武田邦彦 ヒバリクラブ 文字起こし

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楽しい人生の作り方(1)「メディアの脅しに乗らない」 令和5年4月14日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええ、このヒバリクラブはですね、なんでヒバリクラブとついてるかっていうと、ヒバリはねいつ鷹に襲われるかわからない。いつ自分が病気になるかわからない。わからないのに、ヒバリはピューとほとんど垂直に空に上がって、ピーチクパーチク、チャチャチャチャチャチャって歌って、ピューと下がってくるんですね。

ヒバリを見ますと、自分の人生もあれだったらいいなと。それは考えることはいっぱいある。悲観的になろうと思ったらいくらでもできる。しかし、そうじゃない。いつ鷹が襲ってくるか、いつ自分が病気になるか、いつ台風が来るか、そんなことは知らなくていい。毎日楽しく大空で泣いてればいい。これが、やっぱり私は理想的な生き方かなと思うんですよね。

私が色紙に書く、「昨日は晴れ、今日も朝」もそうですが、昨日は土砂降りでも、晴れと思えばもう過去のことだからいいや。今日は夕方どうなるかなんてあんまり心配せずに、朝起きた時にああ今日も朝元気で起きたなと思っただけでいいっていうことですね。これがまあ僕の言うヒバリなんですけどね。

今日はそういうことで気分も新たに、楽しい人生の作り方これをですね、やってみようかなと思いまして。まず第一に、メディアの脅しに乗らない。つまりですね、人生が楽しくなるためには、不安とかですね、そういうものがあってはいけないんですよね。不安が本当に不安として心配しなきゃなんない不安であれば、それは考えなきゃいけないですよ。

だけど、不安が一番いけないのは、作られた不安ですね。作られた不安をまず除けるわけですよ。自分の人生から、他人が無意味に不安を作ったやつね。そんなやつないだろうっていうけど、今はね、メディアがもう山ほど脅しをやりますからね。

メディアの人にとっちゃいいことなんですよ。メディアの人は視聴率が高いとか、それから、新聞の部数が売れるとかね、週刊誌が売れるとか、そういうのがいいから、メディアの人が楽しくなるためには、日本人を脅せばいいんですから簡単ですよね。それ簡単。

だけど、脅される方から言えばね。あなたの人生が明るくなるからって、私を脅さないでよって本当は言いたいですね。これを順番通りやっていきますので、項目ごとに納得した方はね、自分の頭からそれを取り去ってもらって。そうすると、その分だけ自分が幸福に人生を送ることができるようになります。ぜひ、ヒバリクラブを見た人は、みんな幸福だという風になってほしいなというふうに思いますが。

今日は真面目な科学の話ですね。人生を暗くするための報道があります。それが1972年に大々的に日本で行われた、石油がなくなるよってやつですね。今でもそう思ってる人実はいるんですね。

それから、1988年にこれも世界的に言われた温暖化してもう地球に住めなくなる。温暖化怖い。温暖化しているっていうじゃないんです。これ間違えないでくださいね。温暖化しているじゃなくて、温暖化して地球に住めなくなるほどひどいことになる。そのこと2つですね。これが1972年と1988年に、まあ急に言われました。

今日本ではまだ2つ言ってますね。しかし、世界にはヨーロッパとかアメリカでは、もう1972年に言った石油がなくなるのは言ってません。ていうのは、もうはっきり石油が見つかってることと、あとはこの温暖化して住めなくなるってのと石油がなくなるっていうのが相反してますんでね。論理的に。

まあ、日本人はちょっと論理的でないし。メディアが態度を変えないんでね。僕はやっぱり責任上ね、メディアの責任ってやっぱり間違った報道は直さなきゃいけないですよ。だからまあ今ね、温暖化してる温暖化してるって、してるのはしてるんですけど。住めなくなる住めなくなる、ひどいことになるって言ってる方はメディアもまだ訂正報道しにくいでしょうけど。

石油がなくなる方はね、もう間違ってることが分かってるわけですから、テレビ新聞もね、あんまりあくどい嘘をつき続けるのは僕は感心できないと思いますよ。だって石油がなくなれば、石油がなくなるってことは石油、石炭、天然ガス、そういう化石燃料ってやつなんですけど、化石燃料は炭素なんです。Cなんですね。Cだからカーボンを燃やせばCO2になり。で、温暖化する。もう非常に単純な理屈なんですね。

CO2は温暖化ガスですからね。どのくらい効果があるかとか、そういう議論は別にして、CO2よりは水の方が温暖化が強いんじゃないかとかね。それから、メタンガスの方が酷いんじゃないかって、そんなんあるんですが。まあとにかく、CO2自身は温暖化はするんですね。ですから、石油がなくなってしまえば、CO2人間は出せません。出せませんから、温暖化しません。

ですから、この2つはもともと相反しますから、少なくともこのヒバリクラブのこの楽しい人生の作り方ではですね、どうしても2つのうち1つは、私は信じて暗い気持ちになりたいと言ったらですね、石油がなくなるか、温暖化するか、どっちかを信じてください。そしてないとですね、両方を信じるとアホかと言われる可能性があります。というのは石油がなくなったら、温暖化しないし。石油が無限にあれば、温暖化します。どっちか一つしかダメです。

それで、ここにあの1972年と1988年って2つ書いたのはちょっと意味がありましてね。実は石油がなくなるっていうのは、石油資本っていいますかね、その頃7シスターズつったんですが、世界の石油を売ってる会社がですね、石油の値段を10倍に上げようと思ってやったトリックであったことは、もう今でははっきりわかっております。

日本で石油がなくなるなくなるって、毎日のように放送したテレビ局も知っております。ただ、テレビ局は目的が違いますからね。国民に正しいことを伝えるのが目的じゃなくて、国民を脅して自分の給料が上がることが目的ですから。その目的に沿って言えばですね、まあ正しいっていうか、嘘を言って儲けてる人は嘘が正しいわけですから、そういうこと言えるんですが。あの石油がなくなるって本当はもう全然、議論の余地はないんですよ。

今でもそう言ってもね、なかなかしぶとい人がいましてね。武田先生、そんなこと言ったって地球の中にあるものが掘っていったらなくなるだろうと言いますけどね。一応計算をしますとね。資源学上の計算できるんですよ。

まあ地球ができた時にはCO2が95%大気中にあったとかね。それからそのCO2がカルシウムと結合して何になったとか、水に溶けてどうだとか、生物が吸収してそれがどうだとかいうことを、個別に一つ一つ計算していくとですね。地球の中にある石油のようなものはですね、どのくらいあるかとはだいたい計算できましてね。

だいたいもう非常に大雑把に言うと1000万年分ぐらいあるんですね。今の人類が使うペースで。だからもう全然無限と言えます。だから地球の中にあるから有限だなんていう雑な考えではですね、資源学みたいのができません。一つ一つですね、人間の大きさとか、人間の消費するエネルギーの量だとか、そういうのによって変わりますからね。

今まあ非常に大雑把に言いますとね、石油があとだいたい4000年ぐらい。それから石炭がだいたいあと4万年ぐらいありますね。でも、エネルギーがずっとそれしかないということはないと思いますね。

ていうのは、あの石炭を使い始めたのが200年前ですよ。だいたいですね。トレビシックが高圧蒸気機関、石炭で動かしたのが1804年ですからね。だいたいですね。ですからそれからまあ220年ぐらいということですね。

それから、石油掘り出したのがだいたい今から100年前ですね。自動車が石油で走り出しましたが、もっとも、石油がある程度ですね、エネルギーの主力になったのは第二次世界大戦後ですから。1950年ぐらいと言えないこともない。そしたら70年ですね。

ええ、人類が石炭を使い始めたのがだいたい200年。それから石油を使い始めたのがだいたい100年ですから。今の時点であと4000年とか4万年とかいう資源はですね、心配するっていうのはちょっと極端なんですよ。これは環境を煽る人っていうことになりますからね。環境を煽って儲けようという人はもうね、僕ね、自分の幸福に関係ないからやめたほうがいいと思うんですよ。考えるのやめたほうがいいですね。

温暖化の方は今議論してますから、こっちをまあ石油がなくなるはないので、これはこれでいいとして。石油がなくなるから原子力発電やらなきゃいけないとかね。太陽光発電やらなきゃならない。こういう話ではないですね。

その代わりに石油をたくと温暖化するからって変な話が出てきて。それで太陽光発電。これがね1988年っていうのは意味があるんです。この1972年に石油がなくなるって言ってね、この嘘がばれたのがだいたい1980年なんですよ。1980年まで8年あるでしょ、1972年から。その間にいろいろ研究が行われて、どうもこれおかしいじゃないかと。話がおかしいなってことになったのがだいたい1980年の前半なんですよ。

そうするとね、石油や石炭もいつまでもあるってことになった。そうすると、えって言って、危機を煽る人がね、じゃあ石油がいくらでもあるなら、石油を焚いてCO2が出るじゃないか、そしたら温暖化するじゃないかって言い始めたのが1988年で。

