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声の小さい人を応援(3)「取りえ」教育を止める 令和5年4月9日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんばんは。武田邦彦です。

ええ、今日は声の小さい人を応援したいというやつの3番目ですね。

ええ、1番が、保育所お母さんが忙しいから保育所を作るという、声の大きいお母さんの方を聞くんではなくて、保育所に預けられる声の小さい子供のことを考えたらどうか、幼児のことですね。

第2番目が、平均点を小学校で取るというのは一体何か。これは小学校の校長先生とか担任の先生が、評価とかそういうのに使うのは便利だけど、評価される子供の方はたまったもんじゃないと、いうことを例を挙げてお話をいたしました。

3番目が、取り柄教育ですね。これ小学校で取り柄っていうものを教育してるわけですが。ある時に私がある大学でですね、なかなかいい学生がいたもんですから、その学生に割合といいテーマを与えてですね、それでまあ一生懸命指導しておりましたら。その学生がですね先生先生が僕に期待してくれるのは嬉しいけれども、僕はダメな人間なんです。小学校の頃取り柄をずいぶん聞かれましたが、僕には取り柄がないんですよ。こう言いましたね。

その学生は小学校の時に取り柄を聞かれて、自分に取り柄が答えられなかったんですね。それで、それが元になって、自分はダメな人間なんだ。つまり、取り柄がないからダメ人間なんだと、そういうふうにですね、実はもう信じ込んで、その後あんまり努力しなくなっちゃったらしいんですよね。

だからつまり、例えば僕がいい学生だからと思って、割合いいテーマでちゃんと指導しようとするとですね。いや僕はそんな人間じゃないんですよって、後退するっていうね。そういう可哀想な事態だったわけですね。

で、その時に僕は、君あの取り柄っていうのはどういうやつを言うのって言ったらね、彼が言ったのは、彼が言ったことを僕は聞いたんで、本当に先生がそう聞いたかどうかはもちろんわからないんですけど、そういう細かいことなかなかわかんないんですけどね。要するに、勉強ができるとか、それから足が速いとか、それからピアノを弾けるとか、そういうのを取り柄って言うんですよ、と言うんですね。

私はねまあ、びっくりしたと言ったらちょっと表現がいけないですけど、まあややびっくりしました。そう。そんな取り柄って限定されてるのとこう言ったんですね。まあ人間にはいろんな取り合いがありますよ。取り柄っていうのはそんな勉強ができるとかね、スポーツができるとか、それからピアノを弾けるとか、絵が描けるとか、そんなんじゃないものいっぱいありますよね。人柄がいいとかね。それから人を笑わせることができるとかね。

その、取り柄っていうのは別に、そういう辞書一応見てみますとね、色んな定義があるんで一言で言えないですけど。いずれにしても、小学生では、小学校ってなんかね、学校っていうのがね、日本ではなんか成績っていうか、教科っていうか、学問っていうかね、知識っていうか、そういうものを教えるところだっていう風に最近は思ってるんですよ。

昔は違ってたんですよ。昔の江戸時代までの教育とは寺子屋教育もはじめとしてね、違う教育だったんですね。目的が違うんですね。だけど、明治になりましてね、国家に貢献する人材づくりということで。いや実はこれ後でお話しますが、国家に貢献する人材っていうのは、成績が良かったり、足が速かったりする人かどうかっていうのは、ちょっとよく考えてみなきゃいけないですね。

でまあ、小学校の取り入れ教育は少なくともそういう教育なんですよ。で、私はちょっとびっくりしましたね。えっと、日本文明における取り柄っていうのと、欧州文明における取り柄ってちょっと違うんですね。これはどこに出てるか、どこに顕在化するかっていうと神様なんですね。

例えば、古代ギリシャの神様はもちろん男性で、一番上の神様ですね。男性、支配をする神様。筋肉隆々としてですね、剣かなんか持ってですね。これは筋骨隆々として剣を持ってるっていうのは、力が強いということが取り柄だっていう考え方ですね。

それから近代になって、今度は資本主義になりますと、お金があるのが取り柄だ。お金を持ってることが取り柄だと。今のアメリカなんかがその典型ですね。したがって例えば、ダボス会議とかね。それからなんかアメリカのいろんなそういうやつとかね。G7は力ですかね。いずれにしても、国連でもない、何でもないような、なんか私的機関が突然湧いて出てくると。

なんでそういうダボス会議なんてのが、これ経済の支配をしてる会議ですよね、国際会議。G7つったら誰でも知ってるような主要国7会議。これも国連に関係ないですよね。国連はみんなが権利を持ってるので、世界中のですね。嫌だと、自分たちだけでグループ作って力があるから支配しようって、もうそういう考え方ですね。

これはあの、ヨーロッパで、主に欧州文明なんですね。力が強い方が偉い。お金を持ってる方が偉い。知恵を持ってる方が偉いってことですね。例えば、今で言えば、首相は偉い人である。経団連の会長を偉い人だと。東大出は偉いと。

こういうですね、人間が偉いかどうか。オリンピックで優勝したというのは偉いですね。ただ、日本文明はちょっと違うんですね。オリンピックの100mで金メダル取った。確かに立派ですよ。拍手はしたい。だけど、そのオリンピックで100mで優勝した人がみんな人間として偉いのか違いますよね。

で、教育というのが能力を高めることをもって教育とするっていう考え方。これはヨーロッパの考え方ですが。これにしますとね、ちょうどイギリ小学校で昔見られたように、先生は鞭を持ってる。何で鞭を持ってるか、教育を受ける前の人間は野獣なんですね。それをこう鞭で叩いて、野獣と同じように鞭で叩いて、子供を叩いて、そして人間にする。これが教育であるという、こういう考え方ですね。

