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人生の意義(6)「人生を豊かにするために心掛けていること」 令和5年3月30日_文字起こし

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ヒバリクラブご覧の皆様こんにちは。武田邦彦です。

ええ、人生の意義、一応ですね、今日で一段落をしようと思いまして。まだいろいろ整理しなきゃなんないこともありましてね。いろいろ皆さんの悩みだとかそういうものを勉強して、もう一度整理をしてスタートしようと思っております。

そこで今日はですね、まああのとりあえずの締めくくりといたしまして、私がいつも、あの自分でこう反省して、ああここだなと思ってることをですね。まあ大変おこがましいんですが、ちょっとお話をしたいと思いまして、ここに羅列いたしました。

まず第一は「子供を教えられる大人はいない。」と。これはあのこのシリーズでもお話しましたが、大人っていうのは本当にこう人間社会に汚れてしまってですね。私なんかも、こう自分が失敗して絶対言い訳はしない、もう言い訳するぐらいだったら自分というのは情けないと思ってですね、覚悟しててもですね、いざになりますとちょっと言い訳がましいことを言ったりしますんですよね。

まあ子供はその点、もう最初に聞かれた時から、本当にほとんどの子供は素直に言いますね。そんな口が利かなくても、申し上げなさそうな顔なんかしたりしますね。

だから、教育っていうのは別に漢字教えたり、足し算教えたりするもんじゃなくて。人間を立派にするために教えるわけですから、子供を教えられる大人はいない。そうだよな、自分は子供から今になって何を成長してきたのかな、というふうに思うことがあります。それを戒めるために、子供を教えられる大人はいないからなとこう思うことがあり。

それから、これは「昨日は晴れ今日は朝」ということよく書くんですけども。それの僕の色紙なんかに書く文字の内容なんですけどね。昨日はいつも土砂降りなんで、土砂降りでも、もう晴れと思っていい。

実は過去っていうのは戻ってこないっていう、非常にこう特殊な状態にありましてね。これはあの過去が戻ってこないというのは、ちょっとこう理論的にはややおかしいところがあるんですが。おかしいつったって事実は過去戻ってきませんからね。

まあ量子力学なんかで、過去と未来が逆転するような実験データもありますけどね。だけどまあ、現実の問題としてはなかなかそういかないんで。これを逆に使ってですね。過去はどしゃぶりだ、つまり昨日はまずいこといっぱいあった。だけど、晴れと思えばもう二度と、二度と再び昨日は来ませんから。これで自分の人生明るくなるんじゃないかと思ったんですね。

これは私が非常に体が弱くて、まあとにかく辛い日々をずっと過ごしてましたもんですから。昨日のことを思い出してると気分が晴れないっていうか、元気が出ないんですよね。だから昨日はまあ大変な目にあったけども、良かったと思えばいいんだ。忘れてしまおうと思いますとね、不思議と人間はですね、昨日は晴れ昨日は晴れって言ってるとですね。昨日のまずいことを忘れていきますね。

まあこれ、あのもしよろしかったら、どなたかお使いになったらいいと思うんですね。なんかもう過去のことですごく苦しんでる人おられましたらね。昨日は晴れ昨日は晴れてこう思ってるだけで昨日の悪い事って本当に忘れますね。人間ていうのは、それが忘れるって事がいいんでしょうね。まあ近親者をお亡くしになって非常に落ち込んでも、僕もまあ両親失ってますが、それでも忘れようと思ったら、もう本当にこう温州の彼方っていうのかな、そういうふうになりますね。

それから、「今日は朝だけは一生懸命できる。」これは昨日か一昨日か幸せ砂時計でちょっと解説したんですけども。トルストイの人は何で生きるのかっていう解説したんですけど。実は人間っていうのはね未来が魅力とかできないんですよ。未来を見る能力を与えられてないんですね。ですから、今日は朝だけは一応わかる。1時間ぐらいはわかるかなと。だけど夕方はもうわかんないなっていうんで、私は今日は朝だけは一所懸命できると思ってるんですね。