これは科学的に出てきたかって怪しいのはですね。1988年の6月たしか24日だと思うんですが、アメリカの上院の公聴会議でですね、公聴会でハンセンという人がですね、このもう過ぎ去った前ですけど、20世紀が終わる頃にはこのまま行くと地球の温度はどんどん上がって住めなくなるぐらいになる、だから至急、地球地球温暖化を対策をやらんといかんつったのが88年なんですね。

あと12年しか余裕がないつって言ったんですね。それからもう30年も経ってますが、別に何も起こっておりません。まあ、なんか温暖化するとプロ野球のホームラン数が増えるとか、そういうことあってもですね、あとはみんな嘘でしたね。

ということで、思い切って考え方を変えられる人は、石油もなくならない。温暖化も大したことないと思ってください。悲観論の人でも、何でも悲観的に考えるとかね、日本のテレビ新聞で1回行ったことが頭について離れないという人は、まあ、石油がなくなるっていうのは冗談みたいな話ですから、これやめて。それは心配から除いてですね。温暖化は多少心配だなぐらい思っとってもいいかもしれません。私は両方とも全然気にしておりません。

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「理想的な文明」 令和5年4月13日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

今日はですね。ちょっとゆっくりと、理想的な文明っていうのはどういうものかっていうのをですね。少し歴史的なこととか対比を交えてですね、お話をしてみたいと思います。

ええまあ、我々はですね、どういう文明が受動的な文明か、大きく2つ分かれておりましてね。ヨーロッパ人というのはなかなか理屈がうまいんで、例えばベンサムっていう人が最大多数の最大幸福とか言ってますんでね。私なんかもそういうのをこう子供の頃聞いてですね。最大多数の最大幸福いいなあと思いますけどね。それは口で言うのは簡単なんですが、最大多数の最大幸福っていうのは、どういう状態で得られるかってことについてのイギリスのですね、長い社会学、哲学の話はですね全然違うんですね。

えっとですね、彼らはなかなか面白いその民族で、自分の腹の中にあること、こう思ってること、全く180度違うこと言うんですね。違うこと言うことによって、自分が得するかどうかっていうことだけに集中しておりましてね。最大多数の最大幸福というと、みんなが乗ってくるだろうと、まずこう考えるんですね。

しかし、本音は最大多数の最大幸福じゃなくて、自分だけ幸福、というシステムはどういうシステムかというと、みんなには最大多数の最大幸福と言って、それでこういうのが最大多数の最大幸福ですよと言うと、多くの人はそれに賛同するだろうと。

それはよくよく考えると、言ってる本人だけが幸福になる方法なんだけど、それには気が付かないだろうというのが、実はそのイギリス人の上手いとこなんですよね。非常にこう言ってみれば尊敬できるぐらい極端にうまい、嘘が上手いという感じなんですね。

それをちょっと対比して、ここでお話しますと、ヨーロッパにおける偉い人っていうのはですね、お金を持ってる人、力がある人、知恵がある人っていうのが偉い人なんですね。

例えば、お金がある人、資本家ですね。大金持ち。それから力のある人、昔だったら殿様ですね。今だったら大統領とか、首相でしょうね。知恵のある人、ケンブリッジ大学を出たとかですね。そういうオックスフォード大学、パリ大学そういう人ですよね。それが偉い人なんですよ。

偉いという基準がですね、金とか力とか知恵にあるわけです。これはどうしてかってことをもう少し後で考えてみたいと思いますが、日本の偉い人はちょっと違うんですね。日本は人間で偉い人っていうのは金とか力とか知恵ではなくて、嘘をつかない人、人の金をせびらない人、恩を感じる人、まあ誠実である人といってもいいんですけどね。そういう人が偉い人なんですね。

ですから、まあその民族によって神様っていうのは偉い人をこう象徴してるのが神様ですからね。当然、ヨーロッパの偉い人はギリシャの神様のように非常に筋骨隆々した男性で剣を持っている。お金もあり力もあり知恵もあるというわけですね。

それで日本の偉い人ていうの天照大御神なんですね。嘘をつかない、真面目で、人の金をせびったりしないというようなね、そういう平和な神様が日本ではトップの神様なんですね。

ですから、こういうヨーロッパの文明は金とか力とか知恵ですよとか。日本の偉い人っていうのは嘘をつかない人とか、人の金をせびらない人とか、恩を感じる人と。そういうんじゃないですよというようなこと言わなくてもですね、神様を見なさいって言ったらわかるんですけどね。

もう一つの軸はですね、ヨーロッパの価値なんですよ。人間ていうのは何が価値があるということなんですが、ヨーロッパは支配することが価値なんですね。ですから、王様になることはいいこと、というか価値のあることですね。

日本の場合、価値があるというのは、みんなが幸福であることを価値があるというんですね。そうなりますとね、先ほど一番最初に言ったベンサムの最大多数の最大幸福というものは、実は世界では日本だけが、その方向に向かってたということは言えるでしょうね。

日本だけがなぜその方向に向かってたかっていうと、日本は5万年前から現在認められてるんで5万年なんですが、そのうち8万年前ぐらいになると思うんですけどね、まあ今まで遺跡がちゃんと見つかってるっていうのは、最近8万年とか12万年って遺跡もちらほらとは出てきてるんですが、あんまりそこのとこで議論したくないので、5万年前からね、日本列島にいて、ほとんど戦争をせずに、階級もなくやってきました。

どうもこれは、日本が非常に自然豊かだったってこともあるんですけどね。日本にいますとね、自然が自分たちに恩恵をくれるという感じがしますね。しかし、私世界でいろんなとこ行きますと、もうほとんどのところは自然は猛威を振るって人間を襲ってくるって感じなんですね。

例えば、あのよく日本ではですね、南フランスなんていいなぁと思ってですね、行ったことも何回もあるんですが、そこに原子力の施設があったもんですから何回も行ったんですけど。いつも厳しい風が吹いてですね、決していいとこじゃありませんでした。やっぱり、自然は人間に敵対してるなって感じがしましたね。

しかし、日本の自然はそれから見たらすごく優しいですね。ですから、もうそういう風土の中で、島国で、周りの海っていうのはものすごく大きな障壁ですからね。民族が入ってくるとか、軍隊が来るとか、盗人が来るとかないんでね。そこの中でみんなで幸福に過ごしてきたんで、イギリスの社会学者と言ってんですかね、ベンサムが言ったような最大多数の最大幸福っていうのは、世界で日本だけが現実にそれを実施したんですね。

そうするとね、階級は一つでじゃないかと。別に国民ってのがいればいいじゃないか。なんで天皇陛下なんか作らなきゃいけなかったのかって言いますとね。これはちょっと話が少し飛躍するんですが、しかし、長い歴史を一つの目でこう俯瞰してみますとね。例えば、共産主義という国はですね、ソビエトロシア、中国共産党、それからポルポト政権カンボジアもね。それから現在の北朝鮮なんかを見ればわかるんですが、支配者が国民を虐殺するんですね。

そのスターリンの場合はだいたい2400万人ってことで、もうだいたい歴史学的にも固定しております。殺した自国民ですね。それから、毛沢東についてはいろいろ説がありますけども6000万人とも言われております。それから、カンボジアポルポトは約国民の半分を殺したといわれています。北朝鮮については、だいたい皆さんが知ってるんで、比較的偉い人が突然殺されたりしますんでね。

それはどうしてかって言いますと、人間社会ってのは人間のこれ根本なんでしょうけど、神とか神様に類するもの、例えばキリスト教の神、ユダヤ教の神、これ一緒かもしれませんけどね。ヤハウェ。それからイスラム教の神も同じかもしれませんね。仏教ですとお釈迦様とか、そういう絶対的な人がおかないと、やっぱり人間は歯止めが効かなくなってしまって、自分の権力を使って人を虐殺するようになるんですね。

これ歴史的な結果ですから、別に僕の意見じゃないんですけど。そういうところから見ると、昔の人が神様というのを作ったのはですね、神様が社会にいないと、どうもですね、人間は人間を殺すんじゃないかっていう気配があったんでしょうね。

まあ日本の天皇も全くそれと同じようなことで、天皇陛下ってのがいると。一応神様としておくと。天皇陛下が人間じゃないかなんて一生懸命言ったって、あんまり意味がなくて。天皇家が人間か神かってことは、日本国としてどういう体制がいいかってことですからね。

天皇陛下がおられて、天皇陛下はもう立派だから、天皇陛下にもうみんな従っとこうと。天皇家が別に試験を受けるわけでもなし。修行されてるわけじゃないけど。一応血筋的に偉いという風にしとこう。それによって社会が乱れないようにしよう、という社会の一つの原則ですね。

ですから、こういう点から考えますと、まだまだよく考えてませんが、最大多数の最大幸福が実現する文明は、天皇陛下をいただいている状態の日本の文明だということが言えますね。それは、人として偉い人は嘘をつかない人、人の金をせびらない人、それから恩を感じる人であり。

それから、人の価値としての見方は、みんなが幸福になるようにやる。つまり、平等ですね。ただ一人だけ、ちょっと特殊な人を置いとかないと、みんなが幸福になるっていう状態ができないというのもですね、ちょっと付け足しておかなきゃいけないじゃないかと思いますね。

