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崩壊する日本(2)「トランプ大統領の起訴」 令和5年4月21日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

激動の地方選挙がありましてね。まあ、今日はちょっと時間がありまして、4-21崩壊する日本2番ですね。トランプ大統領の起訴と。日本が崩壊していくのに、そのことがよくわかるのは、一つはイランとサウジの国交回復であり、2番目がトランプ大統領の起訴ですね。

これは日本が今、アメリカと運命共同体みたいになってるんですが。というのは、日本独自で考えてですね、別にアメリカのアメリカ軍が日本に駐留しているからとか、日米安保条約あるから日本がアメリカと運命を共にしてるじゃなくて。日本にポリシーがない、政策も何もないもんですから、考え方もね。

本当は、アメリカの文明よりか日本の文明のずっとはるかに上なんですが、今は日本が非常に精神力が落ちてですね、頭脳の力も落ちたもんですから。結局、アメリカ追従になってるわけですね。

ある時に、トランプ大統領の顧問だった方が、ちょっと私に会いたいっていうんで、東京に行った時に会いたいということで、東京でお会いしました。トランプ大統領が選挙で負けた後でしたね。

日本では、トランプ大統領の郵送する票をバイデンと書き直したことを悪いと言ってるけど。確かにその通りだ。だけども、アメリカはまだ文明が300年しかない。300年しかない文明っていうのは、国民の中でこれが正義だ、これが悪だということのコンセンサスを得られない。

だから例えば、キリスト教が教えてくれるようなもの以外は、ほとんど何が悪か何が善かってことないんだと。

例えば、恩というものもないしね。恩を受けるということもないし。嘘をついていけないかどうかもはっきりしないしと、いうような状態だということを私にお話になりましてね。少し多めに見てくださいという話でしたが。

それでもね、アメリカの倫理が、道徳とか倫理、社会がですね、あまりに崩れると、それは日本に大きな影響を与えますね、現在。日本が日本の道徳でしっかりしてれば、日本文明でしっかりしてれば大丈夫なんですよ。

だけど、日本はもう何でもかんでもアメリカで追従すればいい。つまり、私が中央教育審議会で1回言ったことあるんですが。日本は優等生が劣等生に教えを乞わなきゃいけないんですかって僕発言したことあるんですね。

それは中央教育審議会である教育のシステムを、アメリカに真似ようとしたんですね。アメリカの方が日本の文明よりか劣っているのに、なぜアメリカの真似をしなきゃいけないかっていう質問ですね、私の質問は。僕は絶対そうだと思うんですね。歴史的に長く見てもそうだ。

ところが、今度アメリカの一地方の検事、ワシントンだったですかね。検事が、一検事ですよ、お金を大量に貰ってるって話はあるんですね。金を出したのがソロスじゃないかという噂もありますが。ええ、金をもらった検事がトランプ大統領を微罪で起訴しました。

微罪っていうのはですね、どういうのかっていうと、まああの、お金を人に渡したと。別に渡すこと自体は違反じゃないんですけど。法律に触れないですね。個人が個人にお金渡すとかありますからね。まあ税法上の贈与税みたいなのは生じるかもしれませんが、いずれしても刑法犯罪ではない。

ところが、その金が移動したものの処理をですね、自分のビジネスの範囲で処理をしたという嫌疑ですね。こういうこと似たことはしたことがあるということで、34件微罪を積み重ねましてね。これは重罪であるというようなことで起訴しまして。

もちろん、あのトランプ大統領は法廷に出て、全然自分は罪なく犯してないとか言っておりますが。これはね、非常にあの、アメリカの民主主義としては、非常に極めて崩れた例ですね。というか、アメリカのシステムを悪取りしたっていうんですかね。

アメリカはやっぱり、国民が何かを決めるというのが最上位にありますね。したがって、大統領選挙で大統領選んで、大統領に膨大な権限を与える。それで、トランプ大統領は別に違反をして大統領になったわけじゃなくて、正しく大統領になったわけですね。

ですから、こういうような微罪を上げて、トランプ大統領アメリカ全部の投票で大統領に選ばれたという重みと、今度の微罪で起訴するっていうのとは全くバランスが合いません。

それは、そのどんなに小さな罪でも大統領は起訴すべきだというようなね。罪を犯しちゃいけないんだっていうのはね、そういう非常に硬直的な民主主義っていうのは、非常に原始的な民主主義なんですね。ええまあ、もちろんそういうことをよく言う人もいますが。

やはり、選挙で選ばれるってことは、国民が一番正しいことを決めるわけで、司法が決めるわけじゃないんですね。司法はまあ、それが限度を超えたらね、大きな汚職だとか、殺人だとかそういうのは、やっぱりいくら大統領でも罪に問わなければいけませんが。お金のちょっとした移動の記載ミスなんていうのはね、そういうので元の大統領を起訴すると。

ちょうど今度選挙の前ですからね。大統領選挙の前ですから。明らかに選挙妨害ではあるんですね。じゃあこのトランプ大統領を起訴した検事が選挙妨害で、今度、逆に訴えられる可能性もありますけどね。

しかし、それは私はですね、そういうことよりかむしろ、トランプ前大統領を微罪で起訴するということ自体がね、非常に不正だと思います。これはね、なかなか人によって違うんですね。

安倍首相の時もそうでしたけど、安倍さんが森加計とか、桜とか、そういう細かいことでいろいろ失敗があったかもしれません。私は失敗かどうかわからないんですけどね。しかし、それによって日本政治全体を停滞させて、日本の経済なり日本の国力などを大きく損傷するっていうのは、それはね、国会とか司法を使って政治を妨害しるっていう風に僕には思いますね。

やっぱり、政治っていうのは国民の投票を第一にして、それを尊重しなきゃいけませんが。最近では日本でもね、国民の投票で選ばれた議員を、その国会議員が処罰するという。そういう処分するというようなこともありましてね。私は国会議員にはそんな権限を与えられてないと思います。

やはり民主主義の基本はですね、選挙で選ばれたということは、一応その人が正しいというか、犯罪人ではないってことも含めてね、そこまではやっぱり一応妥協しなきゃいけないと思いますね。たとえ、自分の意見と大きく違ってもそうだと思います。

その点で私このブログにね、昔、今から6年か7年前ですねトランプ大統領が当選した時に、アメリカのメディアとか、それからあれはサンフランシスコの大学でしたけどね、その偉い教授がですね、デモをしたりしてました。しかし、民主主義で選ばれた人が不適切であると考えるということが、もともと民主主義の原理原則に反してますし。それほど偉い人はいないってことなんですよ。

そんなに偉い人がいたらね、その時、あれニューヨークタイムズとか、大学の教授なんかが盛んにトランプ大統領に反対しましたが。そしたらね、もうそれはアメリカの民主主義自体を否定するわけですから、選挙しても無駄じゃないですか。これが次の大統領選挙にもずいぶん影響しましたし、またアメリカの現在のですね、道徳の乱れというのに大きく影響していると思いますね。

で、こういった道徳の乱れが起こりますと、その国は繁栄しません。嘘が蔓延しますからね。そういう点では、私は今度のトランプ前大統領の起訴という問題はですね、非常に大きい。つまり、日本の選挙で決まった議員を、議員が処罰するのと同じようにですね、それは処罰できないんですよ。もしできるとしたら、もう1回選挙をやるというのですね。

まあそういうのに関連言えば、例えば、選挙をしてもですね、35%ぐらいの投票率で当選した人はね、やはり辞退すべきでしょうね。というのは、選挙は極めて重要であって、国民主権であるから、国民の主権がちゃんと発揮されるように、気を配らなきゃいけないわけですね。

まあその、そうじゃないって人多いんですよ。いや、そんなことはね、司法と三権は独立だって言いますけどね。三権の中でも行政とか立法が一番上なんですよね。それはあの裁判官の任命なんかが、行政がするっていうことから見てもね、裁判には一定の限度があると考えるべきでありましょう。

ただ、この問題はむしろ、もう一つ深くてですね。ヨーロッパ文明というのが欠陥があるわけですね。それは普通の人間よりか、例えば、力がある、お金がある、知恵があるという人を上に置くんですよ。人間の偉さというのは、お金とか知恵とか力ではなくて、その人間が人間として立派であるか、人格が高潔であるかってことによるべきなんですね。

それは日本がそうなんですね。日本が偉い人というのは、嘘をつかない人ね。それから、人の金をせびらない人。それから、恩を感じる人なんですね。そういう点では、現在の日本の議員がですね、人の金ばっかせびってます。つまり、税金をね、我が物のように使うと。

例えば選挙公約で、例えば幼稚園は無償化するとか、それから、学校給食を無償化するなんて言ってますけども、これは権限を超えてますよ。というのは、議員っていうのはですね、そういう税金を自分の当選のために使っちゃいけません。当たり前ですよね。

