武田邦彦 ヒバリクラブ 文字起こし

武田邦彦先生の音声ブログの文字起こし

それは当たり前「花粉症(1)」 令和5年3月10日_文字起こし

--------------------------------------------------------------------------------------------------

ヒバリクラブご覧の皆さんおはようございます。

昨日はですね、どうもこう、これからの日本をよくするためにはどうしたらいいだろうかと、まぁちょっと悩みましてね。現在やっているシリーズがですね、結局としてそっちに近づかないと。むしろ、我々国民の間に議論が湧いてですね。あらの方向に行ってですね。こうやって結局は、私たちの子供を助けられないんじゃないかって気になってきましてね。昨日は外出ありましたんで、外出中じっくりと考えていたんですね。

でいろんなことも分かりました。何て言うんですかね、あの日本人が本質を議論できないのかもしれませんね。ていうのはあのアングロサクソンという人たちは、イギリス人とかアメリカ人はですね、とてもあの、本質が上手いんですね。本質をよくわかってるって言いますかね。これは、いろんな点で現れるんですね。まあ日本人が非常にあの苦しむのは、アングロサクソンにいろいろな基準を作られちゃうんですよ。

最近ではISOとかね。昔でしたらいろんな国際規格。それから例えば皆さんよく知っているオリンピックとかそういうスポーツのですね、基準をこう作るんですね。日本人がこういうのに強くなると、それを妨害するような基準を作るんですね。彼らは本質がよくわかってるので、日本人は真面目なんでね。今の基準はもう基準だから守ろうと思うわけですね。

それいいことですよ。いいことですが、守ろうと思って、そしてその基準を守るために一生懸命練習するっていうね、全く人間としては正しいんですが。

アムグロサクソンというのは、どうも最近日本人がなんか図々しく出てきたから、ちょっと基準を変えてやれっつんでですね。例えば水泳の、このスイマーのこの水着の基準を変えたりですね。それから、あの棒高跳びのね棒の、こうシナリ方をの基準を変えたりしましてね。

日本人が一気に不利になるっていう、まあそういうことですね。まあだけどそれは日本人がまたそれで一生懸命努力しますから、なかなか日本人っていうのは、アングロサクソンアングロサクソンというのはイギリス人とアメリカ人が主なんですけどね。それからまあやや北の方の国ですね、ノルマン、ゲルマンそこら辺もですね、割合とそういうのが第二段階って強いんですね。

これはある程度、その例えば、アングロサクソンなんていうのはものすごい植民地を持ってたんですが、植民地の人をものすごく殺したりね、まあいろんな残虐なことしてるんですけども、結局現在でもそれほど深くは恨まれてないんですね。

日本みたいに韓国を本当に20年ぐらいとか30年ぐらいとか一緒に併合してやってたら、ものすごい千年も恨まれることないんですね。やり方がすごくうまいんですよ。いつもいつもニコニコって笑ってましてね。人の良いニコニコと笑ってるので、どうしても人間はそれに騙されるって事がありますからね。

そういった点で、私こうずっと見てますと日本人はなんか、突撃することはできるし努力することはできるけども、着地点を考えて、考えを巡らせるというのに少しこう抵抗があるのか、頭脳の構造が違うのか。

四方末端に取られてしまうのがいいというコメントも見てますとね。四方末端こそが重要だって。確かに日本人は四方末端こそが大事だと思うから、まあ戦争で突撃したりするのかなーと思ったりもしたりしましたね。そういうことも、いろいろ電車乗りながら考えてました。

昨日はですね、私昨日は東京の地下鉄乗ってたんですけども。ちょっと長く乗ってましたんでね。そしたら目の前に花粉症の人が来られましたよ。ちょうど気温も20度超えましてね。ですからその人はゴーグルを目にこうかけて、マスクもきちっとして、本当に目をしばしばっとしながらね。かわいそうにと思いました。45ぐらいの男性でしたかね。そういう人いるかなって、かわいそうだなと思いましたね。

