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憲法の無い国(3)「憲法第20条と信仰」 令和5年4月5日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様おはようございます。ええ、今日も旅先の朝なんですね。

憲法の話をですね、少しずつしてるわけですが。いや本当にまあ、日本人の良い所っていうか、僕はまあ日本は素晴らしいっていつも言ってるんですけどね。やっぱり日本語のせいか、ちょっと論理的にですね、やっぱり不十分のところがありますね。心の中はいいんですけどね。

それで今、自民党が進めている憲法改正議論。特に非常時のなんか国民規制ですね。つまり国民の権利を奪う方に今行ってますね。今この前の東北大震災だって決して何もまずいことありませんでした。

むしろまずかったのは、政府が対策を取らなかったていうのはまずかったけど。国民の方はほとんど政府が何の処置もしないのに、まあ非常に整然とこの危機を乗り切ったって言えるんですけども。だから今の政治が本当に国民のための政治じゃないってことはわかりますね。

とにかくその問題はもう少し切り込んでからにして、まずは今日はですね、テーマはですね、憲法20条。ちょっと地味なテーマですね。ですからまあ我慢してお聞きいただきたいんですが。憲法20条はですね、信仰の自由なんですよ。で、信仰の自由というのは保証されているというのはですね、これはアメリカ軍が作った憲法だからなんですね。

もしくは、もう一つは私ある時期ですね、まあ5年ぐらい東大のですね文学部の宗教関係の先生方との研究会に出ておりまして、それはずいぶん私の後の知恵になったんですけれども。ええ、全員がですね、やはりヨーロッパの教育を受けてるもんですから、信仰というのはどの国でも存在すると思っているんですね。まあ、信仰は存在するんですが。宗教というものが存在するというふうに思っているんですね。

しかし、よくよく日本の歴史、それから日本人の態度っていうのを見ますと、元々宗教っていうのを信じてはないわけですね。

宗教っていうのはわりあい新しい言葉なんですが。日本では鎌倉時代ぐらいから使われて、それは今でいう宗派ですね、法然親鸞日蓮なんかが出てきて、初めてですね庶民レベルにおける教えというのが出てきたわけですね。もちろん、日本に仏教を持ち込まれたのはもう少し前のことで、唐招提寺、それから延暦寺とかですね、まあそういった時代のものなんですけども。

その時代はまだ仏教っていう宗教がお釈迦様の教えですね。これは宗教その主な教え大切な教えってことで宗と教なんですけど。しかし、一般日本人の国民に伝わったのが教えやすだったのが鎌倉時代。それでもですね、仏教っていうのは日本では神道と合体してですね、まああの進化してきました。

したがって、この憲法20条っていうのはですね、日本の憲法に必要なのか、それとここでいう宗教っていうのは神道を含むのか。つまり神道を含むこととなりますと言葉が違いますね。あの皆さんご存知の通り神道には教えがないんですよ。教えがないから宗教ではないんですね。

よくあのそれを間違っておられて、えっと、神道多神教だと言ってるんですけども。日本人の考える神っていうのはですね、全然他の国の神とは違います。神は全く人間に何も教えません。無言ですね。したがって、神道の神主さんもほとんど祝詞をあげるときもですね、神様に向かってはいろいろお話になるんですけども、人間に何か教えるって事は神道ではありませんね。

それからこういった特殊な状態ですね。したがって日本にはもともとこの信仰の自由とか、宗教のなんとかとかいうことはもう日常的にも存在しないわけですね。まあちょっと一例をあげますと、12月24日になると、日本の多くの家ではクリスマスツリーを飾ったりですね。それから靴下の中になんかおもちゃ入れて、子供にこれはサンタさんからのプレゼントよとか言って渡すわけですね。完全にキリスト教徒ですよ。街ではジングルベルが流れ、まあ場合によっては、きよしこの夜を歌うということなんですね。

私は学校の大学の先生でしたから、まあよく学生が結婚しますとね、最近では教会で結婚式をするのが多いもんですから、教会に行きますとね。本人全くキリスト教じゃないのに関わらず、もしくは割合とちゃんとした仏教徒だったりする時もあるんですけども、それでもですね、結婚早々、牧師様の前でイエスキリストに愛を誓うとか言ってるんですね。だけども、そうするともう最初からですね、結婚式当日から嘘をついてるわけで、これはもう離婚になるななんて思ったりしますよね。

しかし、日本人とはそうじゃないんです。教会で仏教徒の彼が学生がですね、イエスキリストの前に愛を誓うたって、別にこれは邪教の前に嘘をついてるっていう感覚がないんですよ、実はね。それから1週間ほど経ちますと、家族で除夜の金を聞いてそれで考え付けるわけですよね。NHKなんかこの除夜の鐘を流してますよ。仏教徒だけなんですかね。108てのはあれ仏教徒ですからね。

それから新年あけますとね。家族みんなであの初詣に神社に行くのは、これ恒例なんですよね。全然誰も疑わないんです。それで神社で、まあ本当にこう心から手を合わせてるご婦人とかお母さんと多いんですけど。何をお祈りしたんですか、今年の家族の健康を祈りました、本当に本心からなんですよ。その人が1週間前にクリスマスツリーを飾ったとか、そういうのと全然関係ないんですよね。

