんですね。だからそういう中で、まあ冬にはスキーに行ったり、夏は海水浴行ったりですね。春とか秋は家族とドライブに行ったりするような、いわゆる普通の生活だったわけです。

今はまあ完全に時代過渡期なんですね。分裂してしまいまして。もちろん家族がどういうものかとか、職場旅行がないとかいうのはノスタルジアかもませんね。私が年を取ってるからノスタルジアかもしれませんが。

しかし小説もない、絵画もない、音楽もない、音楽会も展覧会もガラガラだというようなですね時代になってしまいまして。これもやっぱり過渡期だから仕方ないと思いますが。まあ人間っていうのは同じように発達するわけじゃないんで、過渡期ですからね。だけどそういう中にいる我々は、やはり時にですね振り返って、人生の意義というようなものを考える必要があるかと思うんですね。

ええ今日はその第1回で、必ず死ぬのになぜ頑張るのかという。これはあの宗教でも哲学でもですね。かなり根本的な問いとしてしょっちゅう出てくるんですね。人間は必ず死にます。必ず死にますが、どうせ死ぬんだったらば、もう毎日酒で思うんで早めに死んだらいいじゃないかと。どうせ目標が死ぬことなんだからってことでですね。

まあそういうことで、生きてる時に頑張るというのはどういう理屈なんだってのは、これは人生論でも、宗教でも、哲学でも、まあそれは芸術でも主たるテーマの一つなんですね。これについてちょっと、今日は第1回ですから簡単にちょっとまあ考えてみてですね。次の人生の価値2に行こうと思ってるんですけどね。

えっと、人間はあの実は、生まれる時に生まれようと思って生まれた人って一人もいないですね。生まれようと思って生まれる人が一人もいないのに、死ぬのが必ず来るって事になんで問題を感じるのかってことですね。

私が今ここにいますと、気温が何度だとか、今日の昼食が美味しかったかなとか、そういうこと考えてしまうんですけども。それ自体が本当は意味がないっていったら意味がないですね。必ず死ぬんですから。別に何を食べてもいいはずだし。気温が寒くても暑くてもですね、まあいいはずなんですが。

それはしかし、私は全然違う考え。この必ず死ぬのになぜ頑張るのかっていう問いがですね。宗教家とか、哲学者とか、そういう方に非常に興味を強く持つのはですね、その人たちが比較的長い時間の感覚を持っておられるってことですね。

例えば、生まれてですねまあ死ぬまで50年とか80年とか、そういう実感を見てですね、そういう気持ちにとらわれるんですね。しかし、私はちょっと違いましてね。やっぱり、この生きるって事は今の瞬間今の瞬間だけっていうのが、私なんかが自分で感覚的にも、頭で思考してもそう思うんですね。というのは、昨日何かをしたということは、今日になるとほとんど何の意味もないですよね。昨日には帰りませんから。

それからまた明日がどうかっていうことも、わからないですね。したがってまあ少し長く言っても、私の人生の気持ちと言ったらですね、今日はあるかなっていう感じなんですよ。今日はあるかなっていうか、むしろもっと短くてですね。僕は2、3時間が単位のように思いますね。

例えば、今からどっかに行って講演をする。一所懸命やろうとかですね。それから、今からどうも依頼された執筆をしなきゃならない、ちょっと嫌だなとかですね。そういう風に、こう気が進まないなとかですね。まあそういうようにこう、あそこに今日食事に行くけど楽しみだなあと思ったり。ちょっとあそこで今度、今日一緒の人がなかなかこういう人だからなぁと思ったり、気が向かなかったりしますね。

私はだいたいそういう感じで生きてきました。したがって私はですね、今日も朝って言うんでけど。今日1日じゃないですね。今日1日ってのは、ちょっと人生にとっては長いかなと思うんですね。まあ2、3時間を目途に、自分がやりたいこと自分の人生としてやるべきことをやろうかと。

まあ、できれば自分のためではなく、まあ人のためっていいますかね、家族のために収入を得るとか。子供のために何かするとか。友達のために何か一肌脱ぐとか。なんかそういうことによってですね、自分が満足しますね。ああよかったと思いますね。この良かったの数が、ある程度、まあ10個か20個あればですね、人生はいいんじゃないか。