で今日は花粉症からちょっと話を始めて、それは当たり前という、そのタイトルつけたんですけども。何が当たり前かってことなんですね。これもまああまり四方末端に行かずに。四方末端が大切だっていう方は、私のブログは多分見ない方がいいと思うんですよ。

私はあの四方端は、あの人間っていうのはね頭がこう限界があるんですよ。ですから四方末端を考えながら、本質を考えるということはちょっとできないんですよね。これ僕の頭ができないんじゃなくて、さっき民族的にも本質を考える民族は本質だし、四方末端の民族は四方末端だっていう風に、どっちかになっちゃうんですよね。

まあ僕はね、昔言ってたので、女性と男性と別に違うわけじゃない、だけども違うとこもちろんありますよ。だけど毎日毎日ね、あの今日の夕方のおかずは何にしようか、自分たちの子供にね何を食べさせようかなと一生懸命考えてる方と、奥さんね。それと僕みたいに、ギリシャ時代の何は何でこうなんだろうか、なんてね日々考えてるのと。それはね、ちょっと違うんですよね。

それ僕にギリシャ時代の社会構造と、今日の子供のご飯のおかずを一緒に考えろというと、僕はもう無理なんですよ。どっちかだったら考えられるんですね。

ですからまあ、私は日本の今まで損害を非常に出したことを考えますとね。現在も出しつつあることを考えますと、やはり、四方末端は四方末端、本質は本質に分けた方がいいんじゃないかって思ってんですね。

少なくとも僕は、あの今日のおかずと、それから本質的な問題を両方考えるとか難しいんですよ。僕の頭脳ではね。ですからまあ、それはそれでそういうことをよく考えられる人が。

だからあの安倍さんのことなんかあったんですね。せっかく安倍首相がなっても、森加計問題とか、それから桜のことなんてちっちゃなことがもう、どんどん議論されるのは、あの人たちは、僕は作戦としてやってるのかなと思ってたんですけども、そうじゃなくて四方末端の方が本質よりか大切だと思ってる人たちなんですね。だから彼らにとっては、合理的っちゃ合理的なんですね。

それがここでいう今日のタイトルの当たり前っていうんで、どうも当たり前のことから行こうかなと。本質であって当たり前のこと。これだったらまあいけるかなと思いましてね。今日は花粉症をやりました。

その僕はね、前にいる花粉症の人はかわいそうに思うんですよ。ちょっとね僕、情に厚いとこがありましてね。流されるっていうか、あの夏目漱石が言うようにね、地に働けば角が立つ、情に棹させば流されるって事ですね。僕ちょっとね、智以的にやってはいるんですけど、すぐ情に流されちゃうことがありましてね。

であの昨日の目の前にお座りになったですね、まあ働き盛りの男の人がね、もう涙しょぼしょぼしてゴーグルなんかかけてたら可哀想だなと思うんですね。で今日花粉症のことから入ろうかなと思いました。

花粉症が起こるのは当然ちゃ当然なんですね。これは日本人がただ故意にっていうかね、わざと起こしてる問題なんですね。

どうしてわざとかって言うとですね。木にはですね、樹木にはですね、スギとかヒノキのように人間が使うことを前提にして、生きている植物とですね。それからまあ、栗なんかもちろん人間ととるんですが、栗とかクヌギとかまあそういうふうにですね、自然に生えているものが実をつけるから、それを利用するとか利用しないとか。まあつまり、普通に行ったら人工林を形成するスギとかヒノキと、天然林を構成する栗とかクヌギとか、まあブナとかですね。そういったものとの、その樹木の作り方の構造的な違いがあるんですね。

