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声の小さい人を応援(5)「30歳の1時間と70歳の1時間」 令和5年4月11日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

また旅先の生活が始まりました。今日はですね、声の小さい人応援の5番であります。

ええとまあ、この社会というのはですね、声の大きい人ってのはあまり気にしてなくていいんですよね。まあ声の大きい人で、自分のことがあんまり言えないとか、損をするというのはあんまりないんですが。まあ比較的謙虚で、自分のことあんまりこう主張しないっていう人のことを考えなきゃいけない。

それの典型的なのが赤ちゃんでしょうね。赤ちゃんを保育園に預けるというのは赤ちゃんにとっていいことなのか。赤ちゃんをお父さんが保育するということが本当に赤ちゃんにとっていいのか。口を開かない赤ちゃんだからこそ、よく考えてあげなきゃいけないわけですよね。

まあそういう点では、高齢者ってのある意味でですね、社会的な制約さえなければ、結構口も達者で、頑張る人もいるんですけどね。ただやはり今の日本の社会では、やっぱり日本人ていうのは非常にいいところなんですけど、遠慮しますからね。自分もまあ少し年取ったし、若い人にも頑張ってもらいたいっていうような非常に善意な心でですね、自分を控えたりしますね。

それに乗っかってですね、最近ちょっと若い人がですね、自分がまだ年取ってないからといって、老人を傷めるっていう例があるんですよね。一番極端には、これは言った意味が違うとも言えるんですけども、高齢者は集団自決しろというような元気のいいアメリカの若い人もいましてね。ちょっと言い過ぎだろうと、それは。それはあまりにね、高齢者の心理というものを考えない人じゃないか。

お母さんもですね、一言自分はどうしてサービス残業なのって言いたいけど、それをぐっとこらえてるわけですね。子供が可愛いから、それをずっとこらえてる。それに乗っかっちゃいけないっていうのが僕の考えなんですね。

私は45の時にですね、まあそれに気がついたんですよ。実は、ちょっと随筆を書きましてね。私ちょっと随筆とかそういうの書くの割合好きで、まああの高校の教科書にはちょっと出てるんですが。その時はですね、老婆の1時間っていう題ですね。これは私がつけたわけですけども、そういう随筆を書いたんですね。

あるその田舎の地方のですね、山間のところに民家がありましてね。そこに沿岸があって。ちょうど夕方でですね、山の端に太陽が沈むわけですね。山が赤く染まってですね、夕暮れに差し掛かるわけですよ。そこの縁側に一人の老婆がちょこんと座ってですね。それで道の前に道路がありますんで、その狭い道路を行き来する若い人を見てるんですね。そういうまあ情景なんです。

夕暮れですね。まあ、季節いい時で、ゆっくりとお茶を飲んで、夕暮れにそこに座っておられ、そして若い人が忙しそうに左へ右へ歩いてるの見てですね、おばあさんはですね、あー私にもああいう時があったわねと。自分が30歳ぐらいで活躍してる時のことを思い出すんですね。

だけども、考えてみますと、そのおばあさんは別に頭ボケてないし、腰も痛くない、膝も痛くないんですね。五体満足で意識もはっきりしてるんですよ。意欲もあるんです。しかし、おばあさんはそこに座ってお茶を飲んでるわけですよ。家の中にですね、嫁さんが料理を作ってる音がします。どうして老婆はそこに座ってるんだろうか、と私は書いたわけですね。

それはね、老婆にしてみれば、息子が結婚して嫁さんが来る。そして、嫁さん優しくて、お母さんそんなもう働かなくて、台所を私に任せてねと。こういうので、台所からちょっと言葉悪いんですけど、追放される。そして今度、居間を掃除してたりしますと、やはりその活発な嫁さんがですね、おばあさん疲れるから縁側でお茶でもどうってなこと言ってくれる。

そして、そのおばあさんはまだまだ自分の人生はいろんなことやりたいんだけどなぁと思ってるんだけど、周囲からそういうふうに追い飛ばされていくんですね。

今の定年制度ってもそうですよ。もちろん、定年の頃にもうね働けないとか、それから、体がきついっていう人はいますよ。だけど、そうじゃない人も多いわけですね。

私なんかは、もう全然普通の定年から20年も15年も経ってるんですけども、まあ普通通りにやっぱ働けますね。そして、そういう意欲も、まあ私の場合は小さい頃にちょっと病気であまりきちっとできなかったってな反省もありましてね、自分の人生終わるにはもう少しちゃんとやってからっていうような気持ちもあるんですね。

つまり、一人一人の人生が多様ですね。そういう点で、私はまあ10年ぐらい前必死になって抵抗したのは、高齢者から免許証を取り上げるってやつですね。高齢者は事故が多いからと言って、池袋の事故なんかが出てきましたけど、20歳代の運転でもっと悲惨な事故はいくらでもあります。

私はまあ科学者で、事実を調べてから自分の意見をちゃんとまとめていくっていうタイプなんで、20代の人の事故と70代の人の事故を比べてみました。もちろん、人数あたりとか、免許証の保持システムのあたりとかね、走行距離あたりとか、色々な比較があるんですね。それも事故の比較やら、軽微な事故の比較、重大事故の比較、酔っ払い運転の数とかね。そういういろんなデータがあります。それから、アクセルとブレーキの踏み間違いっていうのの年齢別の比較も存在します。