その点では、日本が歴史的にも非常に幸福だったっていうのは、やっぱりそういう社会だったということが言えるんじゃないかと思います。

実はこのことが頭に引っかかりだしたのは1週間ぐらい前なんですが。いやどうなんだろうなぁ。なんでヨーロッパは知恵のある人、金のある人、力のある人が上にいて、そういう人をもてはやすことが社会に幸福をもたらすという考えですね。

今でもそうですね。小学校でも、成績がいいとか、ピアノが弾けるとか、足が速いとかいう人をあなた、君は立派だねと言ってるようですけど。本当でしょうかね。本当にそういうことが人間社会っていうのは、価値のあることなのか。

もちろん人間ですから、知恵があるとか、力があるとか、足が速い人いますから、まあそういう人に対して拍手することは必要。そういう人に社会のある部分を担当していただいてね。社会がより良い方向に行くことを努力していただく。

例えば、科学が非常にできる人は科学を一所懸命やってもらって、新しいスマホならスマホを発見してもらう、発明してもらうということは必要だけど。だからと言って、彼を非常にもてはやすというのがね、必要かどうか。

また、人間は、その科学が非常にできる人とか、絵が非常に上手い人っていうのは、報酬がなければやらないのかっていうと、私はね、長い人生でこうやって見てますとね、絵を描きたい人が絵を描く。よく音楽が好きな人は作曲する。科学が好きな人が実験をするっていう傾向にあって。まあ若干みんなでね、拍手ぐらいしてあげてもいいけども。それ以上のことはないんじゃないかというふうに個人的には思ってます。これも少しずつ考えてみたいと思います。

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声の小さい人を応援(6)「現役の男性も実は弱い」 令和5年4月12日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええ、今日もですね、声の小さい人を応援の6番ですね。意外なことに、一番こう強いと思われる現役の男性ですね。25ぐらいから55ぐらいの30年間くらい。これはまあ人生で一番働けるところであり、活動的であり、足も速いし、バリバリ仕事ができる、体力もあるってことですね。一般的には、強い人のように思われるんですが、実はあまり強くないんですよ。それで、もうみんな今悲しんでますよね。

それはどこに原因があるか。これはやっぱり他の弱い人と違って、大きなところに問題があるんですね。日本文明より劣っているヨーロッパ文明を取り入れた日本がですね。その中で、日本文明の意識を持っている現役の男性がやられてしまってるって事なんですね。

それはもう一番ひどいのは株式会社ですよ。日本国っていうのはもともと何で奴隷がいないか、何で階級制が非常に弱いかって言いますとね。これは日本にいますとね、階級制があるとかなんとかっていう人いるんですけどね、そんなことありません。

私ね、ヨーロッパなんか行きますとね、階級が違う人と同じ国民ながらね、その国民に行きますとね、階級の上の人と階級の下の人ですね、物腰が違うだけじゃないんですよ。体つきも違うんです。物腰が違うとかね、知識が違うとかいうのは、それはまあその人だけっていうこともあるんですけどね。ただ、体つきが違うっていうのはね、相当長い間、この身分が分かれてないとねなりませんよ。

だから、本当にこうヨーロッパの国っていうのは身分がね、不平等がもう染み付いてるっていう風に思いますね。だから、ヨーロッパは例えば株式会社作りますとね、株主は権限を持ってて、それで従業員は金で雇われてるんだ。今そうですよ、日本ね。こういう考えになるんですよ。

ところが、日本っていうのは違うんですね。これはもう江戸時代でも、平安時代でも違うんです。もちろん縄文時代とか、旧石器時代もっとそうでしょうね。つまり、日本に住んでる人で日本が構成されている。これね、わかんない人いるんですよ。だから、日本国は日本人のためにある。

天皇陛下のためでもない。貴族のためでもない。侍のためでもない。農民のためでもない。商人のためでもない。日本人のために日本国が存在する。

だから、日本国っていうのは、その人の能力だとか、人柄だとか、家柄だとか、それと関係なく、日本人であればみんなで一緒にやろうやと。当たり前ですよね。なんで、これが当たり前って気がつかないですかね。

それで今は株式会社、株主のものであるっていうんですよ。僕がね、ある時にある非常に立派な大きな会社の証券会社の部長さんがね。武田先生は株式会社は株主さんのものって知りませんかというから。そんなこと知りませんよ。それは日本文化じゃありませんから。商法に書いてあるから、決まりじゃないですよって言ったんですよ。

なんでかというと、法律というのは2つあるんですね。法律の条文通り解釈していいという法律論と、イギリスを中心としてあるような、その世の中でもう普通になってることというのは、文字に書いてなくても法律の上にあるんですね。

それはそうなんですよ。例えばね、憲法9条が有名ですね。憲法9条で軍隊を持てないなんて話はないんですよ。それはないというのはアメリカ人でも言ってますから、僕は言っていいと思いますけどね。なんでそうかつったら、憲法9条で他国が攻めてきたら日本人は殺されるじゃないですか。ね。あの国家主権というのは、もともとがその国の国民の命を守るのが国家主権ですから。だから、軍隊を持てないというのは国家主権に関わらない範囲においてということなんです。

国家主権に関わらない、その国民の命を守ることには関係ない戦争はやっちゃいけないってことであって、戦争自体をやっちゃいけないなんてのは、もうこれは慣習がありますからね。その慣習、命は一番上ですから。

そういうことと同じですね。ですから日本人の日本文明っていうのは、人は働くにしてもね、お金で買われて働くんではないっていうことです。これは日本に奴隷がいなかったっていうのはそれなんですね。

もうヨーロッパなんか奴隷ばかりですからね。中国もほぼ奴隷です。まあロシアではロシア帝国ロマーノフ時代までは農民は農奴と呼ばれておりましてね。相当、この農民と奴隷の間ぐらいあったわけですね。

そういうその大陸の僕に言わせれば愚劣な文明と全然違う、高度な人間らしい文明を日本は作ったわけですね。それが日本国民は日本人として平等であるということなんですね。だから、その会社を作ってもいいよと。だけど、そこで働く日本人は別にお金に買われて働くじゃないですよ。順序逆ですよ。働いた結果、お金をもらうということだけですよ。

ある時、私に乗ったらね、ある運転手が最近腹が立つことはあるで聞いてくださいよと。はい、どうぞと言ったらね。金をね、目的地に着いたら金を投げ捨てるように渡すのがいるらしいですよ。それは愚劣なヨーロッパ文明なんですよね。金をやるんだから、お前当たり前じゃないかということなんです。これはもうまさにヨーロッパ文明なんですよ。

日本は違うんですね。日本は運んでもらったことにまず感謝するわけです。ありがとうございます。ここまで無事に運んできていただいて、ありがとうございます。ついてはこれでよろしいでしょうかつって700円渡すと、運転手さんは今度、ありがとうございますっていただくわけですね。

運転さんは働いてお金をいただく。乗せてもらう人も、乗せてもらったことに感謝してお金を渡すんですよ。労働契約があって渡すわけじゃないんですよ。これが日本文明。日本文明は常に労働の対価としてお金を渡すわけじゃなくて、恩を感じてお金を渡す。

だけど、それはいちいちね、恩の値段を計算するの難しいから、まあ一応ねタクシーのメーターがついてるだけですよ。タクシーのメーターっていうのは恩を受ける、例えば私がタクシー乗ればね、運んでてくれるんですから、相手のタクシーの運転手さんもね、その時野球かなんか見たいかもしれないけど、それを我慢して私を運んでくれるんですから。これが恩っていうものなんですよ。お金を渡したから、それでいいだろうなんのじゃないんです。その人はその人の人生がありますから。

そのことでもう一つだけね、お話をしますと。私がある大学にいる時に、まあ通産省からね、その頃通産省でした。通産省から1億6000万の研究費をもらって研究しました。その時に1億6000万の引き渡し資金みたいなね、大げさなもんじゃありませんが。

そういうところですね、課長さんが大学に来られましてね。それで、武田先生間違っちゃいけませんよと。この1億6000万の研究費っていうのは通産省が出しますから、特許が出たらその特許は通産省のものですからね、それはよく覚えておいてくださいって言われたんで。

あそうですか。それ本当ですか。通産省課長本当だと。それでは私も残念ですけど、1億6000万ももらえませんから、そのお金を通産者の金庫にしまっておいてくださいね。そしたらその金庫から特許がわきだすんでしょ。それはやっぱり通産省の課長1本取られたっていうことで、そんなことありません。それは金庫にお金を入れとったって特許は出てきません。

そうでしょ。じゃあ特許っていうのは、その1億6000万のお金も必要だけど。私の頭脳といろいろ実験してくれる人、大学の設備提供してる設備。これが合体して特許が出てくんじゃないですかと。特許が出るっていうのはお金だけ託せば特許出るって事あるんですかと。じゃあ、お金を出す人がその特許を丸取にするってのは正しいんでしょうかと、こう言ったわけですね。