しかし、自分の金を払ってね、給食代を全部、俺は金持ちだから給食代全部持つとか、幼稚園に行く子どもについては、自分が払うっていうのなら、それはいいですよ。だけども、それは人のね、人から徴収した税金を使うっていうのは、これはもう全然議員の範囲から逸脱してますね。

その点では、このトランプ前大統領の起訴というのは、アメリカの倫理が破壊していることであり。それが日本にも同時に発生しているということですね。非常に残念です。

日本の文明の方がヨーロッパ文明よりかはるかに上なのに、ヨーロッパ文明の方が上だと錯覚している人たちが、こういう悪い文明ですね、左右されてトランプ大統領が前大統領が起訴されるとともにね、日本の政治がますます劣化するということになり、それがしいては、日本の崩壊に現在結びつきつつある。

したがって、だからその影響を受けて、日本は30年前に世界で第2位だった国が、今は世界の第30何位にいます。やがて、あと30年後は世界の第70位以下に落ちてですね。日本人は何もできない民族になる。栄光な日本がね、それほど劣っていくかということは、極めて私としては残念です。

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崩壊する日本(1)「イランとサウジの国交回復」 令和5年4月20日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様おはようございます。今日は朝なんですが。朝にもかかわらず、少し暗いじゃないかって言うんですけど、日中は電灯が要りませんからね。これは反射光ですね。日光っていうのは本当に便利なもので、直射光のところ非常に明るいし、それから、反射光が部屋の中に入ってきますからね。それで生活ができます。

まあ植物動物もですね、直射日光と反射光で生きてますからね。太陽光発電なんかやったら、本当に日本の自然というのが破壊されてしまうと思うんですが。それもまあ、今日の話題に少し関係しますが、4-20でですね、いやどうしてもこれ早くやらなきゃないなと思ってですね。まだ科学のやつが残ってるんですけど、崩壊する日本ってことですね。イランとサウジアラビアの国交回復ですね。

いや実はね、今もう日本の政治っていうのはですね、自民党立憲民主党も含めましてね、もう日本をいかにしてダメにするかっていうんでもう全力を注いでるわけですよ。もう非常に完全に日本の政治のモラルがですね、崩壊してしまいましたね。完全に崩壊しました。安倍首相の亡くなったことも非常に大きく効きましたね。

今一番ですね、現在の日本のニュースの中で、最も重要なニュース。その重要っていうのは日本の将来に深く関係して、僕らの子供たち、我々自身ですね、我々自身というか20年後ぐらいのことですから、今の20歳の人は40歳、40歳の人は60歳ということで、子供ばかりでなくて、20年後の日本を決定的に決めるのが、このイランとサウジの国交回復というニュースでした。

これはものすごく大きなニュースでですね。もう毎日のように日本のテレビ新聞が報道しなければならない内容でしたけども、ほとんど放送されませんでした。それはすでに日本の政治家がですね、政治家とかメディアが、今起こってることと日本の将来というものを、ほとんど見ることができなくなったということですね。

このヒバリクラブの皆さんもイランとサウジの国交回復は、なんでそんなに重要なのって思われる方もいると思いますが。せっかくヒバリクラブをご覧になってるので、ちょうどね、いいチャンスだと思いまして。やはり我々は子供たちのためにもね、どうしても日本の崩壊を止めなきゃいけないと私は思うんですね。

それが、我々の技術が足りないとか、天変地異があるとか、我々の及ばないところで起こるなら仕方ない。しかし、これがですね、単にですね、腐敗なんですよ。政治の腐敗だけが原因して、日本が崩壊しつつあるわけですからね。メディアと政治ですね。メディアと政治の崩壊によって、実は、専門家とかそういうのも崩壊していったと。

しかし、専門家とか、お医者さんとかね、こういうのが崩壊してたのは、やはり政府とメディアの崩壊に引きずられて、意思の弱い方、人生は金だけと思ってる人がですね、共に崩壊していきつつあるって事ですね。

しかし、そういう悪い人たちに、我々の運命とか、子供たちの運命を委ねることできませんからね。私たち日本を大切にし、自分の人生を大切にし、子供を大切にするという人が結束したいと思いますね。

ええと、サウジとイランの国交回復が、どのように日本に影響があるかって言いますとね。アラブ世界っていうのはですね、まず第一に知らなきゃいけないのは、アラブ世界っていうのは、ほとんど全員が親日ということなんですよ。

もちろんトルコはもうものすごく親日であることはよく知っておられると思いますね。エルトゥールル号っていう遭難事件に対して、日本人および日本政府およびその漁村ですね。助けに当たった漁村や農村がいかに頑張ったか。これに対してもう本当にトルコの人たちはですね、それを忘れることなく、今でも日本を応援してくれてるんですね。私を何回かトルコに行きましたけど、本当にもうこんなに良くしてくれていいのかなと思うぐらいの歓迎ぶりでした。

そしてもちろん、イランもですね、非常にこう日本とあまりうまくいってない。つまり最近は日本が親米ですからね。イランとアメリカは悪いですから、だからイランはどちらかというと日本に反日であるはずなのに。しかし、やはり長い歴史でですね、日本人の我々の祖先の態度を見てですね、日本を尊敬してくれてるんですよ。親日なんですね。

それからもちろん、イラクフセイン大統領の時も非常に優れてたんですが、親日ですね。サウジアラビアももちろん親日です。民族的に言えばですね、イランというのはどちらかというとアーリア人系なんですね。で、サウジっていうのはアラビア系ですね。それから、エジプトがどちらかといったらハム族ですね。ちょっとずつ民族違うんですが、いずれにしても民族が違ってもですね、親日であることは間違いありません。

でしかも、油もすごく取れますしね。それからちょっと前までは、欧米の石油市場に完全に牛耳られておりましたけども。現在はサウジアラビアなんかもですね、トランプ大統領の時にはアメリカと協力してましたけども、バイデン大統領がもう非常にポンコツなんで、相手にできないよっていうことで、冷たい態度をとっておりますね。

少し前に選挙の前ですね、中間選挙の前に、選挙を有利にしようと思ってバイデン大統領がノコノコとサウジアラに行ってですね。油の生産を、石油の生産を増やしてくれってくだらないことを頼みに行ったんですよ。

サウジアラビアのことなんか全然考えずに、ただただ自分たちの中間選挙を有利にするためには、アメリカで売られている石油の値段を安くしたら自分に有利だと思って、それだけで行ったんですよね。

もう軽くはねられましてね。あそこには非常に腕のいい皇太子がおりますから。その皇太子にあったら、話をしたらですね。いや、そんなのダメですよって言われて、あっさりと引き下がざるを得なかったというね、失態を演じております。

それから、イスラエルとイランというのがですね、ほどなく戦争に入るんではないかという風に見られておりました。これは日本のメディアがあまり使えませんから、皆さんの関心を得てませんが、イスラエルとイランが戦争するというのは非常に大きな影響があるんですね。

というのは、あのトランプ大統領の時代にトランプ大統領が随分骨を折りまして、イスラエルとサウジが相当親密な関係になりつつあるので。これイランとイスラエルが戦ったらですね、どちらかというとサウジアラビアは今バイデン大統領が登場するまでは、イスラエル側に着く可能性があったんですね。

そうしますと、アラブが2つに分かれます。アラブが2つに分かれるって事も日本にとっては問題なんですが。もっと問題なのは親日のイランと親日のサウジが戦うってことですね。これは日本にとって大きな打撃になります。

ということで、どういう状態になるかなっていうのが非常に問題だったんですが。もちろんあの多くのヒバリクラブの方々は今の解説は何言ってんのっていうことかもしれませんが。実は日本はですね、やはり中東とは非常に仲良くしておかなきゃいけないし。仲良くしとかなきゃいけないっていう次元を超えてね、やっぱりトルコイランサウジとエジプトですね、この大国がいずれも親日であるということをですねようく理解してですね。

まあ小池都知事なんかもね、カイロ大学出たんだったらね、やっぱりエジプトと日本との関係にね貢献しちゃられないんですけど、何もやりませんよ。つまんないことばっかりやってて、自分の支持団体に太陽光発電の関係者からお金が入ったら、それで政治を切るようなそういう人ですからね。

まあ全部が今ねほとんどね、日本の中の政治家で本当に日本のことを大切だと思ってる政治家っているんですかねというぐらいです。まあ1、2私は頭に浮かびますけどね。1、2に浮かぶ程度になっちゃってるんですよ。

でまあだから、もちろんアラブに関係のある議員さんていっぱいいるんですからね。そういう議員さんが積極的に日本と中東の間を親密に保つと。これは損得でやっちゃいけないですね。石油を産出するから中東と仲良くするっていうそういう考えではなくて、もともと世界は親日の国と日本が親密にしてもらえなければですね、日本の存在価値がなくなりますからね。

アメリカも中国もあまり親日とは言えませんから。アメリカは親日ではないですよ。どちらかといったら反日ですね、分類すれば。ロシアはどちらかといったら親日ですね。だからあの、テレビ新聞が作り出した誤った情報で皆さん考えておられるので、親日反日の比較もね、あまりこううまく分類ができないと思いますが。