それを見ますとね。新聞なんか書いてあることは、いかにデタラメかっていうのわかりましたね。もちろん、20歳代と70歳代を考えますと、どういう指標を使っても20歳代の方が自己多いんですよ。それも悲惨な事故が多いですね。それから、ブレーキとアクセルの踏み間違いですら、20歳代の方が多いですね。

で、こういうことを自分が全く調べもせずに、ただ他人を痛めつけてやりたいために、大きな声で老人をアクセルとブレーキの踏み間違い多いからもう運転やめろと。だけども老人の事故が少ないのはどうしてかって言いますと、やっぱり慎重になるからなんですよ。

歳っていうのは、それほど無駄にとってるわけじゃないんですね。いろいろ自分の人生がいつも脳裏にありますからね。車に乗ったら丁寧に運転しなきゃいけないと思うんですね。だからまあ運動神経の衰えはもちろんありますよ。目の衰えもありますね。だから、目も衰えるし、運動神経も衰えるんだけども、衰えだけを強調してんですよ。そういう避難する人はね、高齢者を。

いや、高齢者も分別もついていきますから、それを合計したらどうなるかわかりませんねと。まずそこまでは言ってほしいですね。その後、ご自分でですね、事故の形態とかその調べて、どうなのか。

しかし、私も高齢者になりましたら、もうものすごく嫌がらせ受けるんですよ。今私ね、免許証の更新に行きますとね、まず免許証が3年から2年になったのかな。なんか優良、僕なんか全然事故起こしてないんで、もうどういう制度か知りませんが、本当はもうものすごく長いんじゃないかと思うんですけど、それもないんですよ。

それで今度はね、運転免許試験場に行きますとね、目の検査は当然、これは若い人も当然なんですが、反射神経のやつとかね。しかも、ペーパーテストまであるんですよ。

あれ可哀想ですね。だって、僕はまだこういう仕事してますからね、ペーパーテストは優秀な成績で通るんですけどもね。ペーパーテストから何十年も離れてる人がね、突然ペーパーテストやらされるんですよ。それも結構難しいんですよ。次の20個の図を見て覚えて、5分ぐらいだったらまたそれに対する回答するとかね。相当ペーパーテストとして難しいんですね。これをね、僕は70歳80歳にさせるのは酷ですよ。拷問ですよあれ。拷問。ね。

私ももう別にそろそろ運転も必要ない。これは必要ないからね、僕の場合はですよ。もう運転免許も別に更新しなくていいなあと思ってはいますよ。だけど、私の年代でまだクリーニング屋さんとかね、いろんなことをやって、商売とかやってですね、定年なんかありませんからね、小さな商売では。やっと家計を支えてる人って多いんですよ。そういう人のことをね、ちょっとは考えてあげてほしいですね。

結局、私が思うのは、その老婆の1時間っていうものの思想はですね、30歳の時の1時間も、70歳の時にも1時間も、同じその人の人生の1時間じゃないかと。それはね、70歳の時に体壊して、もう倒れてる人はいいですよ。それから、僕は今度30歳の時に病気で倒れてましたからね。その人その人です。ほんと事情があるわけですから。

やはり私はね、みんなが心を合わせて、長くて楽しい人生を送るようにする。これが日本文化だと思うんですよ。お前はね、力なくなったじゃないか。お前は頭の回転が鈍くなったじゃないか。体は十分に動かないじゃないか。ていうようなことで人を評価するということ自体が僕はもう嫌なんですよ。

人間はそれぞれいいとこがなくたっていいんです。人間はいるだけでみんなのためになってるんですね。ですから私は、この声の小さい人、この高齢者の声の小ささっていうのはですね、最初で言いましたように、高齢者自身の遠慮っていうかね、そういうのがあることは確かなんです。

だけどもまあ、昔と違ってですね、食料もそれほど困ってるわけじゃないので、やはり100歳人生をもうどの時間もね、自分のその時その時その時ですから、もう俺はぼーっとしてたいよって人もいるでしょうから、それはそれで結構なんですよ。僕が言ってるのは若い人がね、あまりに高齢者を批判しすぎると思います。断固もうそう思いますね。

そういう心の冷たいことがですね、声の小さい人を無視して、圧迫して、俺はそれでいいよ。まあその長野県にね、これ信州大学の名誉教授の人らしいんですけど、幼稚園の子供が公園でわあわあやってるから、公園なんだっつって自治体はもうめんどくさいからやめちゃう。するらしいんですけどね、なんちゅうことか。それ大学の名誉教授だけど、何のために学問やってきたのって思いますよね。

自分だって、幼稚園の頃はわんわんやったんですよ。だから幼稚園に行ってないの問題じゃないですよね。僕なんかは幼稚園のね、あの可愛らしい声が聞こえるとね、私は私の場合は元気が出ますね。

それから、我々と恒例の女性が元気でおしゃれなんかしててもね、やっぱり私元気が出ますよ。そんなね、自分の年齢だけをよくしようなんていうね心で、人生を送ったら本当に悲しい人生になりますね。

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