そしたら、その後検討されましてね。今はそうなってると思いますが、今どうなってるかちょっとわかりませんが、その直後はね、お金を出した人、それから知恵を出した人、設備を貸し出した人、これの3分の1ずつの取り分になったと聞いております。本当は労力を払った人ですけどね。

これが日本文明の考え方なんですね。つまり、あることを成すためには、会社のことを成すためには、技術者が真剣に働き、そして会社がその人が生活できるようにお金を出し、設備を出し。国が原料とか商品を運ぶ道路を作り、その道路を舗装する人がいて、全部が備わってその役割を果たしてるわけですから。

だから、日本の男性は本当に恵まれてるんです。何でかっつったら、自分の人生をかけて会社のため、国のため、自分のために仕事してる。だから充実した人生を送れる。これが日本文明だ。

ところが、ヨーロッパ文明はね、お金をもらっただけ時間を買うって言うんです。僕が若い頃会社で勤めている頃ね、会社の変なね先輩がそう言いましたよ。武田君、君の時間はね、5時まで定時ですね、5時までは会社が買ってるんだからって言うから。

僕、そんなことありませんよ。私の人生はあくまでも私の人生ですよ。私が貢献した分だけ、会社に貢献した分だけ、会社が私に賃金をくれてるって言うだけですよ。双方は同じですよ。会社と自分とどっちが、従業員とどっちが上なんてことありませんよ。同じですよって言ったことあるんですよ。僕の若い頃ですからね。血の気があってね。冗談じゃないですよと。

この頃、技術者でもね、残業しても実験したいって時に、残業しちゃダメだって。これダメなんですよ。そんなこと命令できませんよ。その時間はその人のままなんですから。その人のものであるその時間と、会社が残業をどうするかっていう問題は別の問題でね。これは話し合って解決するのが本論で、本当はそれでいいと思いますね。

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声の小さい人を応援(5)「30歳の1時間と70歳の1時間」 令和5年4月11日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

また旅先の生活が始まりました。今日はですね、声の小さい人応援の5番であります。

ええとまあ、この社会というのはですね、声の大きい人ってのはあまり気にしてなくていいんですよね。まあ声の大きい人で、自分のことがあんまり言えないとか、損をするというのはあんまりないんですが。まあ比較的謙虚で、自分のことあんまりこう主張しないっていう人のことを考えなきゃいけない。

それの典型的なのが赤ちゃんでしょうね。赤ちゃんを保育園に預けるというのは赤ちゃんにとっていいことなのか。赤ちゃんをお父さんが保育するということが本当に赤ちゃんにとっていいのか。口を開かない赤ちゃんだからこそ、よく考えてあげなきゃいけないわけですよね。

まあそういう点では、高齢者ってのある意味でですね、社会的な制約さえなければ、結構口も達者で、頑張る人もいるんですけどね。ただやはり今の日本の社会では、やっぱり日本人ていうのは非常にいいところなんですけど、遠慮しますからね。自分もまあ少し年取ったし、若い人にも頑張ってもらいたいっていうような非常に善意な心でですね、自分を控えたりしますね。

それに乗っかってですね、最近ちょっと若い人がですね、自分がまだ年取ってないからといって、老人を傷めるっていう例があるんですよね。一番極端には、これは言った意味が違うとも言えるんですけども、高齢者は集団自決しろというような元気のいいアメリカの若い人もいましてね。ちょっと言い過ぎだろうと、それは。それはあまりにね、高齢者の心理というものを考えない人じゃないか。

お母さんもですね、一言自分はどうしてサービス残業なのって言いたいけど、それをぐっとこらえてるわけですね。子供が可愛いから、それをずっとこらえてる。それに乗っかっちゃいけないっていうのが僕の考えなんですね。

私は45の時にですね、まあそれに気がついたんですよ。実は、ちょっと随筆を書きましてね。私ちょっと随筆とかそういうの書くの割合好きで、まああの高校の教科書にはちょっと出てるんですが。その時はですね、老婆の1時間っていう題ですね。これは私がつけたわけですけども、そういう随筆を書いたんですね。

あるその田舎の地方のですね、山間のところに民家がありましてね。そこに沿岸があって。ちょうど夕方でですね、山の端に太陽が沈むわけですね。山が赤く染まってですね、夕暮れに差し掛かるわけですよ。そこの縁側に一人の老婆がちょこんと座ってですね。それで道の前に道路がありますんで、その狭い道路を行き来する若い人を見てるんですね。そういうまあ情景なんです。

夕暮れですね。まあ、季節いい時で、ゆっくりとお茶を飲んで、夕暮れにそこに座っておられ、そして若い人が忙しそうに左へ右へ歩いてるの見てですね、おばあさんはですね、あー私にもああいう時があったわねと。自分が30歳ぐらいで活躍してる時のことを思い出すんですね。

だけども、考えてみますと、そのおばあさんは別に頭ボケてないし、腰も痛くない、膝も痛くないんですね。五体満足で意識もはっきりしてるんですよ。意欲もあるんです。しかし、おばあさんはそこに座ってお茶を飲んでるわけですよ。家の中にですね、嫁さんが料理を作ってる音がします。どうして老婆はそこに座ってるんだろうか、と私は書いたわけですね。

それはね、老婆にしてみれば、息子が結婚して嫁さんが来る。そして、嫁さん優しくて、お母さんそんなもう働かなくて、台所を私に任せてねと。こういうので、台所からちょっと言葉悪いんですけど、追放される。そして今度、居間を掃除してたりしますと、やはりその活発な嫁さんがですね、おばあさん疲れるから縁側でお茶でもどうってなこと言ってくれる。

そして、そのおばあさんはまだまだ自分の人生はいろんなことやりたいんだけどなぁと思ってるんだけど、周囲からそういうふうに追い飛ばされていくんですね。

今の定年制度ってもそうですよ。もちろん、定年の頃にもうね働けないとか、それから、体がきついっていう人はいますよ。だけど、そうじゃない人も多いわけですね。

私なんかは、もう全然普通の定年から20年も15年も経ってるんですけども、まあ普通通りにやっぱ働けますね。そして、そういう意欲も、まあ私の場合は小さい頃にちょっと病気であまりきちっとできなかったってな反省もありましてね、自分の人生終わるにはもう少しちゃんとやってからっていうような気持ちもあるんですね。

つまり、一人一人の人生が多様ですね。そういう点で、私はまあ10年ぐらい前必死になって抵抗したのは、高齢者から免許証を取り上げるってやつですね。高齢者は事故が多いからと言って、池袋の事故なんかが出てきましたけど、20歳代の運転でもっと悲惨な事故はいくらでもあります。

私はまあ科学者で、事実を調べてから自分の意見をちゃんとまとめていくっていうタイプなんで、20代の人の事故と70代の人の事故を比べてみました。もちろん、人数あたりとか、免許証の保持システムのあたりとかね、走行距離あたりとか、色々な比較があるんですね。それも事故の比較やら、軽微な事故の比較、重大事故の比較、酔っ払い運転の数とかね。そういういろんなデータがあります。それから、アクセルとブレーキの踏み間違いっていうのの年齢別の比較も存在します。

それを見ますとね。新聞なんか書いてあることは、いかにデタラメかっていうのわかりましたね。もちろん、20歳代と70歳代を考えますと、どういう指標を使っても20歳代の方が自己多いんですよ。それも悲惨な事故が多いですね。それから、ブレーキとアクセルの踏み間違いですら、20歳代の方が多いですね。

で、こういうことを自分が全く調べもせずに、ただ他人を痛めつけてやりたいために、大きな声で老人をアクセルとブレーキの踏み間違い多いからもう運転やめろと。だけども老人の事故が少ないのはどうしてかって言いますと、やっぱり慎重になるからなんですよ。

歳っていうのは、それほど無駄にとってるわけじゃないんですね。いろいろ自分の人生がいつも脳裏にありますからね。車に乗ったら丁寧に運転しなきゃいけないと思うんですね。だからまあ運動神経の衰えはもちろんありますよ。目の衰えもありますね。だから、目も衰えるし、運動神経も衰えるんだけども、衰えだけを強調してんですよ。そういう避難する人はね、高齢者を。

いや、高齢者も分別もついていきますから、それを合計したらどうなるかわかりませんねと。まずそこまでは言ってほしいですね。その後、ご自分でですね、事故の形態とかその調べて、どうなのか。

しかし、私も高齢者になりましたら、もうものすごく嫌がらせ受けるんですよ。今私ね、免許証の更新に行きますとね、まず免許証が3年から2年になったのかな。なんか優良、僕なんか全然事故起こしてないんで、もうどういう制度か知りませんが、本当はもうものすごく長いんじゃないかと思うんですけど、それもないんですよ。