まあ普通の平均寿命ぐらい生きればね。まあそういう瞬間。瞬間というのは2時間とか3時間ですよ。そういう2時間とか3時間が良ければいい。良ければいいというか、そこしか人間はできないっていうんですかね。長期的な計画はもちろんほとんど立てませんしね。

第一、僕が若かった頃の日本といったら今と全然違いますからね。もう環境が違いますから。もちろんスマホがないなんて当たり前ですけど。冷蔵庫、洗濯機、テレビないわけですからね。ですからそういう、水洗トイレはないしですね。ええまあ電車もまあ、なんかあるかないかわかんないようなもんですから。

ですからそもそも、必ず死ぬからなぜ今日頑張るのかっていう問いはですね。僕にしてみればちょっと時間が長すぎるよと。そんな長くは考えられない。人生というのは、人生の意義というのはですね、僕はあの、ずっと長く50年間こうやったからっていう意義っていうのはね、まあここで聞いておられる人はいくらでもそういう人もおられるでしょうから、それ別に良いとか悪いとか言わないですけど。人生っていうのは、もう2、3時間の積み重ねていうのが僕の意識なんですね。実際そうやってきました。

私は最近までテニスをやっておりまして、テニスは72から始めましたから、非常に年取って始めたんですけども。それでもごく最近まで、入院するまでテニスやっておりましたが。この前、そのテニスで私にとても親切に教えてくれて、素晴らしい先生だったコーチがですね、おやめになりましてね。その時メールいただきました。

武田先生が一生懸命テニスをやられるのに感心しました、というお言葉をいただきました。私にとっては、これが最高の褒め言葉なんですよ。要するに成果がどうだったとかね。もちろんテニスなんて下手ですからそう勝てませんが、テニスに勝ったとか。それからなんか、そういうんじゃなくて。テニスに行った時は一生懸命やった。もう力の限りやる。それで、まあもちろん休みますよ。ぐったりして休みますが。まあ人に何かをやるときには、もう一生懸命その人のためにやる。テニスも一生懸命やる。

講演が頼まれたら、僕は講演の前に話しかけられて、時々、いやちょっと待ってくださいよなんて言うことあるんですけども。講演の前なんかもう本当にですね、どういう風に言おうかな、これどういう風に言おうかな。聞いた方はどう思うかな、ということに集中してやります。したがって、講演が終わったらぐたっと今度は逆にリラックスしましてね。もう難しいことはちょっと1時間か2時間ぐらいはもう話せないっていう感じになりますね。

その2時間の講演なら2時間の講演。1時間半のテニスなら1時間半のテニス。1時間の食事なら1時間の食事。この積み上げていうか、積み上がんなくなったっていいんだけど、この連続が私は人生だと思います。その人生がどこで終わっても。

つまり必ず死ぬっていますけど。まあそれはねどうせ生まれた時に希望してないんだから、死ぬ時もですね偶然でいいんですね。ただ僕は、その生まれたことが意識されるのと死の間の時間の過ごし方、そこに人生があると思ってます。

私の人生はそういう人生でした。そうすると、もうすごくね。大体僕はあの、1回言ったことあった、武田君は何を研究したいのって言うから、何ってことはないんですと。一所懸命やれるような研究をやりたいんですと言ったことがあるんですね。

ちょっとそういうところがありましてね。対象物が何であれ、それ私にあまりこう興味わかない。一所懸命やる。身をこう投じられるようなね。そうするとその充実した時間がずっと続きますから。ああ良かったな、1日に3回か2回ぐらい良かったな良かったなとうのがあればね、それで僕は満足ですね。

いつ始まろうと、もちろん始まるのはわかんないですけど、いつ始まろうといつ終わろうと。それから、人生が必ず死ぬからどうしたらいいかっていう問いはですね、非常に世界の大哲学者、大宗教家が一所懸命考えたことですけれども、僕にはあまり関係ありません。私はその時間その時間が自分として一生懸命やれるような時間、それが私の人生で、人生の意義はそこにあるという風に考えております。

------------------------------------------------------------------------------------------------

 

↓クリック頂けるとブログ更新の励みになります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村


科学ランキング