これはあの別に植物ばかりじゃなくて、動物でもそうで、豚とか牛というのは一応ですね、人間が食べることを前提にして、もしくは馬みたいに使役に使うことを前提にして、人間と付き合ってるものとですね。家畜の場合は、例えば犬とか猫のように愛玩だとか、それから防衛とかそういう意味で存在するものとかね。あの生物とは必ず共存関係があるもんですから、共存の種類によって性質も何も違うんですよね。

それは同じだということはちょっと無理なんですね。ですからあの、山に木を植える時は、やはり人工的に使用する木っていうのは、ある程度経ったら切らなきゃいけないんですね。で切らないとすぎもひのきもすごい困るんですよね。

どうして困るかっていうのは、もうちょっと時間があった時に説明しますが、困るんですね。でだいたいまあ50年が限度なんですよ。40年ぐらいでもいいのかもしれませんが、杉を植林したら、杉はだいたい自然にまああまり育つもんじゃなくて、どっちかと言ったら植林なんですね。

人間が使うので植林。人間が世話してないと生きていけない植物っていっぱいあるんですよ。人間と植物とが、米なんか稲なんかもそうなんですけども、例えばアヘンなんかもそうですね。麻薬ですけどね。まあいったものも、人間の手でやってるから生きてるっていうようなものもあるんですね。

ですからまあ、押しなべて生物は命があるから、木を切っちゃいけないなんて言っちゃいけないんですね。それはちょっと自然の摂理に反するんですね。自然っていうのは、お互いに命を取り合って生きていくというのが自然の摂理なんですね。

自然を大切にっていうのは、ちょっとあの誤解されてる人もいて、また四方末端で攻撃されるかもしれませんが、大きく分けてね、お互いに食べ合ったり、お互いに食べても生かすというね、そういうものと。それから、お互いに独立になってるっていうのとあるんですね。

まあもともと、樹木に栗なら栗の実がなるのはまあ、栗の実は栗の美味しい栗を食べて、種を落としてくれると子孫が繁栄するっていうことで。これもまあ依存型ですね。

ただ栗の依存型は自然の中での依存型なんですが。スギとかヒノキはもう本当に、もう人間の手が加わらないとダメっていうね、生きていけないっていうね、そういう木なものですから、植林をして間引きをして、そして徐々に徐々にやっていくんですね。

こういったものは間引きも人間がしなきゃいけないんですね。ここにちょっと写真をあれしたんですが、こういう込み入ったまま育てたらですね、細い木しか育たないんですね。

これは植物というものが、もともとこういう樹木がもともとですね、あの最初は苗植える時は接近して植えて、少し大きくなると、葉がこうちょっと接触するぐらいでこう抜いていかなきゃいけないんですね。

で自分たちが枯れるって事はしないもんですからね。ですから自主的に、ちょうどこの木とこのの間に育ったものが俺はもうやめようつってくれるって事ないので、これは人間の手で抜いてあげる必要があるんですね。

そうしないともう、スギ自身も何のために生きてるかわかんないって言うでしょうね。まあそういうことで、こういう今ここに杉を表しましたけども、全然違う。

それがあのもう一つの写真はこれ栗林なんですけども。栗の方はちょっと雑草とかね。それから雑然と生えてるっていうのが普通なんですね。これはもともと天然林的に生えますから雑然と生えているんですが。まあ下には苔があり、でシダがありですね。雑草があってその上にこう栗が生えてて、それで野生的に育つ。

栗は必ずしもね、そういうんじゃなくて、栗林っていうのが人工的に作られますから。そんなこと言ってんじゃないんで、また四方末端の方に行かないようにしてほしいんですが。

大きく分けて人工林と天然林。それを人工林をそのままにしとけって運動がありましてね。それがまあ現在の花粉症を呼んでいるということになります。

ちょっと花粉症のメカニズムについては、次回に送ることにします。

--------------------------------------------------------------------------------------------------

武田邦彦 ヒバリクラブ ↓YouTubeリンク

www.youtube.com--------------------------------------------------------------------------------------------------

 

↓クリック頂けるとブログ更新の励みになります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村


科学ランキング