それで今度はね、運転免許試験場に行きますとね、目の検査は当然、これは若い人も当然なんですが、反射神経のやつとかね。しかも、ペーパーテストまであるんですよ。

あれ可哀想ですね。だって、僕はまだこういう仕事してますからね、ペーパーテストは優秀な成績で通るんですけどもね。ペーパーテストから何十年も離れてる人がね、突然ペーパーテストやらされるんですよ。それも結構難しいんですよ。次の20個の図を見て覚えて、5分ぐらいだったらまたそれに対する回答するとかね。相当ペーパーテストとして難しいんですね。これをね、僕は70歳80歳にさせるのは酷ですよ。拷問ですよあれ。拷問。ね。

私ももう別にそろそろ運転も必要ない。これは必要ないからね、僕の場合はですよ。もう運転免許も別に更新しなくていいなあと思ってはいますよ。だけど、私の年代でまだクリーニング屋さんとかね、いろんなことをやって、商売とかやってですね、定年なんかありませんからね、小さな商売では。やっと家計を支えてる人って多いんですよ。そういう人のことをね、ちょっとは考えてあげてほしいですね。

結局、私が思うのは、その老婆の1時間っていうものの思想はですね、30歳の時の1時間も、70歳の時にも1時間も、同じその人の人生の1時間じゃないかと。それはね、70歳の時に体壊して、もう倒れてる人はいいですよ。それから、僕は今度30歳の時に病気で倒れてましたからね。その人その人です。ほんと事情があるわけですから。

やはり私はね、みんなが心を合わせて、長くて楽しい人生を送るようにする。これが日本文化だと思うんですよ。お前はね、力なくなったじゃないか。お前は頭の回転が鈍くなったじゃないか。体は十分に動かないじゃないか。ていうようなことで人を評価するということ自体が僕はもう嫌なんですよ。

人間はそれぞれいいとこがなくたっていいんです。人間はいるだけでみんなのためになってるんですね。ですから私は、この声の小さい人、この高齢者の声の小ささっていうのはですね、最初で言いましたように、高齢者自身の遠慮っていうかね、そういうのがあることは確かなんです。

だけどもまあ、昔と違ってですね、食料もそれほど困ってるわけじゃないので、やはり100歳人生をもうどの時間もね、自分のその時その時その時ですから、もう俺はぼーっとしてたいよって人もいるでしょうから、それはそれで結構なんですよ。僕が言ってるのは若い人がね、あまりに高齢者を批判しすぎると思います。断固もうそう思いますね。

そういう心の冷たいことがですね、声の小さい人を無視して、圧迫して、俺はそれでいいよ。まあその長野県にね、これ信州大学の名誉教授の人らしいんですけど、幼稚園の子供が公園でわあわあやってるから、公園なんだっつって自治体はもうめんどくさいからやめちゃう。するらしいんですけどね、なんちゅうことか。それ大学の名誉教授だけど、何のために学問やってきたのって思いますよね。

自分だって、幼稚園の頃はわんわんやったんですよ。だから幼稚園に行ってないの問題じゃないですよね。僕なんかは幼稚園のね、あの可愛らしい声が聞こえるとね、私は私の場合は元気が出ますね。

それから、我々と恒例の女性が元気でおしゃれなんかしててもね、やっぱり私元気が出ますよ。そんなね、自分の年齢だけをよくしようなんていうね心で、人生を送ったら本当に悲しい人生になりますね。

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声の小さい人を応援(4)「もっとも大切で誰も気づかない」 令和5年4月10日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

久しぶりにですね、家に、少し声がしゃがれてるような気もしますが、これはまあしょうがないですね。激闘2週間ぐらいありましたからね。とにかく毎日のようにどっか行っては、2、3回演説したりなんかしとりましたんでね。寒風吹きさむ日もありましてね。

ところで今日は、声の小さい人を応援しようと言うんで、第4回目ですね。最も大切で誰も声の小さいとは気がついてない。本人も気が付いてない。何でかといったら、割合とうるさいタイプの人多いからですね。それがお母さんなんですよ。

お母さんという人はね、本当に最も大切な人なんだけど、その最も大切だっていうことに誰も気がついてないっていう。非常に不思議な分類って言いますかね、人たちなんですね。

ちょっとここ整理しますとね。、とにかく人間の命を作って、それで育ってるわけですからね。これ以上人間の中で立派な行動ってあるんですかね。僕なんかも、学問なんかやってますけど、学問しても命ができないもんですからね。もしもですよ、人類に子供ができなかったら、あと50年ぐらいで人類は全滅ですよね。100年とか。日本だってそうですね。

だから、子供を作って、育てるっていうのはものすごく大切ですね。育てるのは最近人工乳でいいんじゃないかっていうけど、やっぱり人口乳は発達障害の子供が少し増えますしね。母乳じゃなくちゃいけないですね。

ですから、そうすると、人間の命を創生して、そして離乳期まで育て、さらに本当は3歳ぐらいまでね、お母さんが近くにいなきゃいけないということがありましてね。その意味では本当にこう命を作る人、それがお母さんですね。

で、ところがお母さんは収入がないんですよ。それでおかしいと僕が気がついてですね。もう5年か10年前にですね、労働基準監督局の人に聞きました。お母さんて、あれ労働がないのにいいんですか。過重労働だったり、夜中も労働したり、サービス残業があったり、いくらでもあるんですけど。なんで労働基準監督局はお母さんのことは文句言ってくれないんですかつったら。労働契約ないって言うんですよ。

これはね、ヨーロッパの考え方なんですね。ですからまあ、今の日本の法体系がヨーロッパの愚劣なって言った方がいいんですけど、程度の低い法体系になってますんでね。法律の体系としては、ヨーロッパの体系っていうのはしっかりしてるんですよ。ドイツの法体系とイギリスの法体系、イギリスは慣習法もありますけどね。

そういうのがあるんですが、その思想が間違ってるんですね。人間を大切にしようと思ってじゃなくて、強い人を大切にするための法体系ですからね。法体系があるつってもあんまり意味はないんですよね。強い人っていうのは、法体系で守らなくたって守れますからね。

弱い人を法体系で守らなきゃいけないけど、弱くて人の命を創生する育てる一番立派な仕事をしてるお母さんが、何の社会的保護も受けてなくて。

しかもあの僕リベラルの人って嫌いなんですよ。女性の活動家もあんまり好きじゃないのはどうしてかって言いますとね。自分のことしか考えてないんですよ。リベラルって言うんだから、他人のリベラルを考えなきゃいけないのに、自分のことだけなんですよ。ですから、リベラルな女性ってだいたい強い女性なんですよね。だから強い女性だから、そんなの私知らないわよって言われちゃってね。

いやだけど、普通のまず普通のお母さんをちゃんとする。それから、弱いお母さんとかいますからね、そういう弱いお母さん、特に目を配るって事がまず必要ですよね。で、日本の戸籍はね、一応母の権利を守ってるんです。

日本というのは戸籍はですね、すごく古いんです。だいたい600年代ですね。大化の改新の少し前ぐらいから、戸籍というものは存在するんですね。ただ、戸籍が存在するって言うと、それはお母さん守るためじゃないよってすぐ反撃がきます。国籍の主たる目的はあくまでも支配者層が徴兵、徴税ね、使役とか、そういう目的で住民を管理するために作られたと、今の左翼系の歴史学者は当然言います。

ただ日本はね、ちょっと違ってた感じも僕はするんですよ。つまり、仁徳天皇のね、民のかまどは賑わいにけり。これはヨーロッパ思想では支配者がいいようにやるということだったんですが、日本の思想は国民が豊かだったらいいっていう正反対の思想なんてね。そういうもとで本当に戸籍というのが住民、国民圧迫のために使われたかっていうのは、もうちょっとね、しっかりとした研究が必要だと思ってますね。

いずれにしても、戸籍が唯一の頼りで、歴史的なことはまあ別にしますと、現在の戸籍をちゃんと活かせばね、戸籍っていうのは夫と妻、それから子供が生まれたら子供ですから、それが家族として一体であるという公の記録だと言ってもいいんです。これを利用してね、お母さんの権利を守るって事はできるんですね。

つまり、私の解釈は現在の法体系の中でもですよ、なんとかかろうじてお母さんの権利を守ることができる。それに対してヨーロッパは全くお母さんの権利を守るという法体系もなければ、社会慣習もないと思いますね。

だから、戸籍を有効に利用して、お母さんの権利を守るっていうのが今のところ、日本では一番早くて確実だと私は思っておりますし。歴史的にもね、もう少しよく見ていただいて、つまり今戸籍の研究で行われているように、支配者の道具として戸籍が使われたって見方もまあ間違いじゃないと思いますが、それは日本全体の思想とは違うんですね。

例えば、今言ったように仁徳天皇の民のかまどはにぎわいにりって思想とかですね。天皇の下には国民しかいないという考え方とかですね。日本の基本的な考え方ですね。それから、平安時代に女性を保護するために、男性に行動の制限を置いたとかですね。

日本は歴史的に継続的に母親を保護しようという、保護っていうかな、保護っていう考え方はちょっとヨーロッパ的考え方ですが、母親が国民の中で大切である。子供と母親が大切である。そういう概念がありましたからね。その概念を取り入れて戸籍制度っていうのをもう一回検討してもらいたいと思いますが、現在の戸籍で十分ですね。

