武田邦彦 ヒバリクラブ 文字起こし

武田邦彦先生の音声ブログの文字起こし

「理想的な文明」 令和5年4月13日_文字起こし

-----------------------------------------------------------------------------------------------

武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

www.youtube.com------------------------------------------------------------------------------------------------

ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

今日はですね。ちょっとゆっくりと、理想的な文明っていうのはどういうものかっていうのをですね。少し歴史的なこととか対比を交えてですね、お話をしてみたいと思います。

ええまあ、我々はですね、どういう文明が受動的な文明か、大きく2つ分かれておりましてね。ヨーロッパ人というのはなかなか理屈がうまいんで、例えばベンサムっていう人が最大多数の最大幸福とか言ってますんでね。私なんかもそういうのをこう子供の頃聞いてですね。最大多数の最大幸福いいなあと思いますけどね。それは口で言うのは簡単なんですが、最大多数の最大幸福っていうのは、どういう状態で得られるかってことについてのイギリスのですね、長い社会学、哲学の話はですね全然違うんですね。

えっとですね、彼らはなかなか面白いその民族で、自分の腹の中にあること、こう思ってること、全く180度違うこと言うんですね。違うこと言うことによって、自分が得するかどうかっていうことだけに集中しておりましてね。最大多数の最大幸福というと、みんなが乗ってくるだろうと、まずこう考えるんですね。

しかし、本音は最大多数の最大幸福じゃなくて、自分だけ幸福、というシステムはどういうシステムかというと、みんなには最大多数の最大幸福と言って、それでこういうのが最大多数の最大幸福ですよと言うと、多くの人はそれに賛同するだろうと。

それはよくよく考えると、言ってる本人だけが幸福になる方法なんだけど、それには気が付かないだろうというのが、実はそのイギリス人の上手いとこなんですよね。非常にこう言ってみれば尊敬できるぐらい極端にうまい、嘘が上手いという感じなんですね。

それをちょっと対比して、ここでお話しますと、ヨーロッパにおける偉い人っていうのはですね、お金を持ってる人、力がある人、知恵がある人っていうのが偉い人なんですね。

例えば、お金がある人、資本家ですね。大金持ち。それから力のある人、昔だったら殿様ですね。今だったら大統領とか、首相でしょうね。知恵のある人、ケンブリッジ大学を出たとかですね。そういうオックスフォード大学、パリ大学そういう人ですよね。それが偉い人なんですよ。

偉いという基準がですね、金とか力とか知恵にあるわけです。これはどうしてかってことをもう少し後で考えてみたいと思いますが、日本の偉い人はちょっと違うんですね。日本は人間で偉い人っていうのは金とか力とか知恵ではなくて、嘘をつかない人、人の金をせびらない人、恩を感じる人、まあ誠実である人といってもいいんですけどね。そういう人が偉い人なんですね。

ですから、まあその民族によって神様っていうのは偉い人をこう象徴してるのが神様ですからね。当然、ヨーロッパの偉い人はギリシャの神様のように非常に筋骨隆々した男性で剣を持っている。お金もあり力もあり知恵もあるというわけですね。

それで日本の偉い人ていうの天照大御神なんですね。嘘をつかない、真面目で、人の金をせびったりしないというようなね、そういう平和な神様が日本ではトップの神様なんですね。

ですから、こういうヨーロッパの文明は金とか力とか知恵ですよとか。日本の偉い人っていうのは嘘をつかない人とか、人の金をせびらない人とか、恩を感じる人と。そういうんじゃないですよというようなこと言わなくてもですね、神様を見なさいって言ったらわかるんですけどね。

もう一つの軸はですね、ヨーロッパの価値なんですよ。人間ていうのは何が価値があるということなんですが、ヨーロッパは支配することが価値なんですね。ですから、王様になることはいいこと、というか価値のあることですね。

日本の場合、価値があるというのは、みんなが幸福であることを価値があるというんですね。そうなりますとね、先ほど一番最初に言ったベンサムの最大多数の最大幸福というものは、実は世界では日本だけが、その方向に向かってたということは言えるでしょうね。

日本だけがなぜその方向に向かってたかっていうと、日本は5万年前から現在認められてるんで5万年なんですが、そのうち8万年前ぐらいになると思うんですけどね、まあ今まで遺跡がちゃんと見つかってるっていうのは、最近8万年とか12万年って遺跡もちらほらとは出てきてるんですが、あんまりそこのとこで議論したくないので、5万年前からね、日本列島にいて、ほとんど戦争をせずに、階級もなくやってきました。

どうもこれは、日本が非常に自然豊かだったってこともあるんですけどね。日本にいますとね、自然が自分たちに恩恵をくれるという感じがしますね。しかし、私世界でいろんなとこ行きますと、もうほとんどのところは自然は猛威を振るって人間を襲ってくるって感じなんですね。

例えば、あのよく日本ではですね、南フランスなんていいなぁと思ってですね、行ったことも何回もあるんですが、そこに原子力の施設があったもんですから何回も行ったんですけど。いつも厳しい風が吹いてですね、決していいとこじゃありませんでした。やっぱり、自然は人間に敵対してるなって感じがしましたね。

