武田邦彦 ヒバリクラブ 文字起こし

武田邦彦先生の音声ブログの文字起こし

憲法の無い国(4)「何のために憲法改正?」 令和5年4月6日_文字起こし

-----------------------------------------------------------------------------------------------

武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

www.youtube.com------------------------------------------------------------------------------------------------

ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

いよいよ旅が続いてですね。全然家に帰ってないもんですから。ええまあ、ホテルで録音できる時はまだ良かったんですが、今日はこれあのキャンピングカーの中なんですよ。ちょっとグレードの高いキャンピングカーっていうんですかね。これ普通自動車だとは思うんですが、十分なスペースがありですね。最近は車のシートも大変で良くなったので、キャンピングカーと言ってもですね、普段私が借りてるシングルルームなんかとあまり変わらないのでここで、やらせていただきたいと思います。

ええ、今日はですね、憲法の問題のまあ最終に、一応ですね何回に分けますけどどれもこれもですね、何のための憲法改正っていう名前なんですが。というのは今自民党を中心としてですね憲法改正をやろうとしてるわけですね。で、憲法改正を検討するのは非常にいいんですよ。というのは、もう戦後70年も経ちましてね、それであのアメリカ軍が作った憲法のままっていうのもやっぱり恥ずかしいですから、やはりあの日本人がやっぱり憲法を検討するって必要性は十分にあるというふうに私は思うんですね。

しかし、やっぱり日本人はまだちょっとそこんとこは十分じゃなくて。ここに書きましたように、どうもね、今度の改正っていうのは国民に関係ないじゃないかと思いますね。

例えば、第9条と自衛隊の関係では、ここで示しましたように、十分にもう自衛隊っていうのは現在の憲法で合憲であるということがはっきりしております。それから、現在の憲法改正の動き見ますとね。例えば、今度のいろんなことで言論の自由表現の自由が思うようにならなかった時に、どうしたらいいかっていう点も今検討されておりませんね。

で、信教の自由とか、そういう風なまあ日本の憲法でありながら日本文化とは入れないということについて検討されてるわけでもないんですよ。ということは憲法改正で何のためにやるのって言ったら、まあ言ってみれば緊急事態宣言で、何かそういう時に国民の権利を阻害しようというな方向で自由民主党が検討していますね。

つまり、憲法改正は国民の自由を奪うためにやるんだということになるとね、これは時代錯誤ですよね。

特に今立憲民主党をはじめとした野党がですね、どちらかと言ったら規制側なんですよ。前のねまあ社会党なんかは、規制側かどうかまあはっきりはしませんが、基本的には国民の人権を守るという点では、かなりきちっと考えてたんですけども。今の立憲民主党なんかはですね、そういうのはただ議員数を増やしたいために、何でも言ってもいいよってな感じになってますんでね。それで非常にこう曲がったこと言っております。

例えばですね、その疫病とかそういうのが流行った時に、どういう風にやるかということは、やはり基本的にはですね、免疫学、疫学、伝染病学会、そういうところがですね、まず最初の提案をして、それから法律的には防疫ですね。防疫っていうのはあの疫病を防ぐというための防疫ですけども。それをですね、現在はみなごとに防疫所のですね所長が決めてるわけですが。それをまあ、こういった今度のね疫病のように非常に大型の疫病の時にどうするかというようなこともですね、十分な専門家の検討があって、やはりなんたって憲法に書くわけですからね、やっぱり少なくとも専門家の段階の検討ってのは終わってないといけないと思いますね。

それから、予防についてもですね、実は予防をこういった風邪とかね、ガンとかそういった国民的にみんながかかるような病気についてはですね、どういう風に予防するのかと。ま、現在、食事の問題。それから日本食とそれから洋風な食事との問題。コオロギみたいなものも出てきますしね。

それから、人間の生活の仕方ですね。生活習慣病っていうのは一時言われましたけれども、それはあのただ単に厚生労働省の儲けのために、メタボリックシンドロームってのが出てきたわけですが。もっと大きくね、現在の生活において車社会でもありますしね。そういう中で、運動とか日光浴とかお風呂の温度とか、それからいろいろ食べ物の種類とかですね、それから遺伝子作物の是非とか、そういったものに大きく広げてですね、食料関係、栄養関係でも議論が必要だと思うんですね。

例えば、糖尿病についてもですね、お米を食べた方が、カロリーを取る必要ありますからね、標準的なカロリー摂取の場合にお米を食べたがいいのか、それともお米を減少してカロリーを脂肪だとか砂糖で取った方がいいのか、そういう簡単なこともまだ明らかになっておりません。

それから例えば、今度ではマスクの問題なんかありましたが、いろんな防御系に関する適否ですね。適当か不適当かということも、やはりヨーロッパではこう言ってるとか、アメリカではこう言ってるって言うんじゃなくて、やっぱり日本がそれを参考にしてもいいですけども、少しは日本のデータも使ってですね、そして学会あげて憲法改正に関する国民の健康維持。もしくは、疫病の蔓延阻止。というものについて、取り決めるだけの施策を進める必要があって、それがあって初めてですね、憲法に反映させることができると思います。