夫と妻がいて、戸籍に筆頭人が夫であるということに引っかかってる、つまらない人がいるんですけど。それよりか、そんなことはいいじゃないかと。戸籍の意味というのはね、家族というのが大切だと。でね、じゃあ家族の持てない人はどうかとか、いろんなことが出てきちゃうんですけど。それは例外とか少数とかっていうのは、人間にはいくらでもあるんですね。それはまた大切にしなきゃいけないんで。そういう人の権利を無視しようと思ってじゃないんですよ。

だけど、大多数の人が結婚して子供を持つのが、社会としては健全だと考えるとですよ。この健全じゃないと考えると、何が健全化ってことになりますからね。やっぱり、健全ていうのは決めといた方がいいんですね。生まれたら健康な方がいいとかね。それから、母乳を飲んだ方がいいとかね。それからまあ、幼児はそこそこ遊んで、小学校ぐらいから勉強した方がいいとかね。それからまあ、青年時代は自分に力をつけた方がいいとか。健康にためにスポーツやった方がいいとかですね。

そういうのは健全な方向だから。それはちゃんとしておいた方がいいんですね。そうならない人とか、なれない人、環境が整わない人、そういうのはいっぱいいますから、その人たちはまたその人で差別したり、区別したりしちゃいけないということだけのことですね。

ところで今、母親が最も人間の命を創生して、育てることができる唯一の人であり。我々はすべてね、第一に考えなきゃなんないのは、社会の中の母親の保護。保護っていうか、母親が十分に子供を産み、それを育てると。おっぱいをあげられて、そして3歳ぐらいまでは必ず母親が近くにいると。そういう環境を作るためには、どうしたらいいかっていうことを考えなきゃいけないんですけど。

これを阻害してるのが、第一に愛情のないリベラルの人なんですよ。男女ともにね。レベラルな男性ってのはね、本当に自分のことしか考えてないんですよ。自分はね、だいたいリベラルていうのはインテリが多いんですね。だいたい大学を出た文化系の人っていうのが典型的ですね。この人たちは厄介なんですよ。もう何を言っても頭は回りますからね。反論はくるし。その挙句は、自分のことだけ考えてるっていうのが多いんですね。

リベラルの女性ってのは今度ね、ちょっと違う男性と。自分だけは自分だけなんですけど、自分はおばあちゃんが見てくれるから仕事ができる。おばあちゃんがいない人どうするんですか。いや、その人知らないよ。これがあの、リベラルな女性の特徴なんですが。

なかなかね、私の子供はってすぐ言い出すんですよ。私の子供は結構ですと。それはもう世間の話の時には全然結構なんだけど、今は社会的なシステムの話をしてるんで、私の子供って、ちょっとやめてくれないですかと、こう言ってもね、私の子供はこうなんだと、こうなりましてね、これは困るんですね。

もう一つは、お母さん自体の問題があるんですよ。お母さんは自分がやってることがあまりに価値が高いってことわかってるわけですね。命を産み、子供を育てる。だから、犠牲的精神になっちゃうんですよ。あまりに自分のやってることの価値が高いんで。

例えば夜中に赤ちゃんがね、急変してもう熱が高くなってううんなってる。そしたら、お母さんの仕事が大したことなかったら、それまで、ちょっと今夜中だから朝になったら見てあげるわよで済むんですね。みんなそうしてるでしょ。

例えば、区役所なんか一番ひどいですよね。あれやってる仕事が大したことないと自分たちが思ってるからね。5時になったら、はい、やめますって。いや私ちょっと今日中にこれが必要なんです。いやダメなんです。もう役所は閉まりましたから。これは何でかっていったら、役所の仕事ってのがね、緊急性もないし、大事でもないからね。それ分かってる本人たちもね。だから、役所の仕事っていうのはあれなんですよ。

場所もそうですね。お役所の管理してるなんか公共施設っていうのはね、5時かなんかにピタッと閉まっちゃうんですよ。そこで本を読んでようが、コーヒー飲んでようが、そんなのは構わないですね。

ところが、一般のそういうところのコーヒー店とか、そういうのがね。例えば、ちょっと今日はどうしてもここにいなきゃなんないことがありまして、30分ちょっと伸ばしてくれないですか。ああそうですか、どうぞどうぞって言うんですよね。

これは、その本人がやってる仕事にどのくらいの価値を見出してるかによって決まるわけですね。それだから、そういうような基準から言いますと、役所の基準が一番低いんですよね。

お医者さんもね、ちゃんとして自分は命を救うお医者さんだと思ってる人は、あるいは少しもちろん診察する時間、だいたいお医者さんは診察時間伸ばしますよ。延ばしても、そこに来られている苦しんでる患者さんを治そうとします。

しかし、金だけを目指している。つまり、医療が金であればね。医療ってのあまり価値のないものですよね。医療っていうのは命を救うから価値が出てくるんで。だから、価値のない医療の人は、いやもう時間です、ピシッとしてしまってしまいます。そういうことがあるわけですね。

サラリーマンもそうですね。価値のないサラリーマンの仕事の場合、パシャと切られるし。価値があることを自分やってると思ったら、まあ少し残っても仕事をするってことになりますね。

そこのところが、母親として、あまりにサービス残業ばっかしてるので。それは大切なんですよ。それはせざるを得ないとかね。ただそれをしてるので、みんなが誤解するし、本人も誤解してるってとこあります。まあ声の小さい人の応援の4は、最も大切で誰も気がつかない人、これが母親である。ということを指摘したいと思います。

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声の小さい人を応援(3)「取りえ」教育を止める 令和5年4月9日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんばんは。武田邦彦です。

ええ、今日は声の小さい人を応援したいというやつの3番目ですね。

ええ、1番が、保育所お母さんが忙しいから保育所を作るという、声の大きいお母さんの方を聞くんではなくて、保育所に預けられる声の小さい子供のことを考えたらどうか、幼児のことですね。

第2番目が、平均点を小学校で取るというのは一体何か。これは小学校の校長先生とか担任の先生が、評価とかそういうのに使うのは便利だけど、評価される子供の方はたまったもんじゃないと、いうことを例を挙げてお話をいたしました。

3番目が、取り柄教育ですね。これ小学校で取り柄っていうものを教育してるわけですが。ある時に私がある大学でですね、なかなかいい学生がいたもんですから、その学生に割合といいテーマを与えてですね、それでまあ一生懸命指導しておりましたら。その学生がですね先生先生が僕に期待してくれるのは嬉しいけれども、僕はダメな人間なんです。小学校の頃取り柄をずいぶん聞かれましたが、僕には取り柄がないんですよ。こう言いましたね。

その学生は小学校の時に取り柄を聞かれて、自分に取り柄が答えられなかったんですね。それで、それが元になって、自分はダメな人間なんだ。つまり、取り柄がないからダメ人間なんだと、そういうふうにですね、実はもう信じ込んで、その後あんまり努力しなくなっちゃったらしいんですよね。

だからつまり、例えば僕がいい学生だからと思って、割合いいテーマでちゃんと指導しようとするとですね。いや僕はそんな人間じゃないんですよって、後退するっていうね。そういう可哀想な事態だったわけですね。

で、その時に僕は、君あの取り柄っていうのはどういうやつを言うのって言ったらね、彼が言ったのは、彼が言ったことを僕は聞いたんで、本当に先生がそう聞いたかどうかはもちろんわからないんですけど、そういう細かいことなかなかわかんないんですけどね。要するに、勉強ができるとか、それから足が速いとか、それからピアノを弾けるとか、そういうのを取り柄って言うんですよ、と言うんですね。

私はねまあ、びっくりしたと言ったらちょっと表現がいけないですけど、まあややびっくりしました。そう。そんな取り柄って限定されてるのとこう言ったんですね。まあ人間にはいろんな取り合いがありますよ。取り柄っていうのはそんな勉強ができるとかね、スポーツができるとか、それからピアノを弾けるとか、絵が描けるとか、そんなんじゃないものいっぱいありますよね。人柄がいいとかね。それから人を笑わせることができるとかね。

その、取り柄っていうのは別に、そういう辞書一応見てみますとね、色んな定義があるんで一言で言えないですけど。いずれにしても、小学生では、小学校ってなんかね、学校っていうのがね、日本ではなんか成績っていうか、教科っていうか、学問っていうかね、知識っていうか、そういうものを教えるところだっていう風に最近は思ってるんですよ。

昔は違ってたんですよ。昔の江戸時代までの教育とは寺子屋教育もはじめとしてね、違う教育だったんですね。目的が違うんですね。だけど、明治になりましてね、国家に貢献する人材づくりということで。いや実はこれ後でお話しますが、国家に貢献する人材っていうのは、成績が良かったり、足が速かったりする人かどうかっていうのは、ちょっとよく考えてみなきゃいけないですね。

でまあ、小学校の取り入れ教育は少なくともそういう教育なんですよ。で、私はちょっとびっくりしましたね。えっと、日本文明における取り柄っていうのと、欧州文明における取り柄ってちょっと違うんですね。これはどこに出てるか、どこに顕在化するかっていうと神様なんですね。