まずは親日の国と親しくして、日本の立場を上げとかなきゃいけないですよね。やっぱり外交とは力ですから。だから、このイランとサウジの国交回復はですね、非常に驚くべきことなんですね。完全な敵対関係でしたから。

今イエメンというところですね、これはアラビア半島の南の端の国ですけども。このイエメンで内乱が起こっておりますが、この内乱はサウジ側の軍隊とイラン寄りの軍隊の戦いですから、どちらかというと現在のイエメン紛争っていうのは、イランとサウジアラビアの代理戦争という意味を持っております。

これはね、イランとサウジが国交回復したからつって、イエメンの中の人たちの憎しみとかありますからね。すぐには回復しませんが、いずれにしても早期にこれも解決するでしょう。そうするとアラブはイスラエル問題だけになって、イスラエルが今ね、ヨルダンとかそこら辺を攻撃してるんでね。パレスチナについてもそうなので。

この問題ちょっとイスラエルがどうなるかわかりませんし。イスラエルはどちらかというと反日ですからね。本当はこれ違うんですよ。日本はですね、戦争中にシベリアまで追われてね。満州の国境に来た多くのイスラエル人を助けてますね。ユダヤ人を助けております。

常に日本はユダヤ人に対しては、もう苦境の時に助けておりますから。それをテコにイスラエル親日にしなきゃいけないんですよ。外交力が全くありませんからね。もう今の外務大臣なんて、もう何のためにいるのかよく分かりませんね。

そういうことで、今これが、これがだけど、イランとサウジの一つ重要なこと言うの忘れました。イランとサウジの国交回復を仲介したのは中国なんですよ。これがものすごく大きな問題なんですね。で、この中国が仲立ちをしてイランとサウジの国交を回復したということが日本に大きな影響があるんですね。

本来は、イランとサウジの仲介は日本がすべきでした。全くその力がありません。現在は外務大臣も外務省も政治家も全くその力がありませんが、本来はそうするべきであった。子供のためにはどうしてもそうするべきであった、ということをまず第1回目は指摘しまして、崩壊する日本をいかにして救うか。今日は基礎知識編ですから、これから少し進めていきたいと思います。

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ニセ科学(4)「人間の頭脳と合理性」 令和5年4月19日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様おはようございます。今日は大変に晴れて。東京の家の方にも帰ってまいりましてですね。久しぶりに2週間ぶりぐらいですかね。ちょっとゆっくりしておりまして。いつもの背景の部屋でやっております。

今日はニセ科学の4番目ですね。大変に素晴らしい議論を聞きましてね。4人の方の。それぞれよく科学というのを考えておられることなので。しかし、私と考えは違うんですね。考えが違うってことは、科学の範囲なんですね。

科学は宗教と違いますから。誰が言ったから、これを守らなきゃいけない、なんちゅうのはなくてですね。それぞれの人がそれぞれの頭で考える。これがまあ科学ですので。反論を許していただいて、私もニセ科学の4番目で、具体的には今度の疫病のこととかですね。それから、福島の原発事故の話をしたんですけども。

残りの2つですね、4-18と4-19はですね。より深く論理的なものですから、ちょっとこういうのを聞き慣れない人はですね、何言ってるかな、退屈だなと思われるかもしれませんが。人間は具体的なことと抽象的なことの2つから考える必要があるので、ここでは抽象的なことの2つ目ですね。

人間の頭脳には欠陥があります。これはこのちょうど頭の真ん中の方にある伝統的な脳に対して、大脳皮質ていうのは大脳の側の方に偏ってあるわけですね。この構造が非常に利己的な構造をしておりまして。自分が正しいと思ってることは正しいとかね。夫婦喧嘩の原因になるわけですね。それから戦争の原因にもなるわけですね。

こういったその自分の考えてることが正しい。じゃあ、自分が考えるというのはどういうことかって言ったら、やっぱりこれはね、特に大脳皮質では利己的になっちゃうんですね。この伝統的な脳っていうのはですね、6億年にわたる生物の生活の中で凝縮した知恵ですね。それが詰まっておりますので、6億年ですからね。やはり、いろんなことが詰まってて、私の感じでは、利他的なんですよ。

まあ私酪合とかですね。かけがえのない国日本なんていう本最近書いてるんですけども。そこで一生懸命言ってるのは、実はヨーロッパ文明が愚劣で野蛮でですね、日本文明が高度だってことはどこから生まれてるかっていうと、大脳を中心に物を考えるか、それはある程度この伝統的な脳に参考を求めるかというところに差があるっていうのが私の考えなんですね。

ヨーロッパもイエス様の時はですね、伝統的な脳を相当重要視してたわけですが、ええまああまりにイエス様を偉かったので、1000年以上思考が停滞しましたね。それの反動としてルネッサンスで大脳を活かそうってことになりまして、自己とか、自己実現とか、合理性とか、論理性とか、我考える我ありというようなことがどんどん出てきたわけですが、これらはすべて利己的ですね。

ですから、利己的に考えると自分の考えが正しい。ということはどういうことかっていうと、自分が合理的であるとか、論理的であるとか、考えることは全部利己的に合理的である、利己的に論理的であるということを言ってるって事ですね。

例えば、まあこういったニセ科学の議論でもですね。だいたい学者っていうのは俺が正しいんだと。お前は間違ってるんだってなるんですね。あいつの言うこと聞きたくないとかね。それからあいつはニセ科学者だとか。それはニセ科学者でも何でもないですね。あいつの考えは間違ってるも間違ってないんですね。ただ、自分と違うってことで。それを認めると、自分の権威が損なわれるとかですね。そんなことを認めるとって全部自分なんですね。

この頃あの若者でもですね、マズローのなんとか自己実現とかいう三角形かなんかが気に入ってですね。自己実現しなきゃいけないんだ。その自己実現しなきゃいけないんだということに疑いを挟まないというのが利己的なんですよね。あの自己実現を図らなきゃいけないと思った時に、自分が自己実現を図らなきゃいけないと思ったのは利己的なんじゃないかって一個考えてみなきゃいけないってことなんですね。

ていうのは、人間が正しいと考えることは利己的なんですから。ですから、それをまず考えてみなきゃいけないんですね。毎日の我々の生活を見ても、だいたいはですね、自分がそれしたら損するってなことをやらないんですね。損するで決めてるようなところがあるんですね。損する得するったら自分が得するか損するかですから。それを合理的に説明したり論理的に説明したりすれば、それで満足する。これはアメリカとかヨーロッパのやり方ですね。

ですから、ニセ科学っていうのを考える時もですね、再現性があるっていうのもこれは違いますよっていうのは前回十分に説明しましたから、再現性があるから科学とは言えないということですね、まず。それから、合理的であるとか論理的であるって事が科学ではない。それはどうしてかといったら、こっちの方は人間の頭脳に欠点があるんで、そんなことで我々の貴重な科学っていうのを汚してもらっては困るということなんですね。

そうすると、じゃあ何が科学になるんですね。一つは科学は手法であるということも言えるんですね。別にあの科学的というのがあるんじゃなくて、ニセ科学ってのがあるんじゃなくて、科学という手法にのっとっているということですね。手法にのっとってるっていうのは、どちらかというと自分の考えに対して検証手段があるかどうかということですね。

例えば、実験系の科学っていうのは割合簡単でですね。自分でこうだと考えたら、それを実験すると。実験がきちっと行われてる限りは、それが検証手段になりますね。私なんかも長い間物理とか物理科学やってきましたが、自分が考えてこれが正しいと。これまでの学問でこれが正しい。これまでの学問十分に学んで、十分にゆっくり検討し、式も解き、計算もして、これが正しいんだ、でも間違ってることが多いわけです。

間違ってるからこそ、実験というのが大事なわけですね。実験っていうのが自分が考えた正しいというのを検証するってことですね。ですからまあ、人生はこういうもんだからこういう生活がいいなんてのは人生が終わってみないとわかんないんで、検証手段がないんですね。

経済学がそうですね。経済学はまだ学問では、科学になってないなんっつって言いますとね。猛烈経済学者から反論が来ます。その反論のほとんどは、自分が経済学者だから経済学を貶めてもらっては困るって利己的な判断なんですね。本当にこう経済学の本当なのか。僕は経済学には実証手段がないから、検証手段がないから。

過去のものは検証手段ありますね。例えば、1929年に起こった大恐慌に関しては、こういう手段を取ったらこうだったようなことが分かりますので。一応検証手段があるわけですね。

ところが、経済学の多くは、将来を今年はどうなるかっていう検証手段を、今年はどうなるかということを考える時に検証できないんですよ。これはあの、トルストイの人間は何で生きるのかってのに書かれてるように、神様は人間に愛をくれたけれども、未来を予測する力はくれなかったというのがトルストイ流の文章で書かれておりますが。そういうことなんですね。