それから、帰りに親戚とも顔合わせたので、墓参りに行こうか。お寺さんに行って、ありがたくお世話様の説教を聞くと。こんなようなんですね。こればかりじゃないんですよ。これが不真面目でやってるんだったらいいんですよね。まあどうせ宗教なんて嘘だからなんつって、ただ行事として流してんならいいけど、一つ一つが心からなんですよ。ええ、それが日本人の面白さですね。

エスキリスト偉い人だった。ああ、讃美歌もいいと。ね。それから除夜の鐘を聞くと。これは昔の人の知恵があったんだなと思うし。初詣でも本当に神様にお祈りをして。そして墓参りも真剣にすると。それからお坊さんのお説教もですね真面目に聞くんですよね。

そればかりじゃありません。もちろん先ほど山とか川とかいう、神様と日本では神様と言うんですけども。ヨーロッパの神様と全く違うっていうのはですね。例えば日本の場合はですね、人間が簡単に関しても仏様になるんですね。

だいたいあの日露戦争で活躍した乃木大将とか東郷元帥なんかはですね、もうれっきとした神様ですね。乃木神社とかですね、東郷神社ってあるぐらいですからね。そればかりじゃないですよ。お亡くなりになった人はだいたい仏様と言いましてね。まあ仏様の仲間入りであるとこう考えるわけですね。

天皇陛下ぐらいになりますとね、もうご存命の頃から神様か人間かちょっとよくわからない。あまりそこ追求しない。それから、お亡くなりになったら、だいたい神社に明治神宮とかねいっぱいありますけど、そういったところにお入りいただくということなんですよね。

だから、神様という概念も違うし、お説教もないし。だから、確かにその東大のね研究会の時に、宗教の定義は何ですかと僕が聞いたら、教祖、教典、戒律とこれが宗教というものの定義ですよと言われてですね。あーそれじゃあ、神道っていうのは何もないなと思ったわけですよね。

でこの問題をですね、まあ宗教の問題としては、宗教学者によく考えていただきたいと私は思ってるんですよね。ていうのはその、日本人が若干後ろめたくなることあるし。それから新聞社がなんかそういうことはあまり考えずにですね、日本人の宗教とか言って、あなたは宗教をお持ちですかとか言ってアンケートして、日本人はほとんど宗教がないっていったってですね。もともと教えというものがいらないわけですね。これはあのこのブログにも反論いただいているので私も調べたり勉強したりしておりますが。

まあ基本的には宗教ってな神様の教えを守るんですよ。それが信仰なんですね。ですから日本の信仰とはちょっと違うんですよね。教えてもらうってありませんからね。だけど日本がどうしてこんなに犯罪が少ないかっていうと、日本は自得の教えと言いますか、自分で教えを作るんですね。

お天道様の下では嘘をつかない。人のお金をせびらない。恩を返す。そういった謙虚じゃなければいけない。礼儀を尽くさないといけない。こういった徳目ですね、これは日本ではまあ家庭で教育を受けることあるんですが。神様として教えてもらうことはないわけですね。

で、日本の社会はですね10万人当たりの殺人件数をほとんど世界で最低という風にですね。大変に素晴らしい秩序のある国を作ってるわけですね。宗教戦争っていう数もですね、すごく少ないですし。

それからまあ東日本大震災の時に世界で話題になったようにですね、もうほとんど食料はないのにコンビニエンスストアでおにぎり一つを買うのにきちっと並んで買うとかですね。

それから北京であった義和団事件の時ですね、日本の部隊っていうのはもう軍律が非常に厳しくて、もう何も悪いことしない。これはイギリスのその時の軍人が見てですね、後の日英同盟に繋がったわけですね。

ですから日本人の道徳っていうのは、宗教なくして非常に高いレベルにあるわけですので。この20条の不信仰の自由とは何を具体的に言ってるのか。例えば、クリスマスの時にですね、キリスト教ってでもない人がクリスマスツリーを飾ることが悪いと言っているのか。これはもちろんキリスト教から見れば信仰の自由を犯してますよね。異教徒がキリスト教の行事やってるわけですから。キリスト教じゃない人が教会でイエスキリストの前に愛を誓ってもやっぱりいけないということになりますね。

それから家族そろって初詣に行くとかね。初詣何万人とかいうのもやっぱりおかしいということになりますね。そうなりますとね、まああの、自衛隊違憲ではないということを話しましたね。

それからどちらかというと表現の自由とか言論の自由憲法で定まっているのに、あまり守られていない。もしくは守る具体的手段がない。それはもし憲法がですね国民を守る手段として、政府に制約をしている法律なんだということを言われる人が多いんですけど。それじゃあ政府は現在のように国民が表現の自由とか言論の自由があまり発揮できない時に、それを補う法律を作ってるかっていうと、むしろ作ってないわけですね。

だからこの信仰の自由のような、アメリカ人が作ったからこれはわかる。外国人と特別な日本人だけに限ってこの条項が適用されるならば、やっぱりそれを書き入れるってなことは憲法としては必要でしょうね。

そういう点から言って、一体憲法改正って今は自民党で進めてますけどね。この憲法改正は何を狙ってるのか。そしてその批判だけじゃなくて、本当はどういうことがこの憲法にかけてるのか。戦後70年経ちまして、この憲法の下でどちらかというと不足してるっていうのは、実は憲法第9条でもなく。表現の自由の不足とか、それからこの信仰20条でもなく。それから非常事態宣言でもなく。全然別のところにあるんではないかっていうのが私の考えです。

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