例えば、古代ギリシャの神様はもちろん男性で、一番上の神様ですね。男性、支配をする神様。筋肉隆々としてですね、剣かなんか持ってですね。これは筋骨隆々として剣を持ってるっていうのは、力が強いということが取り柄だっていう考え方ですね。

それから近代になって、今度は資本主義になりますと、お金があるのが取り柄だ。お金を持ってることが取り柄だと。今のアメリカなんかがその典型ですね。したがって例えば、ダボス会議とかね。それからなんかアメリカのいろんなそういうやつとかね。G7は力ですかね。いずれにしても、国連でもない、何でもないような、なんか私的機関が突然湧いて出てくると。

なんでそういうダボス会議なんてのが、これ経済の支配をしてる会議ですよね、国際会議。G7つったら誰でも知ってるような主要国7会議。これも国連に関係ないですよね。国連はみんなが権利を持ってるので、世界中のですね。嫌だと、自分たちだけでグループ作って力があるから支配しようって、もうそういう考え方ですね。

これはあの、ヨーロッパで、主に欧州文明なんですね。力が強い方が偉い。お金を持ってる方が偉い。知恵を持ってる方が偉いってことですね。例えば、今で言えば、首相は偉い人である。経団連の会長を偉い人だと。東大出は偉いと。

こういうですね、人間が偉いかどうか。オリンピックで優勝したというのは偉いですね。ただ、日本文明はちょっと違うんですね。オリンピックの100mで金メダル取った。確かに立派ですよ。拍手はしたい。だけど、そのオリンピックで100mで優勝した人がみんな人間として偉いのか違いますよね。

で、教育というのが能力を高めることをもって教育とするっていう考え方。これはヨーロッパの考え方ですが。これにしますとね、ちょうどイギリ小学校で昔見られたように、先生は鞭を持ってる。何で鞭を持ってるか、教育を受ける前の人間は野獣なんですね。それをこう鞭で叩いて、野獣と同じように鞭で叩いて、子供を叩いて、そして人間にする。これが教育であるという、こういう考え方ですね。

日本文明は全く180度違うんですね。どういう風に違うかっていますと、これは神様に現れるわけですね。日本の神様も天照大御神が一番頂点にいます。神様ですから男か女かはもちろんはっきりはしないですけど、まあ一応女性の神様と認識されております。認識されればいいんですね。神様っていったらだいたい架空ですから、認識した形がそこに残るわけですね。

で、天照大御神は行動も女性ですね。絵なんか見ますとね、天照大御神がさなりと中央に立っていて、これで軍隊が横に行く、膝まついてますね。あれはまあヨーロッパの神様の書き方と全く違うんですね。力が中心にはない。もっと優しくて、実際にみんなを良くしてくれる。これが一番いいということで。

例えば、ヨーロッパの神様を怒らせると、叩き切られちゃうんですけど。日本の神様を怒らせてもですね、天岩戸に隠れるだけですね。天照大御神。そうすると太陽がなくなって、ジメジメして蛆がわいてということになるので。解決策も天岩戸の中に隠れた天照大神を呼び出すために、岩戸の前でいかがわしい踊りをしてですね、何が起こってんだろうと思って覗こうとするとそれを開けて、光を元に戻るっていう。実にこう平和的なですね、解決策が示されてるわけですね。

神話って本当によく考えられているんですよ。神話が事実であるかどうかのことはあんまり問題ではなくて。神話がその抽象的概念をね、話としてどういう風に教えてるかっていうことになりますからね。

そこで日本文明っていうのは、僕が思うその西洋文明で力、金、知恵なんかに相当するものがですね。日本人ではですね、嘘をつかない。これはもう、すごく強いですよ、日本のね信念の中で。それから、人の金をせびらないっていいますかね。くすねないですね。お金に対して清廉潔白であるってことですね。それから最後が、恩を感じる人になれということですね。この3つじゃないかと僕思うんですよ。

もちろん4つ5つと増やしてもいいんですけども。まあとりあえずないくらでもあるんですけどね。ですから、小学校教育で嘘をつくということは良くないことなんだ。嘘をつかない子は取り柄のある子だ。人のものを取ろうとか、人のものをくすねようっていうのはダメなんだ。それから恩を感じなきゃいけない。というですね、取り柄を教えてたら、僕は非常に立派な人がねできると思うんですよ。

問題はここでね、反論があります。私が中央教育審議会の専門員だった時にね。割合そういう考え方でいろいろ発言しましたが、全然受け入れられませんでした。何で受け入れられなかったかというと、それでは競争に負けるって考え方あるんですね。

要するに、国が競争に勝つためには、力とか金とか知恵とかいうのを上位に置いとかないと負けるって考え方ですね。しかしこれはね、非常に直感的であまり精密じゃありません。

日本が有色人種で唯一白人に対抗できた。唯一植民地にならなかった。これは何かっていうと私はね、嘘をつかない、人の金をくすねない、それから恩を感じるというのね。まあ僕の言葉でいえば酪合。これがですね、日本人を、日本を救ったんだと思ってるんですよ。

つまり、個人個人がお金を儲けたり力をつけて他人を支配したり、何かいいように見えますけど、実は人間の本性、これ僕の考えですよ、人間の本性っていうのは何か発明したいとかね、ちょっと早く走りたいとか、それから社会で大きな仕事をしたいって欲求が非常に強いんですよ。これはあの自分の心の中から生まれてくるものなんですね。ですから、これは取り柄っていうんじゃなくてね、人間本来の欲望みたいなもんだと私は思ってるんですよ。

例えば、ゴッホとか、ルノアールとかそういう人がいますね。日本でもいっぱい、横山大観だとかね、いっぱい画家がいます。作曲家のベートーヴェンとか、日本で言えば宮城道雄とかねいますよ。滝廉太郎とか。こういう人たちはですね、ほっといても絵を書いたり、音楽を作曲したりするんであって、それが報われるからというのと違うんですね。

その点、社会に力が湧くのはですね、やっぱり集団性が強い方が力が湧くんではないかと私はそう考えているんですね。したがって、集団性を大切にするためには、お互いに嘘をつかないとかですね。それから、その他人のお金せびらないとかですね。それから、恩を感じるとか。こういうことによってですね、その団体の力が上がる。だから、団体戦個人戦みたいになってですね。

で、歴史的に言えば団体戦の強い日本がですね、個人戦の強いヨーロッパとか中国に負けなかったということですね。最後のあの大東亜戦争で負けたじゃないかってことは、もう1回僕は何度もこのブログで言ってますが、時々繰り返して言ってるんですけどね、あれは別に戦いに負けてるわけじゃないんで。強がりでもないですよ。正しく間違えないと思いますね。

ということで、今日はあまり話は発展させませんが。取り柄教育っていうのは、本当に小学生心の声の小さくてね、まだ経験が浅くて、あまり人に主張できない小学生を痛めつけてる感じがするんですよね。

だから取りえ教育でも、取り柄というの日本流の取り柄ですね。嘘をつかない。君は嘘をつかない立派だよと。君は人のものを盗んだり取ったりしようとしないから立派だと。自分は自分でやろうとしてる。それからやっぱり人間は恩を感じてね。それでやるのが大切だよと。そういうね、あの教育の方が、私は現代のこの世界でもですね、力を発揮するんじゃないかというふうに思いまして。全く日本にもですね、まあ幸いをもたらすことはあっても、不幸をもたらすことはない、そういう風に考えております。

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声の小さい人を応援(2)「平均点って、なぜ?」 令和5年4月8日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

今日も旅先でですね。ちょっと照明がうまくいかないんですよね。窓を開けるとなんかえらいことになって、室内照明ですとこんな風なのがベストなんで、ご勘弁頂いてですね、お聞きいただけたと思います。

今日もですね、一応あのこのシリーズというか、声の小さい人を応援したいということですね。2回目ですね。この前は保育園ですね。お母さんが忙しいから保育園に子供を預ける。何でですか。いやお母さんは声が大きいけど、幼児は意見を言わないから。それじゃあね、やっぱりちょっと問題だと思いますね。

今日は小学校でですね。平均点って何故ってですね。平均点、今あの国語、算数、理科、社会を教えて、もうひどいのは英語もなんかやったりなんかもしてんですけど。ええと、平均点を取るのはなぜなんですかね。いや、これ実は理由はあるんですね。

理由はどこにあるかっていうと、明治時代ですね。日本が建国しまして。あの頃、白人ってのがすごい獰猛でですね。今でもヨーロッパがいいとかアメリカがいいとか言ってる人いますけども。私なんか明治時代をよく知ってるんでね。知ってるって言うか、まぁほとんど日本以外の有色人種の国は全部植民地で。しかも最後に残った日本はですね、その前に中国を散々やっつけて、それで日本を取りに来たわけですよ。それに対してやっぱり日本はもう必死になって守ったんですね。

だって、インドも取られ、中国も屈服しというような状態でアジアっていう国はありませんでしたからね。フィリピンはアメリカ。インドネシアはオランダ。その頃、インドネシアという名前もありませんでした。オランダ領東インドって言ってましたよ。フランス領のインドシナですね。