ですから、将来のことを科学はいうことはできない。これはヘーゲルがですね、ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔するという言葉でこれを表現しておりますが。私だけの意見じゃなくて、多くの人がですね、人間の脳には欠陥がある。だから、未来は予測できないし、合理的、論理的、科学的ということはないんだと、自分の頭で考える正しさにはないんだということですね。

そうするとですね、私が今科学って言ってるのは自然科学というのは物理とかね、数学とかそういうもんですね。医学はですね、科学ですから。これ検証手段もあるんですが。今のところ私の見解ではね、医学は完全には科学になってない。なぜかって言ったら、あまりに相手にする事象が複雑で、例えば、我々の物理っていうのはね、簡単なんですよ。わかるところまでわかればいいんですよね。だから割合と科学的なことがしっかりとなるんですけども。

医学とかまあさっき言った経済学なんかそうなんですが、対象物が決まってる。人間だとか世の中とかね。そうすると対象物が今の現在の科学のレベルで検討できれば、それはあの科学的手法なるんですけど。検討できないほど複雑であると、相当人間が偉くならないとダメなんですね。医学なんかそうですね。

ちょっとお茶を飲ませていただきますが、この咳はもうですね、40年来でありました。最初の頃はなんか肺炎かなと思ったんですけど、これだけ続いてるとなんか私の喉ら辺の欠陥があるんでしょうね。

ということで、検証手段がある。だから私はニセ科学の議論の方はいずれも立派な方なので、ニセ科学で議論されていることが間違ってると私言わないです。私と意見が違いますということです。考え方違います。

まあもう将来ね、ずっとやっていくうちに、やがてその人間の頭はですね、検証しながら、ニセ科学とは何か、科学とは何か、私は合理性とか、論理的とか、再現性とか、そういうの関係ないと言ってるし。それから、そのニセ科学のネットで出てた非常に優れた番組でですね、言われた化学とは再現性であると。論理的であるということが正しいかはやがて分かりますね。今のところわからないですね。

わかるっていうのは番人がですね、ある程度の人が万人が、あそうかという納得する、その手段とか、結果とか、そういうものがあるって事ですから。私のように、検証手段があるのが科学ではないかと。

従って、哲学が科学かどうかはっきりないってのが僕は前から言ってることで、こんなこと言うとまた哲学者がものすごい勢いで食ってかかってくるんですけど。食ってかかるってこと自体は科学的じゃないんじゃないかと思うんですよね。

あの科学っていうのは反論が許され、かつそれが議論し、合理的な手段とかね、論理的な手段で、ある程度納得性があるというものを積み重ねていって、そこに実証というものを加えて、成り立つというふうに私は思ってますね。

ですからまあ、私たちが科学的とか日常的に言うことは、まあほとんど科学的じゃありませんが。大学では自然科学、社会科学、人文科学、全部科学という名前をつけておりますから、その点ではまあ、大学ぐらいで研究したりものを考えたりする人は、やはり、検証手段を経たかどうかということを厳しく問わなければいけないと思いますね。

この世の中で、検証手段を経てないものがありますね。それはまあここで2つ例を挙げた疫病の件だとか、それから原子力の件なんかはですね、まだ検証を得てないんですね。ですから、科学とは言えないというふうに私は思います。

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ニセ科学(3)「科学は再現性があるか?」 令和5年4月18日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様おはようございます。今、朝なんですけど、ちょっと奥の方の部屋におりますもんですからね。光が入っておりません。この部屋はですね。

それとあの、昨日あの参政党のこのメンバーとズームをやったんですけど、私の顔が赤いもんですから、武田先生はお酒飲んでんじゃないかなんて言うですね、すぐ人のことを非難したい人いてね。焼けました。今、街頭演説なんか多いもんですからね。まあ、夕方帰ってくると真っ赤なんですけど。まあ、一晩経てば少しこう色落ち着くんですけど、それでもまあ随分焼けております。

ええと、何でもこの頃ね、こう人の悪いことをつくというのがね。気になるから普通に言ってるっていう場合もあるんで、別に神経質に考えてるわけじゃないんですけどね。人はいいとこと悪いとこありますからね。今のところ私お酒飲んでズームやったり、こういう収録したり、テレビ出たりすることないんですけど。そのうちにはそういう起こるかもしれませんがね。まあまあその人の平均を見て、判断をしていただくということはいいかもしれませんね。

ところで、今日はニセ科学の3番ですね。ちょっと理屈っぽいんで、もう嫌だという人もいるかもしれませんが。まあちょっと問題をやりますが。科学というものは、再現性がなければいけないということを言う人多いんですね。こういうこと言う人はですね、非常に優秀な人でも、科学は再現性があるとか言うんですけど。これは多分ね、あまり実験をされてない、もしくは非常に先端的な科学の研究はされてないような人が多いですね。

ていうのは、理屈で考えると科学は再現性があるように思うんですね。ですから、科学は事実ですから、自然の現象が多いですからね。自然の現象じゃなくても、社会科学とか人文科学ってありますが。まあ再現性があるっていうか、妥当性があるっていうかね、合理性があるっていうか、そういうことが求められてるような気がする人がいるんですよ。

特に科学哲学だとか、科学誌だとか、それから評論家ですね。こういったまあ、実務をやってない人は、人間の頭脳の欠陥っていうのがあまり認識されてないので、それであの科学は再現性があるとか言われることがあるんですね。これがなかなかうるさいんですよ。

つまり、人間っていうのは自分の頭で考えたことが非論理的であっても、それに気がつかないんですね。どうしてかといったら、人間の頭っていう自体が不完全なんですね。不完全だから実験が必要なんですね。論理とか頭で考えたことが正しければ、実験いらないんですよね。実験というか、いろんな検討いらないわけですね。

しかし、検討がいるとか、実験がいるっていうのはどういうことか。それから他人と話し合うことが大切だということはどういうことかって言うと、自分の頭で組み立てた再現性とか論理性とか合理性っていうのにですね、欠陥があるんですよ。それは人間の頭の作りの欠陥なんでね、仕方がないことですね。

でまあ、このニセ科学の科学は再現性があると言ってる人が多いんですけども。私はあのスタップ細胞で非常に大きな社会的問題になった時に、化学は再現性は、最終的にはあるんですが、そのことが正しくても、再現性が得られるのが100年、200年とかかることあるんですよと。だから、再現性がないから科学じゃなくて、まあいわば、1000年以内に再現性が認められなければ、それは科学でないと言ってもいいぐらいの感じだっていうことをずいぶん言ったことあるんですね。

そういう風に言っても、論理だからわからないんですね。だって、科学だから再現性あるじゃないかっていうもんですから。私が一つの例を、もっと少しいい例が思いつけばよかったんでしょうね。ある村があると、村の横に大きな森がありましてね。その森の中に鉄道の駅がある。もちろん、家からその村からその鉄道の駅に行くには2時間ぐらい歩いていくっていうような、そういう感じですね。そういうのを想定してみましょうと、ありえますよね。

広い大地に鉄道が走ってると。その昔はその鉄道の周りに家ができたわけじゃなくて、川のほとりとか、そういうところにその村ができますから、鉄道からかなり離れてると。しかし、その鉄道に乗らないと、とてもモスクワに行けないと。こういう村があったとしますね。

そうするとある時に、その電車が来る時刻がよくわからないと。まあそういうところですからね、まあ1週間にいっぺんしか電車が来ないと。これはありますよね。汽車が来ないと。そういう例を一つ取り上げると。それである人がモスクワに行こうと思って、トコトコとある日、汽車の駅に行くと。もちろん無人駅ですし、それから時刻表があるわけじゃないと。で、そこで汽車を待ってますと、午前の9時にそれに乗って、無事にモスクワに行って、仕事をして帰ってきた。その人が、どうもこの前あの汽車に乗ってモスクワに行ったら、午前6時に来たよってこう言うと。

それで、そうだってことが村に流れてですね。これはあの汽車は9時に来るんだったら、9時に行ったらモスクワ行けるんだったらいいじゃないかってことになって、次の人が8時頃から駅に行って待ってても9時に来ない。2時間待っても3時間待っても来なくて、もうお腹減っちゃって、それで午後の2時頃村に帰ってって、なんか来なかったぞって言うと。9時に来なかったぞって言うと。あいつ嘘言ったじゃないかとかね。それから、なんか今日はやってないんじゃないかとか、いろんな意見があった。

そして次の日というか、まあ適当な期間に行ってですね。そしてその汽車を9時にまた来ないと。やがてそういうことが続きましてね。それでもうあのあいつの言うことは信用できない。あいつは嘘つきだ。こういうことになったわけですね。

ところが、本当はそうじゃなかったんですね。その汽車っていうのは月曜日には9時に来るんですね。で、火曜日には6時間ずつずれるんですね。鉄道会社の方は考えましてね。9時ばかりだと午前中に乗れる人しか乗れないから、9時の次は6時間、午後にして午後の3時と。6時間ずらしましてね。それから、次の日はまた水曜日は夜の9時と。それから、木曜日は夜中の3時と。