しかし、日本の自然はそれから見たらすごく優しいですね。ですから、もうそういう風土の中で、島国で、周りの海っていうのはものすごく大きな障壁ですからね。民族が入ってくるとか、軍隊が来るとか、盗人が来るとかないんでね。そこの中でみんなで幸福に過ごしてきたんで、イギリスの社会学者と言ってんですかね、ベンサムが言ったような最大多数の最大幸福っていうのは、世界で日本だけが現実にそれを実施したんですね。

そうするとね、階級は一つでじゃないかと。別に国民ってのがいればいいじゃないか。なんで天皇陛下なんか作らなきゃいけなかったのかって言いますとね。これはちょっと話が少し飛躍するんですが、しかし、長い歴史を一つの目でこう俯瞰してみますとね。例えば、共産主義という国はですね、ソビエトロシア、中国共産党、それからポルポト政権カンボジアもね。それから現在の北朝鮮なんかを見ればわかるんですが、支配者が国民を虐殺するんですね。

そのスターリンの場合はだいたい2400万人ってことで、もうだいたい歴史学的にも固定しております。殺した自国民ですね。それから、毛沢東についてはいろいろ説がありますけども6000万人とも言われております。それから、カンボジアポルポトは約国民の半分を殺したといわれています。北朝鮮については、だいたい皆さんが知ってるんで、比較的偉い人が突然殺されたりしますんでね。

それはどうしてかって言いますと、人間社会ってのは人間のこれ根本なんでしょうけど、神とか神様に類するもの、例えばキリスト教の神、ユダヤ教の神、これ一緒かもしれませんけどね。ヤハウェ。それからイスラム教の神も同じかもしれませんね。仏教ですとお釈迦様とか、そういう絶対的な人がおかないと、やっぱり人間は歯止めが効かなくなってしまって、自分の権力を使って人を虐殺するようになるんですね。

これ歴史的な結果ですから、別に僕の意見じゃないんですけど。そういうところから見ると、昔の人が神様というのを作ったのはですね、神様が社会にいないと、どうもですね、人間は人間を殺すんじゃないかっていう気配があったんでしょうね。

まあ日本の天皇も全くそれと同じようなことで、天皇陛下ってのがいると。一応神様としておくと。天皇陛下が人間じゃないかなんて一生懸命言ったって、あんまり意味がなくて。天皇家が人間か神かってことは、日本国としてどういう体制がいいかってことですからね。

天皇陛下がおられて、天皇陛下はもう立派だから、天皇陛下にもうみんな従っとこうと。天皇家が別に試験を受けるわけでもなし。修行されてるわけじゃないけど。一応血筋的に偉いという風にしとこう。それによって社会が乱れないようにしよう、という社会の一つの原則ですね。

ですから、こういう点から考えますと、まだまだよく考えてませんが、最大多数の最大幸福が実現する文明は、天皇陛下をいただいている状態の日本の文明だということが言えますね。それは、人として偉い人は嘘をつかない人、人の金をせびらない人、それから恩を感じる人であり。

それから、人の価値としての見方は、みんなが幸福になるようにやる。つまり、平等ですね。ただ一人だけ、ちょっと特殊な人を置いとかないと、みんなが幸福になるっていう状態ができないというのもですね、ちょっと付け足しておかなきゃいけないじゃないかと思いますね。

その点では、日本が歴史的にも非常に幸福だったっていうのは、やっぱりそういう社会だったということが言えるんじゃないかと思います。

実はこのことが頭に引っかかりだしたのは1週間ぐらい前なんですが。いやどうなんだろうなぁ。なんでヨーロッパは知恵のある人、金のある人、力のある人が上にいて、そういう人をもてはやすことが社会に幸福をもたらすという考えですね。

今でもそうですね。小学校でも、成績がいいとか、ピアノが弾けるとか、足が速いとかいう人をあなた、君は立派だねと言ってるようですけど。本当でしょうかね。本当にそういうことが人間社会っていうのは、価値のあることなのか。

もちろん人間ですから、知恵があるとか、力があるとか、足が速い人いますから、まあそういう人に対して拍手することは必要。そういう人に社会のある部分を担当していただいてね。社会がより良い方向に行くことを努力していただく。

例えば、科学が非常にできる人は科学を一所懸命やってもらって、新しいスマホならスマホを発見してもらう、発明してもらうということは必要だけど。だからと言って、彼を非常にもてはやすというのがね、必要かどうか。

また、人間は、その科学が非常にできる人とか、絵が非常に上手い人っていうのは、報酬がなければやらないのかっていうと、私はね、長い人生でこうやって見てますとね、絵を描きたい人が絵を描く。よく音楽が好きな人は作曲する。科学が好きな人が実験をするっていう傾向にあって。まあ若干みんなでね、拍手ぐらいしてあげてもいいけども。それ以上のことはないんじゃないかというふうに個人的には思ってます。これも少しずつ考えてみたいと思います。

------------------------------------------------------------------------------------------------

 

↓クリック頂けるとブログ更新の励みになります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村


科学ランキング