とにかくアジアはなかったんですよ。なんか今中学校とかでね、日本がアジアの国に侵略したつって全くの嘘言ってるんですけど。アジアには国がなかったんですよ、日本以外は。

ずいぶん頑張るんで、それでまあ、とにかく明治時代は小学校教育、もう全力を注いでですね。とにかく国語、算数、理科、社会がわかる、そういう兵隊を作りたい。兵隊教育ですからね。今でも兵隊教育やってんですよ。

まあ、このおかげでね、実はロシアとの戦争を勝ったわけでしょ。陸上の戦争が特にそうですよ。両側軍隊が対峙してね。日本が勝ったら、ロシアは大砲を捨てて逃げていくんですよ。その大砲を獲得したら、日本兵ですからね、くるっと回して敵に打てるんですよ。

ところが、ロシア兵はアホだったんですよ、あの頃ね。帝政ロシアですから。ロシア勝ったら日本も対応して逃げるわけですけども。ロシア軍は日本の大砲を打てないんですよね。もちろん、日本側艦船のですね、あの砲の精度なんかも、訓練もありますけどね。伊集院信管とか下瀬火薬の影響ありますが、しかしやはり教育がすごかったんですね。

あの頃、世界の一等国だったイギリスの文盲率を抜いたわけですからね。それはなかなかそういう兵隊で構成されている軍隊を破るのは大変ですからね。ですからロシア負けましたね。

だいたい陸上戦ですとね、ロシア20万人、日本10万人っていような、だいたい2対1の戦いだったんですけども、そういう戦争を勝ってきまして。海上でもですね、ややロシアの方が2倍ぐらい兵力あったんですよ。それを破ってしまいましたね。

これはだから、明治時代は良かったんですよ。今、明治時代じゃないんですよ。それ分かってるのかなと思うぐらいなんですよ。今、明治時代じゃないんですよなんて、改めて言う必要があるのかと。今でも、国語、算数、理科、社会を教えてですね。平均点を取って評価してんですね。

僕はね、小学生の中で100m速いとしますよ。これ運動だったらすぐわかりますよ、みんな。100メートルすごく速くて、国体の少年の部ぐらい出したらね、大変にいいだろうと、いう早いの、今年もいますよね、中学1年生で早い女の子が。そういうのが出てくると。

そうするとね、先生がたが寄ってたかって親も含めてね、その小学生に君はね100m早いけど、運動っていうのは100mだけじゃダメなんだよ。バレーボールみたいな球技もできなきゃいけないし、冬のスポーツとか夏のスポーツとか、スケート滑れるのとか言うとですね。その小学生は真面目ですから、僕ダメですとか言うでしょ。じゃあダメじゃないかと。平均点だからね平均点。そんなこと子供に言ったらですね、スポーツが楽しくなると思います?絶対違いますよ。

それを今やってるんですよ。だから平均点を取るのは本当にね、あのダメなんですね。

だからまあ最低ね、例えばアメリカでコンビニで75セントのものを買ってですよ、1ドル紙幣なんか出そうもんならね、100-1ドルというのは100セントですから、100-75=25っていうのができないんですよ。アメリカ人ね、ほとんどできないですよ。インテリアはできますよ。大学出てるのはできますけどね。売り子さんできないんですね。少なくとも、僕アメリカでよく行ったところはできませんでした。引き算できないですね。

だから、四則演算ぐらいはね。足し算、引き算、掛け算、割り算ぐらいはできたほうがいいですよ。それはまあ、ある程度しょうがない。で、漢字もね。やはり新聞が読めない。今はもう新聞を読む必要ありませんが。ちょっとしたこのネットのね、文字も読めないっていうんじゃあ、またまずいから、Wikipediaぐらい読めるというぐらいのですね、感じでいいんですけども。

小学生にね、とても難しい漢字をクイズみたいにして覚えさせたりしてるんですね。ちょっとやりすぎですよ。ね、だから、私はね、点数の付け方としては一応最高点。その子が何かの科目がよければね、それ最高点をつけて。最高点はまず表示して。だから、それ100m何秒つの先に言うようなもんですから。別にスポーツだったら普通にやってることですよ。ね、ピアノが弾けるとか、絵が上手いとか、そういうのでいいんですね。

それで、あと残りを平均点を一応表示しおく。それで最高点がその人のまあ一応学校としてのね、勉強としての成績で、それで平均点は参考程度。

もちろんスポーツもピアノもそういう風にやると。非常にピアノが上手くてね、学業はちょっとっていう人はピアノの点数を表示する。点数じゃなくてもいいけど、チェルニー30番の5番まで弾けるとかね。この子はチェルニー何番まで行けると。リストが弾けるとかね。リスト引ける人って小学校でいないと思いますが。まあそういう風にね、そういうのを表示するというようなねことで、その子の力を伸ばすと。

教育というのはその子の力を伸ばすためであって。何も日本のために働くとかいうような、今そういう時代じゃありません。

それから、お母さんがね産む子供ってのは非常に正確に産んでるんですよ。僕がいつも言ってるのはね、女の子を1000人産んだらお母さんがね、男の子を1054人でしょうかね、今だいたいそのくらい産むんですよ。それはなぜかったら、男の子がだいたい0歳から20歳に行くまでに50人近く多く死ぬのでね。

これはまあ、生物っていうのは仕方がないんですね。生物は遺伝を主として伝える性は若干体が弱いんですね。よく知られているのは血友病になるのは、もちろん男の子だけですしね。劣性遺伝子のいろんな病気になるのも男の子だけなんで。それはまあしょうがないですね。女の子も遺伝は少しはしますけども。呼吸なんかに関係するものは母親の遺伝子を引き継ぎますけども、その全然遺伝の質が違いますね。

これはあの男女が同じとか同じじゃないとかいうことじゃないんですよ。女の人はなぜ子供を産むのっていう、そういうアホな質問と同等なんですね。ちゃんと男性と女性が幸福になるように自然は仕組まれております。男性と女性が同じことやるなんていうのは、もちろん不幸のもとですからね。

で、中学進学時に、勉強が好きな子供を作るというのが当面非常に重要でしょうね。教育改革はまずそこからでしょうね。だから、最高点を表示して、平均点は参考程度にしてですね。そして、子供が生き生きと勉強ができると。

それから、例えばピアノがすごくうまい子でしたらね、全部ピアノが最高点と表示して、国語、算数、理科、社会の平均点は、まあお釣りが出せればいいよという程度でまあやると。

ピアノもね、お母さんがあんまり夢中になって、もう女の子なんかの場合ね、昔はもうピアノ嫌いだと言うまでやらせると、また問題なんですよ。そうじゃなくて、その子がやりたいというのを伸ばしてあげると。

この伸ばす方法はですね、私、武田流はどういうのかっていうとですね、2歳とか3歳ぐらいになりますと、その子の個性が出てきますね。そうしますと、その子供の好きそうな本だとかおもちゃをですね、ちょっと目の付くところに置いとくんですよ。何気なく。

そうするとね、子供っていうのはね、自分の興味のある本とか自分の興味のあるおもちゃに行きます。サイトもんとかねお人形さんとかですね。それはあの親の一番重要なことだと思うんですよ、役目として。

親が子を見ててね、1年ぐらい経ちます。また2歳が3歳に3歳が4歳になりますとね、成長とともに興味が変わってきますね。最初はもう新幹線、新幹線つった子供がね、いつの間にか星アンドロメダとかなんか言い出してね。そのうちなんか別のこと言い出すんですよ。あの県はおじいちゃん、あの千葉県はピーナッツだったっけと言いますからね。

そういうのに応じて、こう興味のあるところを勉強させていく。それが主体で、それにちょっと学校で習うことを平均点として少しずつ、あまり無理ない程度に。

まああのもう算数なんか、ものすごい勢いでさせてんですよ。ものすごい量。これでもそれ、3桁の引き算だとか、わあわあやってるんでね、やりすぎです。私はそう思いますね。

むしろ、そんな画一的な教育ではなくてね。その子の得意なもの。これはお母さんが産んだ子供なんですよ。ね。赤い筋肉が多い子供を産めばね、マラソンが早いし。白い筋肉の子供を産めば、100mが早いんで。

子供の好き嫌いに見えるやつは、子供の好き嫌いじゃなくて、母親父親って言ってもいいんですけどね。親がこういう子供になってほしいというようになって、その後好きがあるんですね。ここんとこ絶対間違いできません。

まあいずれにしても、声の小さい人を応援する。つまり子供を主体として。こどものための教育に決まってますよね。別に小学校の先生のための教育でもないし。親のための教育でもないんですよ。国のためでもありません。個人があくまでも幸福な人生を送るためにアシストする、というだけですからね。

さらに日本は将来あまり会社員というのが、それほど今のみたいにもてはやされませんから。それも考えて、30年後40年後のね日本で、この子供が幸福になるためには、ということを親は十分に考えなきゃいけないと思いますね。特に教育関係の人はよく考えてみてほしいと思っております。

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