夜中の3時なんか汽車来るはずないじゃないかと、そんなことないですね。国土は広いもんですから、その汽車がモスクワに行くのに1日ぐらいかかりますんでね。従って、その村に午前の3時、丑三つ時に来る汽車も、ある街ではちょうどいい時間に来ますからね。ですから、そういうダイヤになってて、月、火、水、木と週に4日間運転すると。それで時間は9時、3時、9時、3時という風にその村の時刻はそうなってる。こういうだったわけですよ。その汽車は。

そして最初の人は偶然に、ノコノコ出かけていったら月曜日だったもんだから、朝の9時に来たので運よくそれに乗ってモスクワに行ったわけですね。でそのまま、その人は正直に言ったわけですね。俺、駅に行ったら9時に来たよという情報を伝えただけなんですね。しかし、それは再現性がないわけですよ。

再現性があるかどうかはですね、その駅にまあみんなが代わり番こ、規則正しく、なんか時間をずらしながら行ってね。ノートをつけるということをすればね。ああ、あの汽車っていうのは1週間に月、火、水、木しか運転してないで、しかも時間が6時間毎ずれるんだと。で、それを鉄道会社に聞いたら、いろんな都合の人がいるから、そういう風にやって運転してるんだってことがわかる。でそれが分かった時点でやっと再現性が得られるわけですね。

つまり、それがわかったら、今度は火曜日に出かける人は今日は3時だから2時頃駅に行くか、こういうことになるんでね。全員、ああ再現性があるって事になるんですね。

このことは何を言ってるかって言いますと、科学だから再現性があるわけじゃなくて、事態が全部わかったら、再現性があると言った方がいいんですね。再現性がないから科学じゃないんじゃなくて。再現性がない理由はいっぱいあると。そのうち、科学的な手法でやって再現性があるのは、全体が分かってからなんですね。

これ私もうずっと実験系の物理科学をやってきたんですけども、再現性はなかなか難しいんです。なぜといったら、ある実験をしたらね、その実験の結果を決める要素が最初わかってないんですよ。温度だとか、純度だとか、夾雑物、混ざってるもんとかね。それから、なんか1回収率が上がっても、また下がるとかいうのもありますしね。いっぱいあるからですね。

その研究をずっとしているうちに、ああそうか、例えばこの反応はとか、この材料はということになるんですね。それはもう常にそうで、別に珍しいことじゃないんですね。科学としては、科学はしょっちゅうそうなんですね。

ですから、そういう現場を多数経験した人はですね、科学に再現性があるとは言わないわけです。いやいや、最終的には再現性ありますよと。研究が終わった時に再現性があるだけで。途中では、ちょっとねっていう感じなんですね。それがあのスタップ細胞事件の悲劇を生みました。

なぜかといったら、まず科学を知らない人が、科学とは再現性があるとか、科学は合理的であるべきであるとかいった人間の頭で考える、そういうことに左右されましたね。

だけども、人間とはそれほど頭良くないですよ。今の鉄道の例がお分かりになったかどうかわかりませんけどね。暗中模索で、よくあの群盲象を撫でるってあるじゃないですか。あれなんですよ。

大きな象を群衆が撫でると。足を撫でた人はなんか太いもんだなってことになると。鼻を撫でた人はなんか長いもんだなってなると。それから、尻尾を触った人はちっちゃいもんだったよという。そういうふうにですね、群盲が、目の不自由な人が集団でっていう意味ですけどね、象を撫でても、撫でた場所によって印象が違う。だから、象を全部撫で終わらないとですね、象というものがどういうものだかわからない。

しかし、最初に撫でた人が象の足を撫でたとしますよ。いやなんか太くて丸いものだったなっていうのはこれ嘘じゃないんです。科学なんです。だって観測したら、太くて丸かったんだから。それ全然間違ってないんですね。

だけど、全体像がわかるまではそれは再現性がない。次の人が行って、たまたま撫でたところが鼻だったら、あれはね結構そんなに太くないよ。長くてニョロニョロしてたよって言うでしょうし。胴体を撫でた人は壁みたいだったよって言うでしょうし。尻尾を撫でた人はひょろひょろして細かったよっていうはずなんですね。

つまり、自然現象とかですね。それから社会現象もそうですけども。そういうことを科学する時には、私は再現性はなかなか大変だと。合理性をなかなか大変だと。最終的にそうなった場合は、科学でも再現性がある場合に到達するし、合理的になる場合もある。理性的になる場合もある。という風に言うべきじゃないかと思いまして。この非常に高級な議論でしたけども、やはり実際に実験してない人だからと思いますけどね、人間の頭で考えることは間違いがあるなという印象を受けました。

でも、失礼いたしました。ご気分を壊したかもしれません。

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ニセ科学(2)「福島の風評」 令和5年4月17日_文字起こし

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武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええ、今日は2000科学の2回目ですね。その非常にレベルの高い方々6人ぐらいが議論されておりましてね。最初はまあ1人の方が説明して、とてもあの刺激的でした。こういったものを聞けるっていうのは本当にネットが素晴らしいなと思いますが。

私の考えと少し違うところありまして、1回目はワクチンのことをちょっとお話しましたね。医療行為というのはどの範囲なのか、医者の医療行為ができるというのはどういうことなのかということをお話しましたが。

今日は2回目ですね。福島の風評についても書いてみました。放射線ですね。あの頃僕もすごく叩かれましてね。1年1ミリシーベルトとか言ったらね。1年1ミリシーベルト男、武田邦彦とかね、言っておりまして。ずいぶん批判されましてね。だいたい物理の人とか原子力の人は、私の発言は非常に勘に触ったようなんですね。

ある人はこう言ってましたね。武田は言葉が多いと。言葉が多い人はジンが少ない。仁というのは人格ですね。人格が低いという風に僕を激しく週刊誌で批判した人もいました。やや感情的だなぁと思いましたね。その感情的なのは、福島の事故の恐ろしさ、事故が恐ろしいので、逆に言えば安全と安全だって言ってるように僕には聞こえました。

今日これはニセ科学という視点でね、話をしたいと思うんですけども。私が福島のことを言ってですね、1年1ミリシーベルトとか、放射線気をつけないといけないとか、それから個別にはね、色々な妊婦の人とか、そういう人に相談乗ったのは、なぜ乗ったかっていうと、科学はですね、私の考えでは2つあるんですよ。

学問の自由が発揮されるような科学とですね、世間との関係ができて学問の自由を発揮できない科学と、2つあるとこう思ってるんですね。私が間違ってるかもしれませんよ。間違ってるかもしれませんが、私そう思ってるんですね。

学問の自由というのが保証されておりますが。これはまあ一応ですね、定義を調べればすぐわかりますけどね。内的、精神的自由に限られるっていうのが原則なんですね。つまり、学問的なものなら何でも自由にできるんじゃなくて、それが内的、精神的なもんじゃなくちゃいけないっていう、限定条件がついてるんですね。

これの説明でよく使われるのが安楽死の研究ですね。ある医者とか医学者がですね、やっぱり人間苦しい時に、安楽死しなきゃいけないじゃないかということで、安楽死の研究をする。これはもう全然構わない。人間に対して、どのくらいの青酸カリを投与すれば、一番楽に死ねるかとかね。病気してる人に対してはどうなのかということを、研究するのは全然構わない。それ学問の自由なんですね。

それをそれじゃあ目の前にいる非常に苦しんでる人に、医者が安楽死を施したら、これは刑法で罰せられるんですね。なぜその違いがあるかって言ったら、学問は社会に対して具体的な影響を与えてはいけないんですね。

これ僕はまあずいぶんこうグラフを書いて、グラフっていうか表を書いてますし。理由も説明して本も、正義とは何か手本の中にですね、これ小学館から出してもらって、講談社だったかな、そんなところなんですけど、そこにようく詳しく書いてあるんですね。

何が学問の自由が許されるかってことなんですね。だから例えば、地震予知の研究といくらやってもいいんですが、具体的にどの場所に地震が来そうか来ないかっていうことを発言すると、これは罰せられますね。

ていうのは、それは社会人の関係ですから、この福島の放射線の場合どうかってことなんですけども。私は非常に学者と言われる人たち、専門家と言われる人たちが学問の自由を逸脱したと思います。

厳しく言えば、福島の事故で大したことないよとか、福島に住めるよとか、そういうことを自分の判断、自分の学問的判断で言った人は学問やめたほうがいいですよ、僕に言わせたら。放射線の防護というのはですね、特に産業的な防護というのはですね、もう法律とか、規則とかそういうので決まってるんですね。

だってこれは常識になることですが、何か危険なものを取り扱う工業があったら、その危険なものから、どういうものが漏れちゃいけないとか、漏れるの範囲はこうするとか。それから、地元に対してはちゃんとした正確な情報を伝えなきゃいけないとか、そういうことは法律で決まってることなんですよ。