そうしないと、国会議員とか役人の都合のための、憲法改正になるんじゃないかというふうに思っています。

まあそういう点で私ですね、環境の問題もそうですね、これも矛盾だらけなんですよ。

つまり、日本は日本の列島の東の太平洋が著しくCO2、つまり温暖化ガスが不足していて、そのために日本の漁業の自給率って言いますかね魚介類の自給率が50%切ってるわけですよ。水産国でありながら50%切ってるわけですね。

こういった状態を見ればですね、エネルギーの問題を含めて考えれば、環境エネルギーの問題食料の問題ね、これはリンクしてますから、これを考えればですね、やはりあの日本はですね、石炭火力発電所を太平洋側に作って。できればその煙突を直接ですね、海の中に吹き込むというような考えでですね。それこそ国立環境研究所とか、産総研といった国の研究所をあげてですね、日本が化石燃料を使いながら、社会に貢献することができるかと。そういう問題にですね、取り組む必要があろうかと思います。

それを踏まえて、憲法にもですね、環境問題をどのように記載していくかと。日本の将来の環境はですね、少子化とも非常に関係します。現在は人口は1億2000万人ですけれども、太平洋戦争はっていうかね、大東亜戦争が始まる時は日本の人口は7000万人でした。従ってですね、ちょうど現在の人口を半減させる、6000万人ぐらいにしますとね、人間1人当たりの行動も増えてますので、6000万人の人口でもですね大東亜戦争の前よりかはですね、人口が実質的には多いということになるかと思うんですね。

で、現在の人口推計ではですね日本の人口を自然に任せても、22世紀つまり今から80年後にですねだいたい6000万人くらいの規模に達すると計算されておりますので。非常に都合がいいんですね。それじゃあ、あと80年後にですね、22世紀になったら日本の人口は戦争の前に戻ると、それを焦点に合わせてね憲法も作らなきゃいけないと思うんですね。

その時は憲法の作り方もずいぶん違ってくるとますので。まさか現在の自民党を中心とした憲法改正議論がですね、1億2000万人でまさか検討してないとは思いますが、怪しいですね。

この頃の政治家のあの頭脳っていうのはですね、現在しか見ないというところありますんでね。それではやっぱり憲法になりません。やっぱり憲法っていうのは国家100年の計があって、初めて憲法改正という能力があるわけですね。

私の個人的な希望ではですね、言葉が少ない人の権利を憲法に盛り込んでほしいっていうのが僕の考えですね。言葉が少ない人って、例えば幼児生まれたばかりの幼児ですね。まあ幼児の考え方は全く無視されておりますので、保育所を作る時にお母さんが忙しいからっていうような理由なんですね。

それから、男性の育児休暇なんかもですね。お母さんとお父さんと同じように育児しなきゃいけないからというような理屈ですが、絶対そうじゃありません。哺乳動物の高等哺乳動物は子供を殺しますからね。保育はやっぱりお母さんが適してるんですね。ただ、お母さんとお父さんの権利を保持するということと、それから我々が生物であって、父親っていうのが子殺しをしがちであるということを、どうバランスするかってことですね。

それからまあ、最新の育児額ではですね。やっぱり生まれてから3年ぐらいはお母さんが見るということが一番幼児にとっては良いということになっておりますね。

それからまあ最近、発育障害、発達障害なんかの子供の問題で浮上しております。まあ東大の産婦人科なんかが研究されましたね、母乳を使わなきゃいけないという問題について、これは憲法ではどう書くかと言うとですね、やっぱりこれも言葉が少ない人の権利っていうのを重要視すればですね、赤ちゃんは言葉がありませんから、だからお母さんがお乳が出なければもう人工乳だという短絡的な考えじゃなくてね。赤ちゃんが言葉が少ないけども、もしも言葉を言うとしたらどう言うかと。いう権利をですね憲法に書いていただく必要があると思いますね。

それからこれは小学校教育もそうです。えっと児童の教育もですね小学生ですから論理だって言えませんけども。現在のように多様化の時代にですね、明治時代のような国語、算数、理科、社会を勉強させてその平均点で評価するというようなことがですね、もう全くの時代遅れなんですね。多少読み書きができるとか、釣り銭が計算できるって事は必要ですけども。無理に難しい算数の分数の割り算だとかですね、難しい漢字を早く書けるというようなことが必要なんではなくてですね。皆さんも合意されると思いますが、例えば足の早い子供がいたと、まあオリンピックとか国体にも出れると、しかしその子供がバレーボールとかスケートができないから、いくら早く走ることができてダメだよというようなことをしてるのが現在の平均点方式なんですね。

これはやっぱり早く解消しなきゃいけませんので。そういうのをまとめましてね、憲法ですから大きな問題を取り扱わなきゃいけませんから、「言葉少ない人の権利」これをですね代弁する必要があるということをですね、条文に入れる必要があると。これは今後の日本の発展のために、非常に重要なことだと思っております。むしろそっちの方に議論が行くことを期待しております。

------------------------------------------------------------------------------------------------

 

↓クリック頂けるとブログ更新の励みになります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村


科学ランキング