「昨日は晴れ今日も朝」と書くのはそれなんですね。今日もベッドから起きて朝起きたら、もうそれだけで頑張ろうというね。また昼になったら、昼を頑張ろう。また夕方になったら、夕方頑張ろう。1日はどうかっていうことはですね、ちょっと長すぎて言えないってのが僕の感じですね。

ここに書いてあるやつは僕の人生で、私がそう思ったってやつですから、まああまり客観性はないんですけど、まあまあご参考までにってことですね。

それから、まあテレビに出てる非常に有名な、皆さん名前言ったらもうすぐわかるような方がですね。私にですね、武田先生のブログを見て私は生き返った感じがしたと言われたことがありましてね。私にとってはとても名誉なことなんですが、その時に私の何を読んだんですかつったら「降ったら濡れる。酔ったら吐く。」っていうのをすごく感心されたんですよ、その人はね。

これは何かといったら、雨が降ったら濡れでもいいじゃないかと。雨が降ったら困ると思うことが、つまり雨降ったらどうしようか雨降ったらどうしようかと、こう思うことが自分を暗くする。もう別に雨に降ったら、それに濡れればいいじゃないかっていうのが、降ったら塗れるなんですね。

例えばあの、こういうふうにそこで私書いたんですよ。雨で土砂降りになる。11月頃の寒い日に傘持って出なかったんで、もう外に出たら土砂降りになった。それで雨でずぶ濡れになって、背広もずぶ濡れ。靴もぐちゃぐちゃ。もう、体は冷え切って家に着く。そこでお風呂の栓をつけるとね、湧くまで20分か30分かかる。その間に濡れた着物を片付けたりなんかして、ガタガタ震えてお風呂に入る。

そうすると、体が冷えてますからね、じーんとこうなるぐらい温まる。そのうち、こう指先までこうあったまってきましてね。とっても気持ちいい。それから、ずぶ濡れになった背広もですね、靴も、この際変えようかと思って買い替えられる。思い切ってね。

それから、1ヶ月ぐらいは誰か友達と一杯飲んだら、ひどい目にあってねって酒の肴にもなると。人間考えようだ、というのが「降ったら濡れる」なんですね。

「酔ったら吐く。」車に乗ってですねよく私中でパソコンなんかやってますとね。運転してる人が気遣ってもらって、先生車の中でパソコンやって気持ち悪くならないですかってこう言うんですね。まあ普通、親しくなかったら言いませんが、親しい人だったら、酔ったら吐きますから、とこう言うことがあるんですね

酔うんじゃないか、酔うんじゃないかということが人間は人生を暗くすんじゃないか。酔ったらいいんだ車を止めてもらって、まあみっともないけども、道路端で吐けばね、1分か2分は苦しいけど、それでスッキリするよと。

つまり、この「降ったら濡れる。」「酔ったら吐く。」2つともですね。将来を心配してたら世の中が暗くなるって事なんですね。まああの「昨日は晴れ」もそうなんですけど、過去の思い出したくないことをいつまでも覚えてるとやっぱり人間は辛い。それから、将来も雨が降ったらどうしようか車に酔ったらどうしようかと考えると暗くなる。だから、もういいや、来たら来たでそれを引き受けようと思うと楽になるっていうのがこの2つのあれなんですね。まあその方がこれに非常に感激してくれたのは、僕記憶でも今でも本当にあってですね。良かったなと思っております。

それから最近よく言うの「社会は自分ではない。」やっぱり、社会がこんなんなきゃいけないじゃないかと怒ったりですね。相手が俺と違うって怒ったりするんだけど、人には人それぞれの考えがあり、それぞれの人は一人一人は自分が正しいと思うことを言ってるんですよね。やったり言ったりしてるんですよね。