日本文明は全く180度違うんですね。どういう風に違うかっていますと、これは神様に現れるわけですね。日本の神様も天照大御神が一番頂点にいます。神様ですから男か女かはもちろんはっきりはしないですけど、まあ一応女性の神様と認識されております。認識されればいいんですね。神様っていったらだいたい架空ですから、認識した形がそこに残るわけですね。

で、天照大御神は行動も女性ですね。絵なんか見ますとね、天照大御神がさなりと中央に立っていて、これで軍隊が横に行く、膝まついてますね。あれはまあヨーロッパの神様の書き方と全く違うんですね。力が中心にはない。もっと優しくて、実際にみんなを良くしてくれる。これが一番いいということで。

例えば、ヨーロッパの神様を怒らせると、叩き切られちゃうんですけど。日本の神様を怒らせてもですね、天岩戸に隠れるだけですね。天照大御神。そうすると太陽がなくなって、ジメジメして蛆がわいてということになるので。解決策も天岩戸の中に隠れた天照大神を呼び出すために、岩戸の前でいかがわしい踊りをしてですね、何が起こってんだろうと思って覗こうとするとそれを開けて、光を元に戻るっていう。実にこう平和的なですね、解決策が示されてるわけですね。

神話って本当によく考えられているんですよ。神話が事実であるかどうかのことはあんまり問題ではなくて。神話がその抽象的概念をね、話としてどういう風に教えてるかっていうことになりますからね。

そこで日本文明っていうのは、僕が思うその西洋文明で力、金、知恵なんかに相当するものがですね。日本人ではですね、嘘をつかない。これはもう、すごく強いですよ、日本のね信念の中で。それから、人の金をせびらないっていいますかね。くすねないですね。お金に対して清廉潔白であるってことですね。それから最後が、恩を感じる人になれということですね。この3つじゃないかと僕思うんですよ。

もちろん4つ5つと増やしてもいいんですけども。まあとりあえずないくらでもあるんですけどね。ですから、小学校教育で嘘をつくということは良くないことなんだ。嘘をつかない子は取り柄のある子だ。人のものを取ろうとか、人のものをくすねようっていうのはダメなんだ。それから恩を感じなきゃいけない。というですね、取り柄を教えてたら、僕は非常に立派な人がねできると思うんですよ。

問題はここでね、反論があります。私が中央教育審議会の専門員だった時にね。割合そういう考え方でいろいろ発言しましたが、全然受け入れられませんでした。何で受け入れられなかったかというと、それでは競争に負けるって考え方あるんですね。

要するに、国が競争に勝つためには、力とか金とか知恵とかいうのを上位に置いとかないと負けるって考え方ですね。しかしこれはね、非常に直感的であまり精密じゃありません。

日本が有色人種で唯一白人に対抗できた。唯一植民地にならなかった。これは何かっていうと私はね、嘘をつかない、人の金をくすねない、それから恩を感じるというのね。まあ僕の言葉でいえば酪合。これがですね、日本人を、日本を救ったんだと思ってるんですよ。

つまり、個人個人がお金を儲けたり力をつけて他人を支配したり、何かいいように見えますけど、実は人間の本性、これ僕の考えですよ、人間の本性っていうのは何か発明したいとかね、ちょっと早く走りたいとか、それから社会で大きな仕事をしたいって欲求が非常に強いんですよ。これはあの自分の心の中から生まれてくるものなんですね。ですから、これは取り柄っていうんじゃなくてね、人間本来の欲望みたいなもんだと私は思ってるんですよ。

例えば、ゴッホとか、ルノアールとかそういう人がいますね。日本でもいっぱい、横山大観だとかね、いっぱい画家がいます。作曲家のベートーヴェンとか、日本で言えば宮城道雄とかねいますよ。滝廉太郎とか。こういう人たちはですね、ほっといても絵を書いたり、音楽を作曲したりするんであって、それが報われるからというのと違うんですね。

その点、社会に力が湧くのはですね、やっぱり集団性が強い方が力が湧くんではないかと私はそう考えているんですね。したがって、集団性を大切にするためには、お互いに嘘をつかないとかですね。それから、その他人のお金せびらないとかですね。それから、恩を感じるとか。こういうことによってですね、その団体の力が上がる。だから、団体戦個人戦みたいになってですね。

で、歴史的に言えば団体戦の強い日本がですね、個人戦の強いヨーロッパとか中国に負けなかったということですね。最後のあの大東亜戦争で負けたじゃないかってことは、もう1回僕は何度もこのブログで言ってますが、時々繰り返して言ってるんですけどね、あれは別に戦いに負けてるわけじゃないんで。強がりでもないですよ。正しく間違えないと思いますね。

ということで、今日はあまり話は発展させませんが。取り柄教育っていうのは、本当に小学生心の声の小さくてね、まだ経験が浅くて、あまり人に主張できない小学生を痛めつけてる感じがするんですよね。

だから取りえ教育でも、取り柄というの日本流の取り柄ですね。嘘をつかない。君は嘘をつかない立派だよと。君は人のものを盗んだり取ったりしようとしないから立派だと。自分は自分でやろうとしてる。それからやっぱり人間は恩を感じてね。それでやるのが大切だよと。そういうね、あの教育の方が、私は現代のこの世界でもですね、力を発揮するんじゃないかというふうに思いまして。全く日本にもですね、まあ幸いをもたらすことはあっても、不幸をもたらすことはない、そういう風に考えております。

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