その法律を決めた人はね、あるいは学者かもしれません。しかし、1回決まってるものはですね、例えば1年1ミリシーベルト、1年1ミリシーベルトの被ばくというものが決まってたりですね。だから職業的に被爆する人の限界は20ミリシーベルトであるとかね。そういう決まってるものは、それから土壌もそうですね。土壌は1平方メートルあたり4000ベクレルだったかな。ちょっと今もう忘れましたけど、そういうのみんな決まってるんです。

それ当たり前のことで、危険なものを取り扱う工業はですね、工業を創業する側に、社会との合意を得て、そして、それが守るように決まってるんです。これはもう化学工場であれ、毒薬とかそういったものを作るところであれ、日常的に使う洗剤を作る工場であれ、全部規制は決まってるんですよ。

で規制っていうのは、事故が起こったら変えちゃいけないんですよ。事故が起こったから変えなきゃいけない。今頃洗剤の会社がね洗剤作ってたと。で洗剤を排水溝に流す基準が決まってるという場合ですよ、例えばね。その時に、事故が起こる前はちゃんと規則守ってたけど、事故が起こったらもう守れなくなったと。じゃあ、流していいよってことにはならないって言ってるんですね。

それはある洗剤の学者が洗剤と健康についてものすごく研究している権威の人でも絶対言っちゃいけない。それはどうして言っちゃいけないかって言ったら、必ず事前に決めておく必要のあることであり。それは社会的であって、学問の自由とは関係がないってことなんですね。それは当たり前のことでありますね。

で、私は法律を守れと言ってるだけであって、法律があるにも関わらず、自分が偉いような感じになって。今日もそうでした。ちょっと私ね、これはちょっともし面と向かったら、ちょっときちんと反論したいんですね。いや皆さんが、そこに今日出てた人が、物理の専門である人も多いし。それから見識のあることも確かにわかる。あなたは非常に学問的に偉いと。学問的に偉いからといって、法律の規定を変えちゃいけませんっていうことなんですね。

それから、まあ例えば胎児の問題なんかもあるんですが。これはちょっと、もしかしたら今日議論してる人は知識が足りなかったかもしれませんが。一応国際的な合意ではですね、孫の代までDNAの影響を見るということになってますんでね。なってるものは、やっぱりこのブログでも何回か書いてますが、ちゃんとそれ学者が守らんといかんですよ。

やっぱり学者はね、特に大学の先生はね、普段からちょんちょんされて、やっぱりあんまり批判されませんからね。だから自分が偉いと思ってるじゃないですかね。法律に決まってることも変えられると。そんなことないんです。

それは学問の自由を著しく歪めますからね。もし1回歪めば、その後その人が発言することは学問とは見なされません。社会的行為とみなされますので、社会的行為の範囲で罰せられますね。

例えば、1年1ミリシーベルトって決まってても、いや放射線ていうのはね、ここら辺にあるんだと。日本でも1年1ミリシーベルト以上の地域があるんだと、自然放射線で。だから、別に5ミリシーベルトでもいいじゃないかなんて言ったらね。その人が病気になった時に、それを発言した学者は病気になった人の生活費から何から、それから命を取り返すとかね。それできませんがね、人間は。それやらなきゃいけないわけですね。

ですから、この事故が処理が終わって、全部終わったら、改めてね、その福島の事故について、規定がおかしいと。武田は1年1ミリシーベルトと言っているけどそんなことはないと。1年1ミリシーベルト平気だと言うんであればね。事故の処理が一段落してから、研究会を持って、そして、放射線の制限は今のものは不適切であると言って議論するならいいですよ。

だけど、1年1ミリシーベルトなら、1年1ミリシーベルトと決まった経過というのはね、1980年頃から国際的に議論に議論を重ねて、1990年にだいたいこれで行こうと国際的にも決まったもんですから。それをね、自分が放射線に対して力があるとかね、あの頃なんかそういうのがいっぱい出てきましたよ。

放射線に当たった方が健康になる。いや、そういうもちろん考えはいいんですよ、学問的に。それが社会に影響のある形で発言しちゃいけないってことです。私は自分も実は判断があるんですよ。あるけども言わなかった。それ言っちゃいけないからですね。絶対に言わなかったんですね。これを社会は理解してないので、かなり非難されましたけどね。

ということで、もう一つは、例えば風評ですね。風評って言っているのが、本当に風評なのかってことですね。風評っていうのは起こりえないんですよ。つまり、法律に違反してないものは風評っていうかな、いけないと言えません。で法律に規制しているもの以上をもし垂れ流したりなんかしたら、これは風評ではなくて実質的に犯罪ですね。

ですから、風評っていうものが生じるのはなぜかって言うと、実は、福島の農産物とか、福島の土壌の汚染度を発表しなかったんですよ。発表しなかったっていうのは、非常に理屈があっていることはあってるんですね。

例えば、福島の野菜とか、お米は当時相当汚染されてました。今でも汚染されたことあります。じゃあ汚染が例えば、許されるのは100ベクレルだとしますね。そしたら30ベクレルっていう表示はしたら安全だってことなんですけど。みんなが30ベクレルて言ったら、ゼロベクレルのものを買うんですよ。この問題があるんですね。この問題をあの時克服できなかったんですよ。これは法律の不備なんですね。

つまり、例えばね、食品が100ベクレル以下なら大丈夫だと、売れるというふうに決まってても、食品というのは他に比較するものがあるもんですからね。100ベクレル以下の90ベクレルってやつを福島から売りに出そうとしたら、30ベクレルっていうのが他の県から出てきますよね。もちろん汚染されていまえんから。さらには、ゼロベクレル全然汚染されてないって野菜もどっかから出てきますよ。

そうすると、そのゼロベクレルから売れていくし、値段もゼロベクレルが高くなるので、その汚染された野菜だとか米とかそういうのに、汚染度を表示しなかったんですよ。だから、風評が起こるんですよ。だから、風評を起こしてるのは、現にその福島に原因があるんですね。福島を管理してた、食品を管理してた人たちに原因があるんですね。

これはまあ、法律の不備だったかもしれません。つまり、実質的に80ベクレレとか、30ベクレルとか表示すると、売れなくなっちゃうっていう問題は、今法律では全く書いてもないし、規定もしてないんですね。ですから、これが噂を呼んじゃって、風評を大きくしたんですね。

ですから、今は政府寄りの人とか学者は風評被害風評被害、マスコミも言ってますけど、全然風評被害ではありません。実質的に、消費者は汚染の程度を知ることができなかったんですからね。やっぱり、常に学者とかマスコミはね、やはり、食品なら食品を食べる人の身になってね、考える必要があると思います。そこにもしも、マスコミとか専門家が頭がいい人たちであれば、その頭の良さは人間を大切にするという方向に向けてほしいというふうに思います。

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ニセ科学(1)「反ワクチン」 令和5年4月16日_文字起こし

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武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええと、背景でお分かりになるかもしれませんが、久しぶりに家に帰ってきまして。今日1日だけですね。ちょっと私の研究会がありまして、ちょっと街頭演説の方はさぼらせていただきます。大変今日は重要な日なんですけど、研究会がずっと前から決まっておりましてね。仕方がないもんですから、そっちを優先させていただきました。

今日はですね、ちょっと挿入します。科学教室を始めたばかりで別に謝るわけじゃないんですが、ニセ科学に関するですね、討論会みたいなやつを聞きましてね。前からまあよく時々ご意見を聞いてる大阪大学の先生とか、それから、その他の京都大学の坂東雅子さんのチームの方とかですね、まあそういう方のいろいろ科学に対する考え方を今日は勉強いたしましてね。

その中でちょっとだいたいはもちろん意見同じなんですけど、じゃあちょっと違うとかありましてね、それも結構重要なところが違うんで、またこれをですね、ヒバリクラブでお話をしたいと思いました。

まあ、ネットは素晴らしいですね。まあ到底今までの商業的テレビっていうか、NHKも入れましてね、こういうレベルの話を聞くことはできませんので、とても参考になりますね。

ニセ科学の議論を聞きましてね、特に反ワクチン。ワクチンに反対してる人たちが、非常にニセ科学的である。まあ理解してないところもあるけども、ニセ科学的であるというお話をされておりまして。それも具体的にですね、特にあの子宮頸がんワクチンについてとかですね、今回問題になったようなワクチンについてもですね、いろいろお話をされております。

いずれにしても、ワクチンは無害なのに反対してるチームがいて、その中にはデータを自分で捏造したりしてる悪い人たちもいると。だから、まあむしろ社会運動としてはある程度納得できるところもあるけれども、科学としてはニセ科学の部類だというふうに言っておられます。

で、これについて私ちょっとですね、考えが違うもんですからお話をしたいと思いますが。ワクチンのことをじっくり調べますとね、最初の出てきたジェンナーの頃からですね、それから天然痘についてワクチンは非常に効いたという、天然痘撲滅にはワクチンが効果があったということとかですね、今までの世界のワクチンの研究の例ですね、それをずっと勉強しますとね、私はあの哲学がまず大事だと思ってるんです。