コメントなんか見ても、私と全然違う考えの人もいるんですが、その人はその人はそれが正しいと思い。僕は僕が言ったことは正しいと思ってるんですね。つまり、社会っていうのは自分とは違う人の集合体なんですからね。だから、社会でなんか腹立つことがあったら、社会は自分じゃないんだ、自分じゃないんだからねという風にですねまあ言い聞かせた頃があったということですね。

それからまあそれの延長線上ですね。「自分が正しいと思うことは必ず間違っている。」と私思うんですね。これは私が物理の研究をずっとしてきたことからですね。まあ物理っていうのは実験があるんで非常にいいんですね。実験があるものっていうのは、自分が間違ったことを正しいと思っても、実験で覆されますから。

ところが私が不思議なのはね、あのもう物理ですから、割合と精密に計算したらなんかするんですよ。だからまず間違いないと思って実験しても、全然違う答えが出てくることが多いんですね、実験の結果がね。それからまたもう1回考え直すと、実は、もちろん実験の結果ですから、実験さえちゃんとやれば合ってるんですよ。

つまり大自然の知恵と自分の知恵と比べると、大自然の知恵のが上なので、自分が正しいと思ったことが間違ってたわけです。もうしょっちゅうなんですよ。それはねあの、政治とか経済とか、人のことに対すると、自分が正しいぞって頑張ることできるんですけどね。自然を相手には頑張ることも嘘つくこともできないんですよ。やがてバレるんですね。

ですから、文化系の人、なんていうかそう言っちゃいけないんですけど、実験系じゃない人ね。例えば、哲学だとか経済とか、経済は若干は結果が出てくるんですけど、いろんなことは、だいたい人間関係なら特にそうなんですけど。どっちが正しいかわかんないで喧嘩してるうちに、物分かれになってもうその人合わなくなるとかね。そういうことがあって逃げるところがあるんですね。

自分が正しいと思っててそれを貫くことができるんですけど、まあ私みたいに自然を相手にしてるとね、どうしても間違ってるものはお前は違ってると言われます。それがずいぶん人生で繰り返されたもんですから。私がこうバリバリに研究してる頃はね、やっぱり自信もあったし、研究も随分成果を上げたんで、だんだん自分が傲慢になってくるんですね。だけども、実験があったから私はいつも実験で実験の結果で諌められましたね。君の言ってることは違うよと自然が言うわけですよね。

まあだから、私は人生で体が弱かったこと、それは昨日が非常に土砂降りだったわけですが。晴れるとこう思おうと思ったことですね。

それからまあ、そういう体が弱かったこともあって、今日はどうなるかな明日どうなるかなと思って心配をするということも多かった。

それから、物理の研究をしたおかげでね、自分が正しいと思うことは間違ってるって事も分かりまして。今や私は人から罵倒されても文句を言われても、あまり腹立たないと。それはたまにはね。

それから、私は怒ったふりはするんですよ。ここは怒ってふりをしなければ、相手に失礼だって時もありますからね。だけども、心の底から怒ったってことは、もうここ何年もありませんね。

この前、なんかニュース女子だったかな、なんかで武田先生いつも怒ってたって言うけど、あれはあの怒って見せないといけない場面で怒ってました。それは例えば、北朝鮮に拉致さちゃった人なんかはね、拉致された人にかわいそうだから、そんなことをニコニコ笑いながら言っちゃいけない。やっぱりその人はかわいそうだっていうのは怒りに燃えて言わなきゃいけないので、僕は必ず北朝鮮に拉致された人のことを言う時には怒って言いました。

それはあの拉致された人の気持ちになってっていうことでありますので。ちょっとここに書いてあることと違いますから。私の言ってることが2段3段構えなんですから、なかなかそこがですね、もう少し僕も言い方を少し深くして、聞いてる人がそれが2段3段の構えであるって事がわかるようにしなきゃいけないなというふうに思っております。

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