ワクチンが科学であるかとかね。反ワクチンが社会的におかしいとかですね。そういう議論の前に、我々科学者はですね、私科学者として発言するんですが、科学者はですねこのワクチンについてやっぱり、もう1回よく反省しなきゃいけないと思ってんですね。

それはワクチンの副作用とか、そういうことを言おうとしてんじゃないんですよ。すぐそういうふうに誤解されてですね、こうBANされたりしますが、私は科学者ですからね、ちょっと視点が違うんですよね。

私はね、医療っていうのはどういう時に許されるかっていうとですね。今までの医療の概念っていうのは病気をしてる人を治すというのでですね、ほぼ固定されてるんですよ。

で、例えば私が考える医療っていうのはですね、まあ今まで世界で医療と考えられてるものっていうのはですね、病人を治す。だから注射が許される、もしくは診断すらそうですね。なんかわけのわかんない医者という人がですね、はいあのちょっと着物脱ぎなさいって言ってですね、聴診器と当てたりして、あれ失礼なことですよ。ね、実に失礼ですね。

我々お医者さんの前以外で胸をはだけて、そこに聴診器を当てられるなんて屈辱は味わわないんですが。もちろん、注射っていうのはね、あれ障害行為ですよ。だって針を体に刺すんですからね。絶対障害ですよ、あれ。だけど、それが許されてる。

医者が注射をしたりね、それから、はいあの着物脱いで胸を出してくださいなんてこと言えるのはなぜかって言いますと、私が病気してるからなんですよ。病気をして助けてくれと言ってるからなんですね。本人が助けてくれて言ってるから、病気でもですね、家で寝てなんかそのまま直すっていうんだったら、医者んとこは行かないし。あの胸をはだけろったって、はだけませんよ。それから、注射嫌だって言いますからね。

ですから、これはあの社会的にはですね、どういう立場かっていうと、医者という専門家が専門家んとこに尋ねてきた病人を治す、時には手術もする。手術をするってことは、医者が手術ができるとか体にメスを入れられるっていうのは、その来た人の命とか苦しみを治すためなんですね。だから、医療行為が認められてるのは、病人に対してなんですよ。

で、これはこれから変わってもいいんですよ。全然変わってもいいし、もうすでになし崩し的に変わってるところもあるんですね。例えば、健康診断とか、それからワクチンとかですね、予防医学と称するものですね、これを逸脱してるわけですね。逸脱するのもいいと思います、私はですね。

究極的な目的は、これ間違えないでくださいね、私ここ反対してんじゃないんですからね。何でもこの頃2つの黒白に分けてね、全く動かしちゃダメよと。これいいの悪いのって言ってるけど、これは科学ではありませんからね。科学っていうのは、ちゃんと考えるのが科学ですね。議論も冷静にできるのが科学ですから、そこ間違えないでくださいね。

で、これレッテル張りがあるんですよ。実はね、今度ちょっとしばらくね、このヒバリクラブのコメント欄をやめようと思ってますね。あのいつも楽しみに見てるんですけど、なんか意図が違う人がいるんですよ。結構多くね。文句つければいいとかね。なんかそういう人たちがいて、なんかね、それはもう前向きじゃないから私嫌なんですね。読むのも嫌なんですね。

だから、それもありましてね。せっかくご協力してくれてる人もいますので、悪いんですけど、やっぱり物事は前向きじゃなくて嫌なんで、ちょっとあのこのコメントを出してくれてる人ね、ヒバリクラブやってくれてる人と相談しますが、一応一時コメントをやめようかと思ってます。

それと同じようにね。ワクチンのこと私が話すとね、お前は反ワクチンなのかとかね、レッテル貼るとか。お前は医学を知らないのかとかね。お前材料工学なんか他のことは黙ってろとかね。そういうことを言うとね、もう何が人間生きてんだかわかりませんからね。

私はまあもちろんがんの研究もしてますしね。医療の研究もしてるし。それから人間という物体がどのように劣化するかっていう、これ高分子なんですよ。これ材料なんですね。人間の体って材料ですから、材料の劣化っていうのは僕が多分、専門学会誌では一番多く論文出してると思います。こんなこと言いたくないんですよね。学者は何でも一応勉強しとかなきゃいけないわけですから。だけどまあね、そういうことです。

私がワクチンのことを言ってるんですが、何を言ってるかって言ったら、私はですね、この際ですね、ワクチンがこれだけ使われるようになったし、将来は有望かもしれない。医療としてね。だからこそ、元気な人に治療とか医療行為は許されるのかっていう、この哲学問題は僕引っかかってるんですよ。

今までは原則が決まってたんですね。その病人を病気になってる状態よりか良くすることができれば、例えば、まあなんかで死ぬ可能性があるから、もう大手術しても直そうとかね。まあそういうことが基本になっていると、僕は考えていたわけですね。ですから、メリットとデメリットがちゃんと釣り合ってると。それを簡単に僕は言ってたのは、医者が注射をしても、傷害罪で訴えられないのは、病気を治すことができるからだと。それから、患者さんの合意も得てるからだと、いうふうに言ってたわけですね。

だから、これはワクチンの場合ちょっと当てはまらない場合があるんですね。健康な人に注射をするっていうことなんで。これは今までの医療行為の概念と違うもんですからね。それをまず、はっきりさせた方がいいっていうのが僕の一つの考えなんですね。

それから、薬ってのは基本的には副作用があるんですが、ひどい時は死ぬ可能性もあるし、麻痺なんかする可能性もあるんですけどね。それは、病気の持つ危険性に対して、治療の危険性が何分の1以下だったらっていう規則を決めた方がいいと思うんですね。そうするとまあ訴訟なんかなった時もすっきりしますよね。

だから、そういったものをどういう風に考えるかっていうことですね、最近では、血圧が厚生労働省が決めた血圧の基準を上回ってた人に対して、医者は血圧降下剤を出さなきゃいけないというな、慣習化しつつあるんですけど、これもどうだかわかんないんですね。これはまだ本人は病気じゃないんです。だけども、近代医療としては予防のために血圧を降下させておいた方がいいという考えもあります。

ただ、血圧は標準的に年齢プラス90がいいという医学もすごくありますからね。ですから、血圧降下剤を出すということは、医療行為じゃないかもしれないんですよ。単なるお医者さんが金儲けのために、血圧降下剤を出してるとしたらね。それやっぱりそっちがニセ科学なんですよ。

私に言わせれば、そういうことをちゃんと決めずにですね、医療行為じゃないのに医療行為をすると。医療の幅を広げるなら、その哲学がいるんですね。元気なんですからその人はですね。

だけど、例えば、近々インフルエンザにかかるだろう、確率はよくわかんないけどだろう、だから本人が了承してなくても無理やりインフルエンザワクチン打つとかね。それじゃあちょっとね、僕弱いと思うんですよ。

これワクチンを推進する人にも良くないことだと思うんですね。ワクチン推進とか半ワクチンとか関係なく、僕の言ってることはね。やっぱりちゃんとした社会のルールっていうか考え方とか哲学をね、ちゃんとした方がいいってことなんです。

なぜこれを言う気になったかって言ったら、今日すごくね、優れた人で本当に誠意ある人が胸筋を開いて議論されてました。ですから、全然悪い気がしなかったんですけども、そこでワクチンのこと話されてる時に、患者が病気でなくて、患者が同意しなくても、ワクチンを打つべきだというようなこと言っておられましたんでね。

これやっぱりちょっと科学とはいえないじゃないか。それこそエセ科学じゃないかと思いましてね。ワクチンはエセ科学からちゃんとした科学にするために、だから前向きなんですよ、ワクチンに対して前向きなんです。これ間違いないでくださいね。何回も言いますけど。

なんか人工知能でワクチンという言葉が入ってたら弾くなんて、あれ嘘だと思いますよ。あのワクチンを推進してる人のものはBANされてませんからね。内容をちゃんと理解してほしいんですね。僕の言ってるのはもう1個難しいことですからね。

医療行為の中に予防医学とかそういうのを入れるんであれば、なぜそれができるのか。それは医者にも権限を当てられておりません。私はそう考えてますね。医事法とかなんとかじっくり読んでみますと、これまでの医学もそうですけどね。

相手が元気で、健康で、かつ相手が承諾してない行為を、医者だからといって無理やりやるって事は、もうこれは一応、今のところの哲学では許されていない。これをもう1回考える必要がある、というのが今日の私の話であります。

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科学教室:続編(1)「太陽光発電は何をもたらすか?」 令和5年4月15日_文字起こし

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武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

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ヒバリクラブご覧の皆様おはようございます。

ええ、今日は兵庫市のですね、ホテルで朝起きまして。部屋の中は明るいんですけどね。なんかこのパソコンの画像は今私に見えるのは暗いんですよ。で、いろいろこれ光をですね、室内の光を調整したり、窓のカーテンを変えたりいろいろするんですけどね。なかなか照明とか音声というのは難しいですね。むしろ画像よりか照明、音声が難しいかなって気が、まあこれはテレビに出てる時もそう思ってたんですけど、そんな風に思いますね。

今日は久しぶりに科学教室の続編ですね。やはりこのヒバリクラブで、あんまりバラバラにやるのも嫌だし。そうかといって、まとまってあんまりこうまとまってくるとしこるもんですから。まあ3回か4回やりますとね。他の話題になりたくなってしまうんですね。そういうことで我慢しておいてください。

今日は太陽光発電は結局何をもたらすということですね。でこういった問題を、その科学として私が話さなきゃいけないというのはなぜかっていうと、ほとんど世の中が御用学者、御用専門家になっちゃったからなんですね。

それはまあ、学者の方にはもちろん責任がありますよ。学者っていうのはどんなに自分に不利になろうと、自分が専門とする学問に忠実であるということが学者の生命ですからね。

その意味では、研究費とかそういったものが来るとか来ないかで判断しちゃいけないんですが。まあ、やっぱりこれはね、私も大学にいましたけどね、普通は助教授から教授に上がるには、御用学者になるしかないシステムなんですね。

そういうシステムを作った政治家か、官僚か、国民かが悪いんですね。これを促進したのが、まあもちろんいつものことですけど、メディアなんですね。

1990年代に、まあ大学の先生をものすごくマスコミを避難したんですね。特別な先生を出して、そこにスポットライト当てるんですね。全然研究しないじゃないか。教授室が四畳半化してるんじゃないかとかね。もうそういうことを山ほど書きましてね。

それで役に立つ研究だけに絞るべきだ。税金を使ってんだから。こういう話になって、役に立つ研究っていうのは何かていったら政府が決めた研究なもんですからね。ですから、太陽光発電ですと、太陽光がいいという学者しかテレビも出ないし、研究成果も上がらないし、教授にもならないということになるんですね。

ええとまあ、そういう御託は別にしてですね、太陽光発電何もたらすかって一番大きなのは自然を破壊するってことですね。自然でも特に、動物、植物ですね。私たちは寒ければ石油を焚いて暖房をとるとか、暑ければ電気を使ってクーラーを回すとか、野菜もそれで煮れるとかね、肉を焼けるとかなるんですけども。動物は石油も使えないし、もちろん原子力発電所も使えませんので、結局、動物、植物の命の綱っていうのは太陽の光だけなんですね。

太陽の光は皆さん溢れてるように思いますが、動物、植物の数というのはですね、太陽の光とか、川の流れ、風の強さで決まってるんですね。こういったエネルギーを頂かないとですね、いけないんです。その中でも特に太陽の光は直接、まあ皆さんが中学校ぐらいで習った光合成の量に関係しますから。

もう一つちょっとこれ皆さんが誤解してるのは、直射日光と反射光との関係ですね。これは簡単に言えば、昼でも部屋の中は何で明るいの。昼は部屋の中電気つけなくてもなんか生活できますよね。それはどうしかったら、反射光なんですね。反射光っていうのは結構多いんですよ。

もうそういう細かいこと別にしたらですね。太陽の光から人間が電力を取ると、その分だけ動植物は減ると、こういうこと言えるんですね。

それで日本が一番、世界的には良くないんですよ。つまり先進国であってエネルギーの使用量が大きくて、そして人口密度が高いと。だいたいヨーロッパの3倍ぐらいの人口密度ですからね。まあこの数え方も難しいんですけど。従って、日本が世界で一番、太陽光発電をやるのが不適切なところなんですね。

まあ今太陽光発電所を作って会社をやるのは中国の会社ですけども。中国なんかはあまり人が住んでないところが多いんですね。そういうところに自然に影響ないように、太陽光発電を置くことができます。まああの中国とか、中東とか、砂漠地帯とか、アメリカとかそういった広大な国はですね、まあ一応あまり今のところはですよ、将来はわかんないですけど。今のところはあまり自然に大きな影響を与えないで、太陽光で発電することができる。

日本が一番ダメなんですよ。日本っていうとね、ほとんどね、林を切るか、田畑の上に置くかってなっちゃうんですね。実際上そうですね。で、日本人はなぜそんなことやってんですかね今。なぜそういう日本の自然を破ることやってるんですかね。しかも、太陽光発電を推進してる人はみんな環境を良くするって言っているんですね。環境を良くするために、今でも少ない日本の動植物の数をさらに少なくして、何で環境にいいんですかね。それをまずは考えてほしいんですよ。

それはあの水力発電で、これで痛い目になってるわけですね。あの川は無駄に流れてると思った人が、まあいるのか騙されたのか知りませんけどね。専門家が素人を騙すのは比較的簡単ですから。やっぱり専門家は本当に正直な人じゃなくちゃ専門家になっちゃいけないんですよ。

僕なんかもね、別におにぎりを食べたりね、めざし食べて、沢庵食べて、お味噌汁飲んでる分にはね、一応生きていけるんですよ。別に高いワインを飲むとかね、高級ホテルに泊まるって必要ないんですよね。だけど、専門家の多く学者の多くはね、高いワインを飲んだり、高いホテルに泊まったりするのが好きな人が多いんですよ。それでどうしても金が欲しくなっちゃうんですけど。

僕は人生考えますとね。人生やっぱり魂ですよ。自分の魂をそのまま生かしてれば、爽やかですよね。快適ですし、毎日楽しいですよね。これが細工をしてね、国民を騙してるって、やっぱり心に傷がありますよ。

それから、太陽光は無限で無料とかいう人がいるんですけど、全然違います。これは全くの間違いで、こういうことを言えうようなもし専門家がいたら、もう全く信用しちゃいけませんよ。というのはですね、太陽光は無限だと言いますけどですね、薄いんですよね、すごく薄いんです。

これはね、どういうことでわかるかっていうと、例えば、ガスをつけたら、ラーメンが焚けると僕いつも言ってるんですよね。ラーメンを炊く時に鍋に水を入れて、ガーッと沸かす。沸騰してそれにラーメン入れると柔らかくなってほぐれて食べられますね。

あのガスっていうのは、太陽光からできたんですよね。太陽光からできたのがガスであります。それでガスは天然ガスできてるわけですね。ですからあれはこう100万年とかそういう単位で集まった天然ガスを一度にばーっと燃やすんです。

太陽光を太陽光のエネルギーを集めたものを一気に解放するんで、高い熱が出るんです。だけど、どんなに夏の暑い時に、日向にラーメンの鍋入れて水入れて置いといたって、お湯が沸きませんよ。もちろんその中でラーメン入れたっておいしいラーメン食べれませんよ。

なぜかったら太陽は薄いんですね。ですから、時間を凝集すればいいんですね。石油もそうですね。何億年と太陽が光ってるので、それで凝集した油を一度に燃やすと、そこで熱が出るということですね。

だから無料っていうのはね、これはふざけた話でね。発電っていうのはですね、原料に金がかかるもの、これも典型的には石油火力発電所。一番典型的ですね。天然ガス発電所。これ一番まあ金がかかる。何で金がかかるか。燃料に金がかかる。

から中間っていうかちょっと設備側が原子力発電所ですね。原子力発電所は燃料費は2割ぐらいなんですが、設備費つまり作るのに、鉄を還元したり、コンクリートを作るのに切るんでものすごく燃やしたりしましてねCO2出したりする。それでできるんですね。

ですから、トータルの例えば値段とか、CO2の発生量っていうのは石油火力と原子力ほとんど同じですね。ただ、比率が違うんですね。石油火力を8割が燃料で2割が設備。それから、原子力発電所この逆で、8割が設備で2割が燃料こうなるんですね。

じゃあ太陽光はっていうと、もちろん太陽降りそそいできますから燃料は0。それで設備が10と言いたいんですけども、本当は石炭火力の3倍かかりますから、30ということですね。そうしますと、石炭火力を基準にしますと、石炭火力はまあ7割が石炭、それから3割が設備となるんですね。これエネルギーですよ、エネルギーで計算する。エネルギーです。

で、太陽光発電は燃料は0、設備が30ですからね。トータルのエネルギーもそれからコストも高くなりますね。だから、私たちは電力費高く払わなきゃならない。それでひどい目にあったのがドイツだと。こういうことになりますね。

だからもちろん当たり前ですけど、こういう当たり前のことで日本人が騙されるっていうのは、科学教育に問題があるのか、それとも現在が、小説家もいない、作曲家もいない、画家もいない、哲学者もいないっていう、言えば日本には文化がなくなっちゃったんで、日本人が今は物を考える力を失ってるからかもしれませんね。

まああの、太陽光発電は何をもたらすか、一番大切なのは、あなたは日本の自然を大切にしようとしてますか。自然の中でも、これ以上動植物が減っても構いませんか。それよりか電気が欲しいんですかと。これが一番の問いかけです。これにちょっと、温暖化っていうのが入ってますから、それはちょっと後ほどね、また考えてみたいと思います。

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